救出
作業倉庫内で、見張りの男が持つデバイスのホログラムだけがうっすらと光を放つ。
――「嫌だ」
幼少時から愛用しているナイフ・コンパクトブロントを握り直すと、胸の奥底から湧き上がる「嫌悪感」が一瞬体を支配する。妹を失い、孤独と恐怖から逃げ出したあの日からずいぶん経つけど、この感覚が消える事はない。
「余計な事は考えるな。今はただ――邪魔だ」
「ゼロの領域」は任務の為に作り出す、感情や雑念を排除した絶対集中的な状態だ。瞑想から学んだ一定の呼吸状態に入ると、失敗への不安や恐怖、音や感覚も消え去り、残るのは目の前の「任務」だけ。
金属の重苦しい音と共に、業務用倉庫の出口が開いていく。
狙うは相手の注意が一点に注がれ時生まれる「死角」――暗い倉庫にさす光に男の視界が向けられた瞬間、目の前の世界が静止したかのように感じた。
――今だ!!
一気に走り腰を低くして背後へ。僅かな足音に男が振り向いた先の180度対角になる場所。
姿を見せず、背後から接近し、気付かれた時には終わらせろ。違和感を感じた男が振り向く。それが「獲物」の全てが終わる瞬間だ――!!
「扉を閉めろ」
顔を引きつらせたまま視線だけ後ろに向けようとした男。喉元に当てたナイフを軽く皮膚に寄せると、額に汗を滲ませ、握りしめたハッキング用デバイスを操作し始めた。
扉が閉まり始めたのを確認し、男の首元に手刀を下ろして気絶させると、逃走用らしい車のバンパー下のステアリング制御配線にナイフを滑り込ませる。完全に切断はしない、細かい振動で断線するように僅かな傷をつけるだけでいい。
コツ コツ
数人の足跡が聞こえて元居た荷物の影に身を隠した。
「――おい!! どうした!?」
現れたのは4人の黒服の男。1人がセミロングの金髪の女子生徒――アヤカを背負い、3人はナノカーボン式のサイレント銃を所持している。アヤカに外傷がない事を確認して少しだけ安堵しながら、彼らの動きを観察する。
3人の視線が左へ、1人が右へ。その瞬間前に出た。
右に視線を逸らした1人が突如目の前に現れた僕の姿に驚愕する。銃口を裏拳で軽く弾き、踏み込んで腹に強烈な肘の一撃。苦痛を訴える声と共に骨の軋む音が聞こえた。
――折れた。これでこいつは呼吸が乱れる。
一瞬の呼吸困難は、相手の冷静な判断力を奪う。間髪入れず同じところにフックを叩き込むと、吹き飛んだ男が壁に叩きつけられた。
「何だッ!?」
戸惑う男たちの視線は男が叩きつけられた壁の方へ。その隙に再び物陰に身を隠した。接近から奇襲、仕留めるまではおよそ3秒。過去の訓練通り体が動いている事にほっとしながら、次の手を考える。
「……クソ、どこに消えた?」
「狙われてる、気をつけろ!」
自分が「獲物」になった時の恐怖は、僕自身も体験したことがある。背筋が凍り付き、一気に血の気が引き、肌が一瞬でざわついていくあの感覚は、できれば二度と体験したくない。目の前の男達は、今まさにそんな感覚なんだと思う。
狙いは恐怖の拡散――こうなると、ターゲットは冷静な判断を徐々に欠いていく。これも過去の訓練で習った通りだ。
アヤカを背負った一人がデバイスを持ち再び扉の解除を始めた。それを壁沿いに守るように銃を構えた2人が周囲を見渡している。
マザープログラム再起動まであと3分。逃しは、しない。
足跡を立てないよう移動する術も過去の訓練通り。目標は彼らの上――倉庫の鉄骨梁。
高さ3メートルの位置から彼らを見下ろしながら、鉄骨のネジを1つナイフで外し放り投げた。すると彼らのすぐ横でコンクリートが金属音を立てた。
「そこか!?」
反射的に2人の銃が音の方へ向けられ、その瞬間飛び降り1人の頭上から首元への強打。事態を把握する間もなく男が倒れ、そのままもう一人の男の腹目掛け蹴りを繰り出す。でもその一撃は咄嗟にガードされ、再び物陰に走った。
