【番外編】Ebeniza's Echo④―エデンの幻影を見た者―
更新が一日遅れましたm(__)m
「魂の声が聞こえるか? それは恐れではない。死は、知らぬ夢のような静寂か……あるいは魂の旅路の始まりだろう」
では、思想の継承とは何か。
語ることなく散った英雄の声が、時を越えて生者を導くことはあるのか?
人は、真理という焔を、その手で掴みとることができるのか?
正義の為に死ぬ者の祈りは静かに、けど確かに世界に浸透していく。風となり、詩となり、やがて魂の歌として、未来を歩む者の最奥に灯るだろう。
私もそうありたいと願う
──我が最愛の妻・カスミのように。
*
ふと、背後で水音が聞こえた。
「ああ、水上道路を隔てる門が閉まったのでしょう。フェリーが横断する為のものです。なに、1時間もすれば元に戻ります」
──1時間。
つまり、私はその間この学院に「閉じ込められた」という事になる。
悪い予感は当たっていた。そして、ナオキ君の言葉は、やはり正しかった。
あの門は、さしずめ地獄に足を踏み入れる入り口と言った所だろうか。偶然を装ったフェリーの通過──その全てが仕組まれていたのだろう。
「では、本題に戻りましょうか」
「私をそこにいる彼と入れ替えるつもりですか?」
返事はない。沈黙は肯定だろう。そして目的は、恐らく……
「アヤカが目的なんですね?」
私を殺すのではなく「すり替える」という事は、私の死ねばアヤカが妖精の役目を全うし、人間界を去る事を知っているからだろう。
……私はいつか、このような日が来るのではないかと懸念していた。彼らはアヤカを……どうするつもりだ?
……
沈黙。会話をするに足らないという事か……?
「芹沢さん、あなたは先程「才能のある者は誰の武器になるかという選択を迫られる」と仰いましたね」
「……」
「あなたの思想は、マキャヴェリの君主論に近い。冷徹な合理主義をもって統治を為すべし、と。理屈としては理解できます」
風の音だけが微かに響く。彼は口元だけ笑みを浮かべたまま、口を閉ざしていた。
しかし、私もただやられるわけにはいかない。この会話はナオキ君がモニターしている。もし私に何かがあったとしても、彼に何らかの手がかりを残す事は出来るはずだ。
「ですが……現代の思想哲学に照らすなら、それは“時代遅れ”とも言えます。勧善懲悪の崩壊したこの世界で、あなたのような人物が“少数の犠牲”を語るのは、いささか不自然に思える。何か個人的な動機があるのでしょう?」
これは挑発。チェリーピッキングに近いが、芹沢さんは見逃さないだろう。何故なら単身で地位と名誉を確立した彼は、常に新たな情報を仕入れているからだ。「古い」というレッテル──彼にとってこれ以上の侮辱はないだろう。
──さあ、どう出る?
「……なるほど、美徳を掲げるあなたが、随分汚い手を使うものだ」
想定通りだ──乗ってきた。
「政治に関わってきたものの嗜みの一つです」
この質問には、もちろん意図がある。
彼は富も名声も既に手に入れている。エネルギー枯渇問題なんて壮大な話に、簡単に乗るような人間ではないだろう。彼を動かしたのは確信か? それとも――信念か?
ほんの少しの沈黙。少しだけ目を伏せた芹沢さんが、ようやく口を開いた。
「一人の科学者がいました。彼は自分の息子の未来のために、世界を救う研究をしていました」
科学者?
