マザーAI・ハルモニア ―鏡であり、守護者であり、試練であり、あなた自身―
目を覚ますと、星空とそれを遮る大きな硝子のドームが視界に映った。
「ここは……?」
僕の声と共に、ふわふわと淡い光が舞い上がる。手のひらに乗るくらいの大きさの光――精霊か?
身体を起こすと、夜の静けさに包まれたハーモニア大学附属学院がある。あたりに舞う光がハーモニアレイクに反射して、幻想的な空間が広がっていた。
「よぉ、目が覚めたか?」
馴染みのある声に振り向くと、狙撃銃を持ったダイスケがガーデンスペースの隅に座り込んでいた。
「仕事中?」
「バーカ、お前の護衛だよ。一週間もここで眠り続けやがって」
「一週間……!?」
僕はあの後一週間この場所で気を失ってたって事か? 思わず声を上げた僕にダイスケは薄く笑った。
「お前を助けてくれたのは、そいつだ」
彼の指さす先には――世界樹の枝葉から洩れる光に溶けるように、淡い光を放つ女性。
深緑を思わせる緑色の瞳、透き通るような白い肌、背中から伸びる電子的な光を放つブルーの羽。体全体が時折ノイズのような光をちらつかせた。
そして……
「あの髪色……」
淡い色素にほんのりピンクのかかった、特徴的な色の髪。僕の妹のユメの髪色と、よく似た色だ。
「妖精? 人型の……」
――でも、一目でわかった。彼女は妖精とは違う存在だと。
『エネルギー源の覚醒を確認。シールドを解除します』
彼女が両手を広げると、ガーデンスペースを覆っていた硝子のドームが音もなく砕け、彼女の手のひらに集まっていく。細く長い指先に集まったそれは水晶玉の様な球体へと変化し、その中にはらはらと木の葉が散る様子が映し出されてる。
「あれはこの学院を管理するマザーAI・通称ハルモニアが妖精と合体した姿だってさ。お前のスマロAIもそうなんだろ?」
ダイスケが言ってるのは、すニャいむの事だろう。
「どうしてそれを?」
「勝手に起動してさ、お前の事すげー心配して、いろいろ教えてくれたぞ」
「そう、なのか」
なんだろう、胸がくすぐったいような変な感覚だ。
「ダイスケのスマロも、妖精と同化を?」
「ああ。俺だけじゃなくて、学園の2割くらいの生徒がそうみたいだぞ。確か、カレンもだな」
ダイスケが自身のスマロをつけた左手首を指さしながら、上空に浮かぶ女性を見上げた。
可視化された世界樹が浸食するように根を伸ばす高等部校舎。それを背景に浮遊するマザーAI・ハルモニア。
『私は鏡であり、守護者であり、試練でもあります。私が示すのはあなた自身。私が与えるのはあなたの選択』
「彼女のエナジーソウルメイトは?」
「エナ……なんだそれ?」
「僕とダイスケみたいに、妖精ととスマロゲームをしてAIと同化した妖精のパートナーの事だよ。マザーシステムがあの姿でいるって事は、この学院の誰かと共感して姿を変えたのがあの妖精なんだろ?」
「さあな? お前が倒れた時にいきなり現れたからな」
エナジーソウルメイト不明……スマロと同じ経緯であの姿になったなら、この学園の誰かって事だけど……一体誰が?
「ダイスケ、この一週間で一体何が」
その時、ダイスケが突然僕の方へ銃口を向けた。
「一体何を――!?」
「黙ってろ。お前じゃねぇ」
彼の瞳が僕を通過し、橋の向こうを鋭く睨んだ瞬間――僅かな発砲音を響かせ、サイレンサー付き狙撃銃の弾丸が僕の耳元を通り過ぎた。振り返った先には銃を向けるカレンの姿があった。
「あいつはお前を仕留める為に、ずっとあそこで狙ってたんだ。手短に話すから、よく聞けよ」
ダイスケの声がいつもより低い。一体何があった……?
「マザーシステムは、お前が生み出したエネルギーを使って世界樹の浸食を食い止めてる。けど、そのせいでこの学院のセキュリティが手薄になった」
「手薄に?」
この学院のセキュリティは、AIにより強固に固められている。世界樹の侵食――それを止める為、セキュリティに対する処理能力が落ちたと言う事だと思う。
「世界中が、あの樹のエネルギーを奪おうと動き出してる。生徒たちが面白半分で、あの樹とアヤカを撮影して世界中に拡散したせいだ。おかげでこの学院は一週間で全世界の標的になった」
拡散? そういえばアヤカが精霊の風を吹かせてる時に、写真や動画を撮る生徒がいたな。彼らがあれをSNSにアップしたって事か。
「アヤカは?」
「あれから姿を見てねぇ」
カレンが走ってくるのを確認したダイスケが狙撃銃を背中に背負い、ハンドガンを取り出した。
「あいつは俺が引き受けるから、アヤカを探せ!」
その言葉を最後にカレンの方へ走るダイスケ。僕は頷いて反対側から高等部校舎の方へと走り出した。
マザーシステムは僕とダイスケ、そしてカレンを何も言わずに見ている……いや「見守ってる」と言った方がいいのだろうか?
