レクイエム・オブ・アウリス
「私、レオ君と結婚するの。だからリュウと学校に行けるのは、あと1年。急な話でごめんなさい」
微かな微笑は静かな諦めが宿っているかのようで、結婚は本意ではない事がひしひしと伝わってくる。
2041年から16歳以上は婚姻届を提出可能となった。少子化対策の一環で新しく決まった法律だ。しかし誰もが可能なわけじゃない。
「確かに16で結婚は可能だけど、アヤカとレオ君は「結婚適正スコア」をクリアしたのか?」
「……」
精神的な成熟度をAIが判定する「結婚適正スコア」が一定以上である事が求められるはずだ……けど、恐らく結婚式は予定通り行われるんだと思う。
「アヤカは、それでいいのか?」
「私レオ君の事嫌いじゃないよ? 誰よりも寂しくて、誰よりも孤独なんだ。一緒に……生きていけたらいいな」
子猫を撫でながら少しだけ微笑むアヤカ。きっと本来の「結婚生活」とは遠い、形式的なものに過ぎないんだと思う。それは彼女もわかってるはずだ。
「見て、リュウ」
アヤカが指さすのは、ハーモニア大学附属学院の夜空……ではなく……
「なんだ? ガラスか?」
空にうっすらと膜が張ったようなきらめきが映った。僕が目を覚ました時にハルモニアが張っていたシールドによく似た電子的なきらめきを放っている。
「ハルモニアが外の世界とこの学院を遮断してるの」
「出られないって事か」
「外からは入れるけど、中からは出られないようになってるみたい」
「……攻撃が入ってきても、外に情報が漏れださないようになってるって事か。人の出入りも?」
「同じみたい」
防衛と強制的な介入を避ける為、僕たちは学院内に閉じ込められた事って事か。
外部からの侵入は許しても外に流れ出る事はない……本来なら完全に遮断する為のセキュリティだけど、世界樹の根の進行の防止に加えてサイバー攻撃の対応。処理が追い付けないのも頷ける。
「リュウ、お願いがあるの」
少し寂しそうに子猫を撫でるアヤカ。彼女の次の言葉は、容易に想像できた。
「リュウは何も心配しないで、学校生活を続けて」
今となってはこの言葉が重く心にのしかかる。アヤカがいつも僕に言っていた言葉だって言うのに。世界樹、ハルモニア、フェアリーヴィジョン現象……こんなの見せつけられたら誰だってわかる。
――「平和」な日常は、もう終わった。
学院内に閉じ込められた僕たちは、どうなるんだろう? アヤカとレオ君の結婚を急ぐのは、きっと何か理由があるんだと思う。
芹沢さんやシオン、イサム博士を含めた学院全体が、アヤカの犠牲を当然のように望んでる。それでも僕はアヤカを守る為に世界を変えてやるって、芹沢さんに宣言した。だから……
「もう、失いたくないんだ」
少し、昔の事を思い出した。影縫いに売り飛ばされ、ユメの持病が発覚し、処分されそうな妹を守る為に闇の仕事に手を染めた事。その記憶は今も心の中に深く刻まれていたはずなのに、僕は忘れていた。逃れる事なんてできないのに。
血の匂い――そして生と死が交錯する瞬間の感覚。僕は忘れていたんだ。あまりにも君と過ごす日々が心地よくて……「平和」だと勘違いしていたんだ。
「アヤカは僕が闇の組織の戦闘員だった事を、知ってる?」
「……」
沈黙するって事は、恐らく澤谷さんから聞かされてたんだろう。
「芹沢さんは僕のように戦闘員として働く子供たちの背中に「十字傷」を刻んだ。僕も……カレンも。今思えば、あの時から僕は平和な毎日を自分で捨てたんだ。妹を守る為と言えば綺麗だけど、決めたのは僕自身だ」
当時は父さんと母さんがいない事に泣いたりもした。もしかしたら忘れてしまっただけで、僕も世の中を恨んだのかもしれない。
「周りの大人は皆「余計な事は考えるな」って言ったよ。それに疑問を持つ事もなく大人も、子供も、躊躇なく殺した。それが倫理に反する事だとわかっていながら。妹を守る為だって言い聞かせながら。罪は、罪だって言うのに」
こんな話をして、アヤカは怖がらないだろうか? 少しだけ視線を向けると、澄んだライトブルーの瞳はまっすぐ僕の方へ向けられ、ほんの少しの恐怖も宿してない。少しだけほっとして、話を続けた。
「……でも、それじゃ……ただ言われるがまま任務をこなしているだけじゃ、駄目だったんだ。おかげで僕は大切な人を失って、今もまた失いかけてる」
