【番外編】ハルモニア・レコード
ハルモニア・レコードは難解な文が続きますが、ナオキが解説しながら読んでくれるので、読み飛ばしても大丈夫です。
僕・橋本ナオキの記憶によれば【ハルモニアの首飾り】とは……
女神ハルモニアと王カドモス。
天と地が交わり、かつて調和が生まれたとされたその婚礼に、天界から贈られた首飾り。
それは時に繁栄や戦の勝利をもたらしたが、身に着けた者は愛する者を自らの手で殺し、信じた仲間を裏切り、己の意志を失いながら――ただひとつの輪の中に絡め取られていく。
運命の円環とも言えるでしょう。
ハルモニア――調和を冠するその名が示すのは、まるで首飾りの因果のように煽動される人々への皮肉だったのかもしれない。
*
2051年。
ハーモニア大学――
スイスのレマン湖畔に広がる架空都市インスティルム。2040年に開発されたばかりの理想都市に、まるで世界遺産を想起させるクラシカルなデザインが印象的な大学があります。
「ナオキ助教授。今日の授業のここなんだけど……」
そこの助教授である僕に質問をしてきた少女は、才能を認められてこの大学に在籍する一般の生徒。
カフェ、ジム、劇場、VRラウンジ――全てが揃うハーモニア大学。表向きは才能ある生徒の育成と謡っていますが、ここの通行証は「才能」よりも「金」でしょう。現に、ここに揃う娯楽施設を、この少女は使用したことがないし、食事はいつも自炊と聞いています。
少女の後姿を見送りながら、あたりを見回す。テラスを支える円柱には神話を想起させる細かな装飾が施され、手入れの行き届いた芝と幾何学的に配置された噴水は科学と自然の調和を想起させる――それはまさに
「美徳という名の天使の仮面ですね」
「天使が何だって?」
振り向くと、トレンドに敏感な彼らしい明るい色のシャツを着た少年が立っている。
「さっき、あの子に聞かれたぞ。ナオキ先生に彼女はいるのか? ってさ」
日本人の教師が珍しいのでしょう、僕は女子生徒によく話しかけられる。その度にダイスケ君にからかいの言葉をかけられるので、困ったものです。
彼の手にはカフェの新商品の「ビッグバーガー」。さっきランチに巨大なピザを食べていたような気がするのですが、ね。
「ダイスケ君、脂質の取り過ぎです。あと、その恰好は思春期の少年らしくて良いですが任務には不向きですね」
「わーかってるって。ちゃんと着替え持ってきてるよ」
ひらひらと手を振りながら、面倒くさそうに答えるダイスケ君。
自由奔放ではありますが、仕事はきっちりこなす子だ。僕は彼を幼少期から面倒見ている。施設で一緒に育ち、僕の自立と共に共同生活を始め、今に至ります。
そしてダイスケ君が9歳の時、田んぼ道で雨に打たれていたところを保護したのが、彼の親友の羽瀬田リュウ君です。
リュウ君はダイスケ君に隠密の技術を。
ダイスケ君はリュウ君に遠距離攻撃の技術を。
2人は性格こそ正反対ですが、戦闘技術を共有し、本当の兄弟のように過ごしてきた。だからこそ、ダイスケ君は今のリュウ君の危機に気が気がないでしょう。
――例えば、今ハンバーガーを食べる速度は明らかに速すぎると言える。
「消化に悪いので、よく噛んで食べましょうね」
心理学専攻の学者を、舐めてはいけません。軽く微笑むとダイスケ君が視線を逸らす。はいはい、不機嫌が顔に出ていますよ。正直なのは良い事ですが、もう少しリュウ君のような従順さも身に付けてほしいものです。
やがて彼は最後の一口を頬張って包み紙を丸め放り投げる。綺麗な放物線を描いたそれは、10メートル程離れたゴミ箱に見事にホールインしました。
「お見事です。では、今夜決行します」
――セキュリティAI・H.R.M.N-01 通称ハルモニア――
この大学における全情報とセキュリティを担うAIは、セキュリティ管理室という特別な部屋にあります。管理下にある限り、情報の窃取は困難だ。
しかし僕は「研究員の1人」であるという称号を正規の手続きで得る事で、それを可能にしました。電源を入れると、空気が揺れて50インチほどの大きなホログラムが管理室の暗闇に浮かび上がる。
