【番外編】Ebeniza's Echo② ―ボディガードの少年と妖精のお姫様―
私が作ったねこのしっぽブラウニーは、ひどいものだった。
思えば、この複雑な形状の再現にカスミはかなり奮闘していた。落ち込んでいる事に気付いていたのだろうか? アヤカは決して美味しいとは言えないブラウニーを食べながら、笑顔を浮かべた。
『妖精はね、パートナーの人に奇跡を与えるの』
初めて聞いた時は半信半疑だったが、私はすぐにその言葉を信じる事になる。エビニザの火災保険が認められ、仕事の融資先が見つかり……まるで奇跡が起きたかのように、私は成功者の道を進むことが出来たのだ。
奇跡。
それを目の当たりにして一時圧倒されたが、私の不安に気づいたのだろう。アヤカの周囲に「冷たい風」が吹いていた。彼女の不安や悲しみに反応して、精霊たちが起こす自然現象だ。
それに気づいた瞬間から、妖精の奇跡を疑わない事を誓った。
*
あれから2年が経ち、私の事業は都会の外れに豪邸を構える事ができるようにまで成長した。古い洋館のような作りだが、セキュリティは強固に作り上げている。その理由はもちろん……
「お父さん! 見て」
全ては私の宝物――アヤカを守る為だ。
アヤカのイメージに合わせてヨーロピアン調にデザインさせた中庭。そこでおやつを食べるのがアヤカの日課だった。屋敷専属のシェフが仕入れたはちきれんばかりに膨らんだ赤い果実は、11歳のアヤカの手の半分ほどの大きさだった。
「アヤカ、そのまま」
カメラ付きデバイスを向けると、苺を顔の横に添え満面の笑顔を浮かべてくれた。中庭のパステルを背景に微笑むアヤカは、本当に絵本から飛び出した妖精のように愛らしい。
カシャ
あの火事で、妻と娘の写真はほとんど燃えてしまった。焼け跡から奇跡的に残った、たった一枚を残して。だから私はアヤカとの思い出をたくさん記録する事にした。
――ふわりと、アヤカの周辺を淡い光が照らす。
「その光は、太陽の精霊さんかな?」
私が指さすと、アヤカは初めて会った夜と同じ柔らかな微笑を浮かべ、くるりと一回り。精霊の光で幻想的に映る白いワンピース。まるで……そう
「お姫様みたいだな」
こんな事を考えてしまうのは、恐らくアヤカをカスミの生まれ変わりだと信じていたからだろう。
一方で、ひとつ気になる事があった。
一般の人間が、アヤカの周囲で起こる自然現象を見た時の事だ。この光景が他の子にどう映るか、少しだけ心配だった――故に、私はアヤカを学校に通わせる事に躊躇していた。
*
ある日、融資の相談で屋敷を訪れたのは、芹沢ユウジという男だ。彼は学院長の代理として「ハーモニア大学附属学院」にアヤカの入学と学院への融資を検討してくれないかと話を持ちかけてきたのだ。
私は、エビニザの事件を機に孤児の支援に積極的に関わってきた。その理由の一つは、財布を擦った「あの少年」の深い悲しみを宿した瞳が頭から離れなかった事だ。
食事は? 親は? 勉強は?