自分の黒く染まった左手を見ると、少しだけ息が詰まる感覚を覚えた。あの時、レムのような化け物が一瞬見えた時に僕に向けたのは、深い憎悪だった。恐らくそれは、過去に処理してきた少数派の人間達の恨み、妬み――それに僕は「恐怖」した。
――こんな僕が誰かを守りたいなんて、身勝手かもしれない。それでも……
「はっきり言うよ。澤谷さんはあの日、僕に君を頼むと言った。そして僕は君を失いたくない、今度こそ守りたいんだ。でも、僕のわがままなら諦める。アヤカはどうなんだ?」
「私は……」
「レオ君と結婚して、世界の為に犠牲になりたいのか……?」
頼む、本当の気持ちを教えてくれ。僕は君のボディガード。君が望んでさえくれれば……僕は
視線を伏せ、軽く唇をかむ様子から彼女が迷っている事が伝わってくる。やっぱり結婚は本心じゃないんだ。そう、思った時――
Auris fel, ventis etera, nos alis.
――星空に微かな歌のような声が聞こえた。
誰が歌っているのかはわからないけど、どこかもの悲しさを感じさせるような歌だ。
「にゃあ」
子猫がアヤカの腕から飛び出し、テラスの手すりに座り鳴いた。もの悲しそうにふんふんと鼻を動かす子猫の瞳が、月の光に照らされて「花」のような文様を映し出す。
「この言葉はね、妖精の言葉。アウリスフェルって言うの」
妖精の言葉――そういえばアルトさんも言ってたな。200年ほど前に、ある科学者が妖精と人間を繋ぐために作った言葉だって。
歌に気付いたのだろうか? 学生寮の窓から外を見て花壇を指さす生徒もいる。
「見て、リュウ」
アヤカが指さした先には、池の向こうに見える花壇。そこからはぽつぽつと光が灯っている。暗闇にゆらめく炎のように、神秘的で綺麗な光だった。
「あの光は……妖精エネルギーの摩擦か? 何かの形にも見えるけど、なんだろう?」
「盾みたいな形に見えるね」
一際強い光を放つパンジーがあるのは、あの日タクミ君がスケッチをしていた場所だ。たった2日前の事だって言うのに、まるで遠い昔のように思えた。耳を澄ますと、心に響くような言葉が響いてくる。
僕の為だろう、歌に合わせてアヤカが言葉を重ねてくれた。
Auris fel, ventis etera, nos alis.
エーテルの風よ、我らを包み守れ。
Anima vana, tacita prece.
儚き魂よ、静かな祈りと共に。
Scutum lapis, lux per noctem.
石の盾よ、夜を貫く光となれ。
Radix arbor mundi, cantum auris refer.
世界樹の根よ、アウリスの歌を響かせよ。
Arma relinque, bellum vita repudia.
武器を棄てよ、命のために争いを拒め。
Ira desine, fatum converte.
怒りを止めよ、運命を転じよ。
Ambula lucem, via quam monstrat spiritus.
光を進め、精霊が示す道を辿れ。
Nos flores, aeternam veritatem cantabimus.
我ら花は、永遠なる真実を歌い続ける。
「にゃあ、にゃあ……」
繰り返し空に響く歌声に何度も鳴き声を上げる子猫。アヤカがそっと抱きしめたけど、視線は変わらず空を見つめたままだった。
「まるで鎮魂歌だな、誰が歌ってるんだろう」
「花が、歌ってるみたい」
花――パンジーの花に混じって、光を放つあの花の事だろうか。アヤカと歩いた時は普通の花畑に見えたけど……。
「明日、あそこに行ってみようか。どんな花が咲いてるか気にならないか?」
「……」
「何かあったのか?」
様子がおかしい。アヤカはあの花壇が大好きだったはずなのに。
「私の起こす風や熱が、邪魔って言われちゃったの。今まで変だと思ってたけど、澤谷さんのせいだったんだねって。快適に過ごしたいから傍に寄らないでほしいって」
「そんな事、誰が」
「リュウが倒れた日、校舎に戻る時……生徒の皆が言ってるのが聞こえたの」
そういえば、ダイスケがあの日から一週間アヤカの姿は見てないと言ってた。理由はもしかして……
「それで、ここに閉じ込められてたのか?」
「閉じ込められてたんじゃない、私が勝手にここにいたの。ここにいれば世界樹にエネルギーを効率よく渡せるし、皆の迷惑にもならないから」
「不用な者アンケート」には何の拘束力もない。それは芹沢さんの言ってた通りなんだろう。でも、皆の共通認識はできてしまったって事か?