――ハルモニア・レコード
ハーモニア大学附属学院で行われている「研究」の記録。ハルモニアは自立記録型AIであり、観測データは【極秘】に分類されています。
システムへの侵入(限定的ハッキング)
大学には旧式端末があります。その「波形ログアクセスAPI」――古い端末の“癖”を突いて、ログと同期しきれていない隙間に入り込む手法です。
【あなたの“最も親しい罪”は?】
ホログラムに質問が表示されました。
【「Pride(傲慢)】
事前に入手した回答を入力する。
正式なIDでは弾かれますが……研究員の1人である僕の開発コードで署名されたアクセス要求は、古い“設計者権限”として一時的に通過しました。
……もちろん「一時的」なものなので、2度は使えないでしょう。
「起動モード:アーカイブ連携接続中」
機械音声が、静かに応答する。どうやら、うまくいったようです。
「私はH.R.M.N-01――ハルモニア。研究員SYMPATHEIA v0.9……ハルモニア・レコードを提示します」
「ダイスケ君、見張りを頼みましたよ」
「わかってるって」
さて、見張りは彼に任せて……見せてもらいましょうか。この学院の研究内容を。
*ハルモニア・レコード
【AYK-01定義・新たな持続可能なエネルギーを生み出す妖精資源として注目される非検体】
【SOU-00定義・研究資金源】
【AYK-01:観測記録・簡略表示】
〈12歳〉
【4月】
SOU-00の臓器提供を通じ、研究資金を確保。
AYK-01の研究を開始。感情応答試験(喜び)初期段階。笑顔とともに、微弱なエーテル変動を検出。
【5月〜8月】
驚き・恐怖・安心・悲しみ――各種情動刺激に対する連続応答テスト実施。
【9月】
「喪失」に対する反応が最大値を記録。
→ AYK-01の居室に飾られていた花を燃焼させた際、エネルギー出力237%増加。
→ 神経波形において、β-波とγ-波の交差領域で共鳴現象を確認。
*
AYK-01――澤谷アヤカさんの実験は、どうやら12歳の4月に始まったようです。入学後、すぐに着手されたのでしょう。最初は半信半疑でしたが……リュウ君から受けていた「アヤカさんは妖精」というのは本当のようです。
9月までは各感情のデータを取り、結果【失われた時が最もエネルギーの動きが大きかった】と結果が出ている。つまり、この時までは人道に沿った研究であった……と推測できます。
しかし9月から何かが狂い始めた。
失われた時が最も成果を得られたという結果……それは“回復不能”という絶望が、最も強く心を揺らすからでしょう。恐怖でも喜びでもない。不可逆性が、最も強い感情を呼び起こす。
この感情判断は……一体何を示す? そして
――【SOU-00定義・研究資金源】……臓器提供による資金確保。まさか……
*ハルモニア・レコード
【10月】
「リボン」の焼却。
「澤谷ソウイチ氏のアルバム」を焼却。
→ エネルギー変動:最大記録更新(+356%)
→ 被験体AYK、同日午後、局地的大雨を発生。
→ 羽瀬田リュウによる言語的慰撫により、情動安定を確認。
【11月】
「リボン」の焼却。
「クマのぬいぐるみ」を焼却。
被験体AYK、意識障害。観察刺激への応答低下。
→ 短期記憶試験にて断片的記憶障害を確認。
→ 澤谷ソウイチ氏、ならびに研究内容に関する記憶の欠損を確認。
*
想い出の品を次々と焼き払ったという事ですか……。
エネルギー変動の過去最大数値356%の上昇――つまり、アヤカさんは過去最大の「悲しみを見せた」
その後クマのぬいぐるみを燃やされ、精神に影響を受ける。
リュウ君が彼女を励ましたことで、心の安定は計れたようですが……「記憶の消失」とある通り、心の傷は計り知れないものだったのでしょう。
……もしかして、彼女は「今一緒にいる父親が本物の澤谷さんではない事に気付いていた」のか……?