残るは2人。アヤカを背負う男、そして今僕の一撃を止めた背丈190センチ程の大柄な男。あの男は少し厄介かもしれない。
「おい! どこに隠れてるか知らねぇが、この娘の命が惜しかったら姿を現せ!!」
アヤカに銃を向けた大柄な男の声が倉庫内にこだました。奴らの目的は彼女の捕獲だろう。手を出すとは思えない――けど。
「あ? ガキか?」
制服を着た僕の姿を見て、男は一瞬困惑する。
「ここの学生か。この嬢ちゃんはお前のガールフレンドってとこか?」
茶化すように銃を向ける男。その後ろで解除が完了した倉庫の扉が再び動き出し、倉庫内に陽光がさしこむ。
「マザープログラムの再起動まで、あと2分だ」
「わかってるって。このガキを始末したらな」
アヤカを背負う男は急足で僕の横を通り過ぎ、後方の装甲セダンの助手席に彼女を押し込んだ。
「アヤカを返せ」
「そうはいかねぇな、俺たちはあの娘を捕らえるよう依頼を受けてる。残念だが諦めな」
車のエンジン音が響く、倉庫の扉が開いたらここから逃走するつもりだ。その前に目の前の男を倒して、逃走を阻止しないといけない。――時間が、ない。
「降参だ」
ナイフを持ったまま両手を上に上げる。男の銃は約5メートル先で僕の心臓を捕らえたままだ。
「ナイフを床に落としな、小僧」
言われた通り手の力を緩めると、ナイフがゆっくりと手から滑り落ちる。金属がコンクリートの上を跳ねる音が響いた瞬間男の視線が一瞬ナイフの方へ――今だ!!
姿勢を落とし、弾んだナイフを拾い上げて低い位置からの接近。発砲された銃弾は右肩をかすめて僅かな傷を刻んだ。
距離はおよそ1メートル。舌打ちと共に顔面に向かってくる蹴りをスライディングで回避し背後へ。男が裏拳を繰り出し僕は肘を振りかぶった。
「ガハッ……!」
僕の肘が一歩早く脇腹を捕らえ、巨体が一瞬ぐらついた。そのまま同じ所に膝の追撃。膝から崩れ落ちた男から銃を奪い、突きつけた瞬間男が叫んだ
「行け!!」
――まずい。
フルスロットルで走り出した装甲セダンのタイヤの音が響く。男の首元に銃底を打ち込み気絶させ、走り出した車の前に立ちはだかった。
銃を数発撃ったけど、装甲車は銃弾を弾き飛ばしながら直進してきた。
「終わりだ」
ボンネットに飛び乗ると、視界を奪われ、焦った運転手が僕を振り落とす為にステアリングを激しく切った。直後――
『異常運転検知。緊急停止システムを作動』
「くそっ、何だ!? う、動け!!」
激しいブレーキ音と共に車体が激しく揺れた。ステアリング制御配線にはさっき傷をつけておいた。それが急ハンドルで全損したんだろう。ルーフエッジに捕まりそれに耐え、停止したところで再びAIの音声が流れた。
『衝撃を検知。安全プロトコルを発動。緊急脱出システムを作動します』
電子音と共にロックが解除され、ドアのヒンジをナイフで破壊しこじ開ける。そのまま男の顔面にストレートを叩き込み、気絶させ引き摺り出した。
「アヤカ!!」
意識はないけど無事みたいだ。ほっとしたところで車内に落ちているデバイスが目についた。
『不気味な地下研究所で「ネーファスプロジェクト」が行われている。中心人物である澤谷アヤカを捕獲せよ』
「ネーファスプロジェクト……?」
侵入者計5人は気絶、車は機能停止。この音を聞いて誰かが駆けつけてくるのは時間の問題だろう。
マザーのセキュリティの復旧までは、あと1分。その前に僕たちの在籍する中等部まで戻らないといけない。デバイスをポケットに入れてアヤカを背負うと、僕はその場を後にした。
数ある作品から本作を読んで頂き、ありがとうございます。
もし続きがよみたいと思って頂けましたら、下の☆☆☆☆☆を★★★★★に変えて応援してくださると今後のモチベーションになります。