――妖精のアヤカを犠牲にしてもいいという、共通認識が。
恐ろしいと思うのは、僕だけなのだろうか?
ガーデンスペースへ視線を向けると、中央部屋には簡素なベッドと机、椅子が配置されてる。どうやらここが新しいアヤカの部屋になってるみたいだ。
「まるで牢獄だ。それでも君は人が好きだって言えるのか?」
「私達妖精は、人の感情に反応して精霊が発生させるエネルギーを集める存在。ずっとずっと昔から。だから人の心が大好きだし、私はみんなの役に立てるのが嬉しい……かな。それに「人を過ぎた痛みから救ってくれる妖精」もいるんだよ? だから、大丈夫」
「過ぎた痛みから救ってくれる妖精」――もしかして、その妖精の奇跡がアヤカの記憶を奪ってたのか? だから大丈夫だって?
……そんなはず、ない。心の傷は永遠と蓄積して、いつかアヤカを壊してしまう。これが彼女の本心だとしても一つだけ矛盾してる。だって、アヤカは……
「本当は学校に戻りたいんだろ? 皆とまた笑いたいって、そう思ってるんじゃないのか?」
「それは」
「レオ君と結婚したら、どっちにしてもここに閉じ込められるんだろ? それまでは普通に学校生活を送ってもいいはずだ。僕に出来る事なら何でもするから……一緒に考えよう」
結婚したら彼女は卒業を義務付けられるだろう。その後はこの部屋で永遠に「搾取」される事は容易に想像できた。それまでの間、ずっとここにいて出て来るなだなんて、あまりにも横暴だ。
ユメ、太陽の精霊、タクミ君……僕が今ここにいるのは、守ってくれた人がいるからだ。そして、今もアヤカに守られて、このハーモニア大学附属学院にいる。
僕は彼女に何をしてあげられる? また、守られるだけで終わるのか……?
「そうだ、この部屋はだいぶ殺風景だよ、アヤカの部屋は植物がいっぱいあっただろ?」
本来は花や木々に囲まれ華やかなガーデンスペース。でも今は枯れた花々で覆われ、まるで廃墟のようだ。
「あのリンドウがいい。明日ここに持ってくるよ」
「でも、ここに来れるのは一部の生徒だけで」
「僕は壁をよじ登ってきたんだ。同じようにしてここまでくればいい」
「壁を……登る?」
驚いたように声を上擦らせたアヤカに、僕ははっきりと伝えた。
「うん、毎日壁を登って花を届けに来る。……どうかな?」
きょとんとしたアヤカ。そして一瞬流れた沈黙。
……何か、問題ある事でも言ってしまったのだろうか? そう思った瞬間額に冷汗が滲んだけど、直後……アヤカが弾けるように笑いだした。
「あはははは……リュウってば。本当にそういう事本気で言うんだから」
笑って、くれた……?