もしそうだとしたら、この反応は「自己同一性」の防衛反応に近いものであり、記憶は「失われたのではなく、沈められた」と判断するべきだ。痛みにより搾取と痛みによる消去……こんなことを繰り返していたら、いずれ精神が自己崩壊してしまう。
その後も彼女の大切なものの処分の記録は続きました。
そのほとんどが、彼女が大切にしていた澤谷さんとの思い出の品。そして、実験の最初には彼女のリボンを毎回燃やしていたようです。恐らく反応を都度観察していたのでしょう。
……12,3歳の少女には耐えがたい苦痛だったはずだ。
*ハルモニア・レコード
【同月】
被験体AYKのエネルギー特性に、一部の上層階級が注目。
中でも日本の「矢崎財閥」が強い関心を示し、エネルギー独占の権利取得を申し出る。
→ ただし、被験体AYKの戸籍は既に澤谷ソウイチにより取得されており、売買・譲渡の交渉は難航。
→ 財閥側、代替手段として“息子レオとの婚約”を正式に提案。
*
パトロンが現れた――そして、矢崎財閥はアヤカさんに婚約を申し出る。でも婚約とは名ばかりであり、彼女の所有権を得る為の手段という事でしょう。
……彼らにとってアヤカさんは「人」ではなく「資源」であり「金脈」……という事ですか。
*ハルモニア・レコード
【12月】
SOU-01の反抗。被験体AYKを解放するよう直談判。
→ 被験体AYKの感情応答、異常活性を確認。実験対象としての価値が再評価され、起用決定。
【1月】
SOU-01を処分。被験体AYK、記録史上最大のエネルギー反応を示す。
→ 後継機としてSOU-02を起動。AYKは彼を「父」と認識。行動上問題なし。
【3月】
SOU-02の反抗。被験体AYKを連れ、地下研究所からの脱走を試みる。
→ 捕獲の後、実験起用が決定。
【4月】
SOU-02を償却。被験体AYK、再び高数値反応。
→ SOU-03起動。01・02の事例を踏まえ、“親愛”パラメータを制限。
【8月】
SOU-03に対し、被験体AYKの認知に異常。精神不安定化を確認。
→ SOU-03、処分決定。
【10月】
同様の理由により、SOU-04も処分。
*
SOU-01とは、澤谷ソウイチの事でしょう。01というナンバーがつけられている事から、恐らく本物の澤谷さんの代わりに、アヤカさんの父親として送られたクローンと予想しますが……。
ここまで正体不明だったSOU-00の正体が、とうとうここで明らかになりました。
――澤谷さん……!!
出来ればこの予想は外れてほしかった。あんなに愛していた娘の人体実験の研究資金に、自らの臓器を利用されるなんて……正気の沙汰では、ない。
そして【12月】SOU-01 の反抗。被験体AYKを解放するよう直談判――澤谷さんの記憶を継承したクローンが親心に目覚め、アヤカさんを解放するように直談判した。
結果――処分。すなわち処刑。
この記録によると「アヤカさんの目の前でクローンを処分」し、その時の彼女の感情により動くエネルギーが「過去最大」であったと記録しています。
……彼女から逃げる意思を取り上げる、決定的な事件だったでしょう。
2体目のクローンも同様に反抗を示した。
“親心”によって反抗した事実から、3体目は意図的にアヤカさんへの愛情プログラムが制限されていた――しかし、それが彼女にとって、致命的な『違和感』となり、精神状態に異常をきたしてしまったようですね。
結局失敗と判断され03も処分。続く04も同理由で処分。
まるで神を模倣する科学者が繰り返す失敗の黙示録です。学院は……「イサム博士」はこれを「研究」と呼ぶのでしょうか……? あの、イサム博士が……?