私を暴行した大人、施設を放火した男……彼らは皆大人であり、嫉妬心や快楽に溺れ罪を犯した。しかし、あの少年は生きるために罪を犯したのだろう。
ハーモニア大学附属学院は才能ある子どもの支援に積極的だ。私の理念とも一致しているという芹沢ユウジの言葉に同意する一方、懸念するのはやはり、アヤカの特異な体質の事だった。
――サポートする存在が必要だが、大人のボディガードを学校に忍ばせるわけにはいかないだろう。
そんな私に、ある日転機が訪れた。
「羽瀬田リュウです、よろしくお願いします」
アヤカを学校に通わせる為、雇う事を検討していたボディガードの少年を屋敷に迎えた日。黒髪に深い青の瞳と陽に焼けた肌。私はすぐに思い出した――あの夜の少年だ。
「昔、闇組織で戦闘員をしていました。でも妹が死んで、組織を抜けました。酔った大人の財布を擦って逃げて……逃亡先橋本ナオキに保護されて、彼のすすめでボディガードを始めました」
――なるほど。この少年の目には、あの時の私が酔っ払いの男のように見えたのか。
失意の中をふらついていたのだから、足元がおぼつかなかったのだろう。あの金は、どうやら彼の逃亡費用になったようだ。少しだけ笑いが零れそうになるのを堪えながら、彼に問いかけた。
「なるほど、戦闘員としての力を、人を守るために使う。そう勧められたのだね?」
「はい」
腰を下ろし、目線を合わせる。人形のように表情を凍り付かせる少年に、私は軽く微笑んだ。
「君は今まで、戦いに身を費やしてきた。でも、それは過去の話……今の君の使命は、アヤカを守ることだ」
「はい」
「知識は力となるが、それを活かすには勤勉が必要だ。アヤカと共に学び、共に生きなさい」
「……」
どうして? と言いたげな顔をするリュウ。ボディガードは私的な質問を依頼人にしないものだ。彼はその規則に忠実に、質問を胸の内に留めているのだろう。
「真の英雄は苦悩を共有し、共に歩む。君もまた、誰かに守られていたのだろう? そういう大人になってほしいんだ」
障碍を持ちながら最後まで戦った、カスミのように。
大人の罪は大人の責任だが、子供の罪は大人が正しい道へと正してやるべきだ。彼に再び出会えたのは何かの縁か……もしかしたら、妖精の奇跡なのかもしれない。
「アヤカを、頼むよ」
そう、伝えた瞬間……少年の人形のような表情に一瞬決意のような光が宿ったような気がした。しっかりと頷いた彼を、私はアヤカのボディガードとして正式に雇う事を決めた。
*
リュウとアヤカのハーモニア大学附属学院附属学院入学が決まり、私は準備と仕事に追われ、今まで以上に多忙を極めた。
アヤカと過ごす時間は以前よりも減ってしまったが、そんな私の支えとなったのは、試用期間という面目で屋敷に滞在してくれているリュウが毎日書いてくれる「アヤカさんの成長記録」だ。
【アヤカさんは生物の授業が好きなようです。僕も興味があったので、実習も兼ねて中庭の花や生き物の観察をしました。彼女は虫も怖がらず自ら触れようとします。だからでしょうか? 彼女は地球上の全ての生物に愛され祝福されているような感覚がします】
11歳とは思えないほど整った文字。子供の行いから保護者の人格も見えるものだ。保護者の橋本ナオキという男は信頼できる人格者なのだろうと、素直に感心した。
そして、ある日の日誌にはこう書かれていた。
【アヤカさんが猫のしっぽブラウニーを食べたいと言っています。澤谷さんはどんなお菓子かご存じですか?】
そういえば事業が成功してから多忙になり、アヤカとブラウニーを作ったのは、あのひどい失敗の1回きりだった。覚えていてくれた事に心が温まる感覚を覚えながらレシピを記載した。すると……
【ブラウニーを猫の形に仕上げるには、専用の型が必要なようです。ですが、既製品ではアヤカさんの記憶の形状に近いものが見つからなかったため、自作を試みました】
【まずはスケッチから入り、アルミ板で型を加工。シェフの許可を得て厨房の一部を借り、数度試作を行いました。猫型に仕上げるのは想定以上に難易度が高いかもしれません】
【工程記録:
①生地の分量調整
②焼成温度と時間の再設定(160度→170度、18分→15分)
③耳の部分を独立させる分割方式に変更】
【恐らく80%ほどの完成度と思われます。もう少し上達したら、一度出来栄えをチェックして頂けないでしょうか?】
これを読んだのは、ハーモニア大学附属学院で入学試験の話をする前の待合室だ。
彼の純粋で生真面目な行動に、思わず笑いがこみ上げる。お蔭でタイミング悪くドアを開けた校長の代理人・芹沢ユウジに、にやけ顔を目の当たりにされ硬直されてしまう失態を起こしてしまった。