彼女の顔は涙でぐしゃぐしゃだったけど、それでも笑ってる。僕の好きな……アヤカの、笑顔だ。
「僕は本気だ。明日も、明後日も、その次も……届けに来る。ここをアヤカの好きな花でいっぱいにしよう」
間違ってない。なら、何度だって伝えよう。君をこんな目に合わせた人間の1人である僕がこれを言うのは、ただのエゴだ。でも、心の底から思うんだ。
「君に笑顔でいてほしいんだ」
励ますと言うより、僕自身の強い願いだった。
笑っている君が好きだ。それに反応して精霊たちが吹かせる心地よい風に喜ぶ君が好きだ。気が付いたら心に寄り添って、自然と励ましてくれる君が……好きなんだ。
情けない事に、婚約者がいるアヤカにこれを直接伝える事は出来ない。
でも僕は、これからも君を守り続ける。形式上は違っても……僕の意志は変わらない。
「何があっても、君を守るよ。ボディガードとして……君を守りたいんだ」
夜空に響く歌声と共に、少しだけ暖かな風と、小さな光が舞った。アヤカが「嬉しい」と思った時に精霊たちが起こす現象だ。同時にライトブルーの瞳が潤んで、微笑を浮かべると共に大粒の涙がこぼれ落ちた。
ああ、笑ってくれた。それで十分だ。
……
気が付けば歌は消え、月の光と妖精達の淡い光が静かに光を灯すハーモニア大学附属学院。花を興味深げに見ていた生徒達は窓を閉め明かりを消した。
「わあ!」
あたりに一際強い光が現れ、アヤカが声を上げた。
彼女も初めて見る現象だったんだろう。精霊のエネルギー摩擦ともハルモニアの電子的な光とも違う『星のような輝きを放つ光』が僕とアヤカを囲むようにキラキラと輝き、彼女のライトブルーの瞳に星のような輝きを反射させた。
そして、僕とアヤカの間に小さな淡い光が舞い降りた。
「リュウと初めて会った時にいた、太陽の精霊さんだね」
つん、とつつくと、まるで「喜んで」いるかのように彼女の手のひらの上で光を強めた。それに微笑むアヤカを見ながら、僕はふと思い出した。
「そうだ、教えてほしい事があるんだ」
「なに?」
「Valgasって、どう言う意味なんだ?」
聞いた瞬間、一瞬アヤカの頬が赤く染まる。
「教えてくれ……頼む」
ためらいながら目を逸らす彼女の肩に手を置き、いつもアヤカが僕にしてくるように、じっと瞳を見つめた。やがて根負けしたようにため息を漏らした彼女は小さな声で呟く。
「私のお母さんが、お父さんに伝えた言葉なの。っていっても……私、生まれたばかりで、その時の事あんまりよく覚えてないんだけど」
「それは、アヤカの本当の両親?」
アヤカは小さく頷くと、細い指を伸ばして僕の頬にそっと触れた。ライトブルーの澄んだ瞳がまるで心の奥まで見透かすように、じっと僕を見つめる。不思議と胸が落ち着く――いつもの、あの感覚だ。
「私にとってのValgasはね……」
言葉を一瞬飲み込み、小さな吐息を吐く。そしていつもの柔らかは微笑を浮かべた。
「……リュウだけ。そういうこと」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が強くひとつ鼓動を打った。
いつか僕は、この虚無から抜け出すことができるのだろうか?
心を殺し、感情を捨ててきた僕に、人を愛する資格はあるのか?
今まで何も知らなかった。ただがむしゃらに目の前の事をこなしているだけだった。
その結果失ったものは大きかった。
でも『星のような輝きを放つ光』とともに現れた太陽の精霊を見ながら、僕は改めて思った。
今度こそ守りたい。君だけは、絶対に。
――そして。
『星のような輝きを放つ光』がアヤカの胸元に降り注ぎ、彼女が優しくそれを抱きしめた瞬間――少しだけ『鼓動』のような音が聞こえた。まるで新しい命が誕生したかのように。
「彼女」の誕生、それこそが全ての始まりだった。
(第一部・完)
数ある作品から本作を読んで頂き、ありがとうございます。
第一部終了です。
次回は番外編過去編です。アヤカと澤谷さんの過去について書く予定です。その前に人物紹介も挟むかも……?
また来週の金土日のどこかでアップします。
もし続きがよみたいと思って頂けましたら、下の☆☆☆☆☆を★★★★★に変えて応援してくださると今後のモチベーションになりますm(__)m
【ちょっとした補足】
学院のサイバー攻撃に対するハルモニアの対応について。
外部からの通信やSNSの閲覧は許可していますが、内部から外部への情報送信や投稿は完全に制限されています。これにより学院内の機密情報及び世界樹の情報が漏れないようになっています。また、外部から学院内への物理的な入場は可能ですが、一度入ると安全管理上、外へ出ることは許可されていません。