「国は彼を否定し、成果を奪い、嘲笑した。それでも彼は諦めず、息子の未来を救う為の研究を付けています。その狂気的な執念に心打たれたとでも言いましょうか……まあ、暇つぶしのようなものです」
なるほど、自分が力を貸すに相応しい人間を見つけ、それを達成させる事を一つの道楽にしているという事か。
「……一体その科学者とは?」
「話は終わりです」
冷たい言葉と共に、背中に冷たい鉄の感触。少女・カレンの持つナイフが、私の背中に当てられている。これ以上踏み込むなという意味か……? 冷汗が滲むのを感じながら、なるべく冷静を保ち、再び話しかける。
「ここはセキュリティに管理された場所。人目も多い中庭だ。君たちが私に手を出せば──」
「ご心配には及びません」
彼は恐らく、先程の会話で私を「試して」いたのだろう。協力する人間か、それとも反抗する人間か。そして、彼は私を「反抗する人間」と判断した。
あの門を潜った瞬間から、私は後戻りなどできない状態にあったのだ。
「全てあなたの思い通りという事ですか」
そう、呟いた瞬間。あの門に書いてあった文言をふと、思い出した。
その瞬間。
あの門に書いてあった文言をふと、思い出した。
SALTUM IMAGINATIONIS IN FUTURUM ACCIPIANT
QUI PER HUNC PORTAM INTRANT
(この門をくぐる者、未来を想像する跳躍を得よ)
──未来を想像する、跳躍。
「芹沢さん、ひとつ質問があります」
「……聞きましょう」
彼は「まだ何か言おうとする私」に興味を持っているようだ。私は続けた。
「冷酷な進歩は、煉獄ですか? それとも天国ですか?」
その言葉に芹沢さんの瞳が一瞬細められた。
「……あなたの言葉は正しい。しかし、私にはあなたが“煉獄の先の神の愛”を手にした者には思えないのです」
それは、ほとんど自己独白のようだった。私もカスミを失ってから、ずっと……愛に飢えていた。
「もちろん、私も同じです。あなたが私を“美徳を纏った天使の仮面をかぶる者”と見るのなら、それでも構いません。ですが、私もあなたも……結局“神の愛”など得てはいないのです」
それを得る者は跳躍を得た者だけなのだろう。私も芹沢さんも、同じ煉獄に落ちている。ずっとカスミの幻影に囚われていた、私のように。彼が押し黙っている……恐らく芹沢さんが恐れているものは……
「黙りなさい」
私の言葉を遮る言葉と共に、背中に冷たいナイフの感触を感じた。
「……同じ穴のむじなである事に気付いているのかしら? 正しさを掲げようが誰かを踏み台にしようが、あなたの敗北は変わらないし、どちらもただの幻想だわ」
背後の少女・カレンの緑色の瞳が私の背中を刺すように見つめる。
「君は……アヤカとは違う。随分としっかりした考えを持っているようだ。芹沢さんの教えかな?」
「ユウジは私に教えを一切与えていないわ。これは母が私に残した唯一の哲学よ」
母……そういえば、さっき芹沢さんはこの子の母親の話をしていたな。正直、聞く限りカスミとは正反対の考えを持つ女性のようだが……
「それはネメシスの言葉によく似ているね。傲慢を罰する復讐の女神……けれど正直、君には──」
「“カレン”って名前、笑えるでしょ。母は「ララ」という名前が天使の歌声を意味している皮肉に不満を抱いていたの。世界を呪って死んでいった彼女は、女の本質を映したような名前を娘に与えたんですって」
12歳の少女が淡々と語るには、あまりにも痛々しい言葉だった。その達観した姿勢に一瞬圧倒される。
この子は私と芹沢さんの論争を、感情の揺さぶりではなく、構造の観察として捉えていたようだ。彼女にとって哲学は、幻想的な戯れにしか映らないのだろう。しかし……
「カレン……つまり 勘違いな権利意識を持った不快な白人女性 という事かね? 私は女神を称した名前なのかと思ったよ」