軽く咳ばらいをして「失礼」と一言。
「アヤカさんの成長記録」は、私の密かな楽しみとなっていた。
*
後日、シェフから「30回以上試作してましたよ」と苦笑混じりに報告を受けた。そんな彼のブラウニーがやっと完成したらしい。
「大分遅れて申し訳ないね。ハーモニア大学附属学院の入学試験に合格したお祝いだ、アフタヌーンティーをしようか。リュウ、君も座りなさい」
会場はアヤカのお気に入りの中庭。快晴の空の下、芝の上に設置されたテーブルと椅子に3人で腰かける。カスミの作ったブラウニーは一つ一つがいびつな形をしていたが、リュウが作ったブラウニーは、生真面目な彼らしくひとつひとつがまるで整列したように整った形をしていた。
「ほう、苺か」
カスミはりんごだったが、リュウが作ったブラウニーに練り込まれているのは、アヤカの大好きな苺だった。
「お口に合いませんでしたか?」
「いや、とても美味しいよ。君は料理もするのかい?」
「はい、保護者の橋本は……」
彼は言いかけて少し沈黙した。
「ナオキはいつも忙しくしてますし、ダイスケは料理が出来ないので……それに、妹によく料理作ってあげてたので」
子どもらしく振る舞うこと。それも私の望みだった。だって、そうだろう? 彼はこれから「戦闘員ではなく学生として」アヤカと一緒に学校に通うのだから。
……正直、大分堅い部分はあるが、それでも少しだけ子供らしい姿を見せてくれることが、私は嬉しかった。何故なら……
「アヤカ、口にブラウニーが付いてるよ」
リュウがナプキンを差し出すと、照れたように頬を染めるアヤカ。受け取る時に少しだけ指先が触れたのだろう、恥ずかし気に少しだけ視線を逸らした娘の表情は一際輝いていた。
*
お茶が終わり、中庭に歩いて行ったアヤカが祈るように手を合わせる。
ふわりと舞う風と共に中庭の木々が、花が、歌を歌うように揺れ、精霊の淡い光が舞い上がり幻想的な光景を作り出した。初めてその光景を目にした時のリュウは驚いていたが、今は……
「……妖精は人間が好きなんですね。アヤカさんを見ていると、そう感じます」
共に過ごして半年ほど。すっかり、アヤカという妖精を受け入れているようだ。
「リュウ君はアヤカをどんな存在だと思うかね?」
それは父親の些細なやきもちの言葉でもあっただろう。しかし、リュウは少しだけ沈黙した後こう答えた。
「アヤカさんはアヤカさん、ではないのですか?」
返す言葉もなく笑いを零す私。対するリュウは質問をしてしまった事にはっとして口をつぐんだ。
リュウは生い立ちこそ複雑だが、真面目でいい子だ。もしアヤカの恋が叶う事があれば、この少年を本当に屋敷に迎え入れる事を検討しても良いだろう。
……とはいえ。
「これでは将来が思いやられるな」
父としては、とても複雑な気持ちだ。そんなことをぼんやり考えながら、私は少しだけ大人になったアヤカの姿を思い描いた。
金髪に白いドレスはとても映えるだろう。ライトブルーの瞳は教会の光を受けキラキラと輝き、ステンドグラスを背景には精霊たちが祝福するように光を放つ。
あの日のカスミのように――美しく、輝いているに違いない。
「リュウ、もしアヤカに悲しい事があって落ち込むことがあったら、その言葉を言ってあげてくれないか?」
「アヤカさんは、アヤカさん……という事ですか?」
「あの子は普通の子供じゃない。特に精霊の起こす自然現象は同い年の子供達と暮らす事で衝突を生む事もあるだろう……その時に教えてあげてほしいんだ。アヤカはアヤカだと」
そう言って視線を少しだけ彼の方へ向けた。それに応えるように、リュウは頷く。
「はい。彼女の事は何があっても、僕が守ります」
決意のこもった言葉にほっとしながら、リュウと2人、アヤカの起こす幻想的な光景をしばし、眺めた。
「そういえば、明日ハーモニア大学附属学院の制服が届くと連絡があったそうです」
「そうか、明日は学院に融資の返答をする為に伺う事になっているんだ。その前にアヤカの制服姿を見たいね」
「アヤカさんも、同じ気持ちだと思います」
人懐っこいアヤカの事だ、制服を見て大はしゃぎする事だろう。その姿を見たら、ハーモニア大学附属学院に足を運ぼう。
明日は、あの男――芹沢ユウジとの交渉だ。
初対面の時、慇懃無礼という言葉が脳裏をよぎった。完璧なのに、何かが嚙み合わない感覚。もしこの違和感が正しければ、私はハーモニア大学附属学院の融資を拒むだろう。その上で、アヤカの入学を取り消すつもりだ。
……違和感の正体がわからない。だが、私は明日、真実を知ることになる。
そう思ってしまったのは、果たして父親としての本能か――それとも。