「彼女は一体何を考えてるんだ……?」
学院内のセキュリティを管理するマザーシステムなら、今のダイスケの発砲や、深夜に学院に向かう僕を追跡するはずなんだけど、彼女は何もせず、上空から見下ろすだけだった。
橋を渡り終えた僕は、高等部校舎の前で息をついた。何の手がかりもないこの状況で、どうやって彼女を探したらいい……? 真っ先に思いつくのは、あの地下研究所だけど……。
『リュウ』
スマロが自動的に起動し、ホログラムにすニャいむが現れた。
「スマロ、アヤカの場所を調べられないか?」
『アヤカの場所はセキュリティにより特定する事はできません。ですが』
すニャいむがホログラム上でぽよぽよと跳ねた。何かいい案でもあるのだろうか?
『私は「掃除の妖精」です。持ち主の「失くしものを届ける奇跡」を起こすことが出来ます。リュウ、あなたは何かアヤカの持ち物を持っていませんか?』
持ち物……そういえば、アヤカが言ってたな。失くしものが急に見つかった時は、掃除の妖精がそっと近くに置いておいてくれるんだって。
「これは使えるかな?」
ポケットから取り出したのは、あの日アヤカが僕に渡してくれたリボン。それを見たすニャいむが耳をぴくぴくと動かした。
『充分です』
ぷるぷると体を小刻みに揺らすすニャいむ。すると、彼の後ろに淡い光が集まり、まるで左半身に「片翼」が現れたかのような光が集まっていく。
「その姿は?」
『奇跡起動時の特別モードです』
奇跡と起動……ネーミングが気になるのは置いておくとして、どうやら妖精の奇跡を起こす時は姿が微妙に変わるらしい。半分AIだから、片翼なのだろうか。やがて、同じような光がアヤカのリボンを包み淡い光を放った。
『光の強い方へ向かってください』
言われた通りリボンの放つ光が強い方向を探す。すると……
「高等部最上階か」
校舎はこの時間は施錠されている。壁をよじ登るしか方法はないだろう。でも、この学院をパトロール巡回するドローンAIの監視が問題だ。壁をよじ登るなんて目立つことをすれば、不審者と判断されるのは目に見えてる。
『リュウ、安心してください。リボンを持ち主に届けるまでは、妨害対象から除外されるようセキュリティに介入しています』
「奇跡の力でドローンが僕の姿を見つけることが出来ないって……そんな事があるのか?」
『妖精の奇跡を信じてください』
奇跡を信じる。
あたりを見回せば、世界樹に湖に映し出された精霊界。ハーモニアレイクの上を飛び回る妖精達に、学園全体を見守るかのように浮遊するマザーシステムの妖精がいる。
「こんな光景を目の当たりにして、信じるなって方が無理があるな」
少しだけため息を吐き、僕は高等部校舎入り口の列柱に手を伸ばした。幸いさまざまな彫刻が施された柱には、指をひっかける場所が無数に存在する。少し高さがあるけど、これくらいなら問題ないだろう。
そして左手を伸ばした時、左手首が月の光に照らされた。
「手が……」
左手首が大きな火傷の後のように黒く染まっている。
Elect'ra rezonansを発動中、黒く染まった部分だ。ダイスケが来てくれなかったら、あの時化け物になっていたかもしれない。
スマロを見せてくれた時、彼の左腕は特に変化はなかった。その事に少しほっとしながら、列柱を昇り切る。10メートルほどの高さのある庇の部分から少しだけ見下ろすと、ハーモニアレイクに映し出された精霊界の幻想的な風景が良く見えた。そして、橋の上ではダイスケとカレンが銃を持ったままにらみ合っている。
「大丈夫だ、銃撃ならダイスケの方が優勢だ」
自分に言い聞かせるように呟いた時。機械羽の音が聞こえ、ドローンが僕の姿がまるで見えていないかのように2メートル程脇を通過していく。
『リュウ、安心しましたか?』
どうやら「掃除の妖精の奇跡」は本当みたいだ。とはいえ、セキュリティをこんなにも簡単に通過できるなんて、隠密を仕事としてきた僕には不思議な感覚だ。
「うん、妖精の奇跡って凄いな」
『今回は前例のない方法だから通用する事です。2回目以降はセキュリティがこれを学び、対策を施してくる事を覚えておいてください』
「アヤカは無事なのか?」
『奇跡が発動するということは、少なくとも生存している事は断定できます』
タクミ君の時はすぐに地下研究所に送られて、半日後に彼は命を落とした。一週間という時間経過が心配だったけど、とりあえず彼女が生きてる事だけでも確認出来てほっとする。
「アヤカ……」
少しだけ息をつき、今度は窓沿いに更に上へと昇っていく。
辿り着いた最上階テラスは、丁度世界樹が浸食する根の元だった。
普段は緑と花に囲まれたその空間に、今花は咲いていない。代わりに生気が奪われたかのように、枯れた花が無惨に転がる。そして、祭壇のように設置された中央部屋には……
「アヤカ!?」
アヤカは部屋の椅子に拘束されていた。彼女の目の前にはタクミ君が描いた絵画。そして
「おや、目を覚ましたのですか」
少し俯いたその顔を隠すような、肩にかかるくらいの白髪。夜の闇に隠れたその顔は口元だけ笑みを浮かべ――シオンは僕にの前に立ちはだかった。