「弱者が軽口を叩かないで。この世界では、弱い者は淘汰されるのよ」
「おや、君はお父さんに何も教わらなかったのかい?」
ちらりと芹沢さんの方を見る。
「クリスチャンの彼が聖カタリナを知らないはずはない。カタリナは純潔と知性を冠する聖人であり、カレンはギリシャ語でカタリナの呼称として有名なんだ。彼の妻なら、むしろそっちを選ぶんじゃないかな?」
「純潔……? 知性……?」
人形のように凍り付いていた顔が、一瞬年相応の少女の表情に変わる。しかし、彼女はすぐに首を振りナイフを持つ手に力を込めた。
「もしアヤカに会う事があれば、話をしてごらん。きっといい友だちになれる」
「あなたの娘は、イサム博士の研究対象として、未来のエネルギーの糧になるの。そんな甘い希望、すぐに打ち砕かれるわ」
「アヤカが……エネルギーの、糧……?」
──タン。
私とカレンの言葉を遮るように、芹沢さんがステッキを地に叩きつけた。
「カレン、口を慎みなさい。この子は優秀な戦闘員ですが、まだ子供だ。想定外の事態に対応する力が欠けているのです」
一瞬、背筋がぞくりとした。彼は……私を「憎悪」しているのか? ……いや、むしろそれなら好都合だ。ならばもう一度──踏み込む。
「では、再度尋ねましょう」
声が震えないように整えながら、私は問いかけた。
「あなたは神の愛を受けたのですか? その研究の果てに、永劫回帰を打破し──無限の可能性を見出せるのですか?」
胸の奥に、懐かしい声が蘇る。
カスミ──彼女があの日、私に言ってくれた言葉だ。
『人は平等だなんて、簡単に言えない。この世は生まれた時点で不公平だから。でも、だからこそ私たちは互いに支え合うために生まれたの。人はひとりでは尊厳を持てない。だから、支え合うことで初めて人は“誰か”になれるの』
私とて、ただここで終わるわけにはいかない。
これは、賭けだ。もし芹沢さんの「あの言葉」が正しいのであれば……これは未来の跳躍の……「糧」となる。
私とカスミの思想という名の共鳴は、とても小さいものなのかもしれない。だがその灯火は、決して絶えることはない。未来に繋がるものだ。
この会話を「聞いている」人間がいる。そして、その者はアヤカを守ってくれる人間と深い信頼を結んでいる。私はここで終わるかもしれない。だが、種を撒くことはできる。
「愛など幻想です。そして、あなたの言う通り誰かにすがった時点で、人は堕ちる」
──カスミ。どうか、私に力を貸してくれ……!!
「しかし“無限の可能性”というものは、誰かと誰かが共にあってこそ生まれる。あなたは、その科学者を信じていますか? 化学反応のように「未来を起こす存在」だと?」
彼は神すら信じていない。ならば……その科学者に対しても同様なのだろう。
少しだけ芹沢さんのステッキを握る手が強められた気がした。恐らく……先程感じた彼の「触れられたくない部分」はこれだったに違いない。
だからこそ、私はそこに踏み込む。
「澤谷さん、何度も申し上げたでしょう。革命は冷徹な判断であり、力による淘汰です」
「いいえ、革命とは信じ続けた者が作り、生き残った者が引き継ぐものです。そしてそれを成し遂げるのはあなたではない。未来の若者だ。そして、その未来を潰す行為こそが永遠に続く煉獄に続くのです」
「それは神の愛を侮辱する行為だ」
神の愛の侮辱。その言葉に私は強く言い返した。
「誰もが臨むでしょう、誰かを踏み台にしない未来を。だから人は「共鳴」を恐れ、誰かを罵る為に正義を語る。あなたの言う正義は、合理的の皮を被った諦めだ。そんなものに、私は同意は出来ません。私は……」
その瞬間、あの日のカスミの声が、私の声に重なった気がした。
「人はひとりでは尊厳は持てない。支え合い、共鳴する事で、初めて人は“誰か”になれるのです」