*ハルモニア・レコード
2052年
【8月】
「リボン」の焼却。
「少年の絵が描かれたスケッチブック」を消去。
→ 被験体AYK、強い拒絶反応を示す。
→ エネルギー指数、上昇。
→ スケッチブックの所持者との深い心理的共鳴を確認。
→ 終焉の夕陽回避アルゴリズムの優先対象をスケッチブックの所持者「真田タクミ」に設定。
*
真田タクミ――償却されたスケッチブックは、この少年がアヤカさんにプレゼントしたものという事ですね。これを彼女の目の前で処分した結果、強いエネルギー反応があった。
この決定は何かをを意味するのか……?
*以降ハーモニア大学附属学院へ外部機関による不正アクセス記録
2050年
5月 ●●国より第1研究棟ネットワークに不正アクセス。AYKの生体ログ閲覧を試行。AI警戒レベル2に移行、アクセス遮断。
6月 ◇◇国よりChimeraShell経由のリモートアクセス複数回。AYKの位置特定を試行。位置情報プロトコル改訂、全端末に再認証実施。
7月 第3研究棟裏口からの物理侵入を確認。侵入者をシステムにより処分。
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どうやら研究記録はここまでのようです。外部の介入の多さから、多くの企業が「澤谷アヤカという資源」に注目している事が伺えます。学院の強固なセキュリティが阻止しているようですが、世界を相手にいつまで持つでしょうか……?
「このままではアヤカさんは人間ではなく、エネルギー装置として扱われる。これはもう研究ではなく狂気の沙汰だ」
「おい、ナオキ。そろそろ時間だ」
「見張り、ありがとうございますダイスケ君。ハーモニア大学附属学院は大分ひどい研究をしているようですね」
「これからどうすんだ?」
手に入れたハルモニア・レコードのコピー。これを分析して、どうリュウ君を援護するべきか、じっくり考えるべきでしょう。
「ダイスケ君、君はリュウ君を助けたいですか?」
「あ? なんだよ急に」
「彼を見捨てるという選択も、可能ですと言っています」
正直……これは僕達だけの手に負える問題とは思えません。
あの芹沢ユウジという男……僕なりに調査しましたが、出てくるのは成人してからの記録のみ。生い立ちや、どのような少年時代を過ごしたかは不明だ。
けど、ダイスケ君の意思は変わらないようです。これは、大人の僕も覚悟を決めないといけませんね。
プツ――。
ホログラムが途切れ、部屋が暗闇に包まれる。その時
――ザザッ……。
「?」
一瞬ノイズのようなものが見えが気がしましたが……気のせいでしょうか。
『……チャン……ヲ……ケテ……』
「……?」
誰かの声……?
「ダイスケ君、今何かホログラムに見えましたか?」
「悪い、見張りに集中してた」
「そう、ですよね。では、戻って作戦会議をしましょう」
部屋を後にしながら、一瞬だけ見えた文字を思い返す。
そこにはこう、書いてありました。
――【use-01】
無意味な文字列なのか。それとも、何かの起動コードなのか。
……ハルモニアは“記録する存在”であり、学院の秩序を守る存在です。では、それが今この瞬間も、どこかから見ていたとしたら――?
「ダイスケ君」
「ん?」
「学院の秩序を守るのがハルモニアなら、首飾りの所持者は誰なのでしょう」
持つ者を破滅の因果に導く首飾り――何となく、視線はダイスケ君の腕に付けられた「スマロ」に引き寄せられますが……確証はありません。
「僕も後を追って学院に足を運びますが、無理は禁物ですよ」
「わかってるって」
もしこれを罪に例えるなら「pride(傲慢)」に該当するのでしょう。
それは救済が目的であり、私利私欲ではありません。しかし……神であるハルモニアには、そんな事は関係ない。
……非・科学的ではありますが……僕とダイスケ君もこの瞬間から、ハルモニアの呪いに足を踏み入れていたのかもしれません。
まったく、僕らしくない結論です。