──自分の人生が突如幕を閉じることは、常に覚悟していた。だが、いざそれが現実になると、不思議と手が震えるものだ。
怖いのか? いや……違う。
私はまだ「アヤカと共に過ごせる」と、どこかで思っていたのだ。
……甘い希望だ。
どうやら私は、少し平和ボケしていたようだ。
覚悟を決めて私は口を開く。自分自身の「舌」を噛む為に。
……
一瞬走馬灯のように目の前に浮かび上がったのは、今朝のこと。制服に身を包み、くるりと一回りし、はにかんだアヤカの笑顔。そして、ティータイムの約束……私にとって、それはエデンの園そのものだった。
──すまない、アヤカ。今日の午後は、共に過ごせそうにない。
リュウ君……アヤカを守ってくれ。アヤカ……君と過ごした日々は、私の誇りだ。
だがその瞬間。
激痛が全身を走り、顎に込めた力が抜ける。膝をついた瞬間少女の腕が押し込められ、そのまま押し倒された。振り上げられた手には、スタンガン。それを手に私を見下ろす少女の顔は──
──まるで愛と呪いに板挟みになったかのように絶望に濡れたような、苦悩を滲ませていた。
最後の力を振り絞り、私はホロパスを足元の石に叩きつける。パキ、と音を立て、液晶が光を失うのを目にした直後、視界が闇に包まれた。
──届けてくれ。
この会話を聞いている「君」に。
私は信じている。君なら必ず、この想いを、未来へと繋げてくれると。
*
「──ザー……」
灰色の雲が空を覆う午後、微かな電子音と共に騒がしかった通信機にノイズ音が走り、僕はそれを呆然と聞き入っていた。
──ここは都会の喧騒から遠く離れた、田んぼに囲まれた田舎。
居住スペースと研究棟がL字型に繋がれたその建物は、農家の納屋を改装したもの。僕・橋本ナオキはここで研究者をしながら、2人の子供の保護者をしている。
「おーい、ナオキ。どうしたんだ?」
威勢の良い少年の声に、僕ははっと我に返った。
目の前の通信の電源を切り、問題がない事を確認して息をついた。振り向くと、そこには若干癖の入ったダークブラウンの髪に黒い瞳をした少年が立ってる。すぐ近くの田植えの手伝いでもしてきたのでしょう、赤いパーカーもデニムのズボンも泥だらけだ。
「ダイスケ君、リュウ君とボディガードを交代する話はなくなりました」
「あ!?」
「事情が変わりました」
少年の視線が注がれましたが、返答に時間を費やす時間はありません。
「この状況から、彼に何かがあった事は明らかだ。想定される可能性としては、捕獲、もしくは最悪の場合は排除……しかし「すり替え」という言葉とそして彼自身の発言内容を踏まえると、芹沢ユウジが澤谷さんを即座に殺害するとは考えにくい。むしろ「生かしたまま利用する」ことを前提とした措置──それはむしろ最悪の」
「ナオキ、よくわかんねぇ口調になってるぞ」
……いけない。思考がそのまま、口に漏れていたようです。
「風呂入ってくる。あんまり焦んなよ、そのかたっくるしぃ口調聞いてると頭痛くなるからな」
少年の方へ視線を向ければ、風呂には入らず適当に着替えを済ませて自室へと戻っていく。おそらく……ただ事ではない事を感じて「自分の相棒」の手入れでもしに行くつもりなのでしょう。相変わらず……察しのいい子ですね。
「残念ながら、君がこれから時間を費やすのは銃ではなく参考書です」
足を止め、けだるそうな視線を向けてきたダイスケ君に少しだけ微笑む。少年は大げさなため息をついてテーブルの上に積み上げられた参考書を手に、部屋に戻って行きました。
部屋の扉が閉まる音を聞きながら、音声から聞こえた「彼」の名前を思い出す。聞き違いではない、少女は確かに、彼の名前を口にしていた。
「イサム博士……あなたが、ハーモニア大学附属学院に……?」
*
【番外編】Ebeniza's Echo 完




