アヤカを救う為なら、何だってする
ふと、12歳の春のことを思い出した。アヤカのボディガードを務めて間もない頃の事だ。
その日のアヤカはハーモニア大学附属学院に入学が正式に決まり、いつものように体を左右に揺らしながら、嬉しそうに入学式の準備をしていた。
コン コン
扉を叩く音と共に、澤谷さんが部屋に入って来た。
「お父さん! 見て!」
アヤカは制服を手にくるりと一回転し、それを見た澤谷さんは目尻を下げ、やさしく微笑む。
「とても似合っているね。さて、アヤカは学校で友達が何人出来るかな?」
「うーんとね」
澤谷さんとアヤカがぴたりと視線を合わせ、小さな間の後、声を重ねた。
「「100人!」」
弾けるような笑い声が部屋に響いた。澤谷さんは小柄なアヤカをひょいと抱き上げ、宙に浮かせた。
「もう12歳か、大きくなったね。お父さんはこれからハーモニア大学附属学院に用事がある。リュウの言う事を聞いて、いい子にしているんだよ」
「うん。帰ってきたらいちごのパフェ、一緒に食べる約束だよ?」
「もちろんだ。リュウ、アヤカを頼んだよ」
「お任せください、澤谷さん」
澤谷さんはアヤカを溺愛し、アヤカもまた、澤谷さんを深く慕っていた。妖精とエナジーソウルメイトという間柄以上に、2人の間には深い信頼を感じていた。
澤谷さんは度々融資の相談を受けては各地へ足を運んでいた。今回のハーモニア大学附属学院への支援についても、アヤカのためならば前向きに検討する――当時の僕は、そう信じて疑わなかった。
けど、澤谷さんが戻ってきた昼過ぎ。彼がこう言った。
「……融資は断ったよ」
それ以上は語らず、アヤカは何故かいちごのパフェの事を一言も口にしなかった。
そして、アヤカはその日からたびたび僕に言うようになった。
『ボディガードのリュウもかっこいいけど、私はもっと学生のリュウを知りたいな』
嬉しく思う一方で、そのたびに自分に言い聞かせた――「職務を全うするんだ」と。
その一方で、心の奥にはユメに絵本を読み聞かせていた時のような、暖かな感覚を感じていた。
彼女のその言葉の本当の意味を、知らないまま。
――そして、2年半という月日が過ぎた。
*
高等部中庭全体が、世界樹の枝葉から零れる光や妖精達の光に照らされ、それは幻想的な光景に映った。その姿が反射する「ハーモニアレイク」の向こうには、まるで神話の一頁のような、広い草原と大樹が反射している。
けれど、僕たちはその美しさに思いを馳せる余裕なんてなかった。
――3分。
「ねえ、これどうすればいいの?」
「誰かの名前を入れるって事……?」
突然始まった「不用な者アンケート」はにざわつく生徒達。
このタイムリミットが尽きる前に、僕たちは回答しないといけない。刻々と減るタイマーを横目に見ながら、僕は一息吐き、情報を整理する事にした。
地下研究所カイデスで起きた実験――「不用な者の選定と犠牲」の目的は「終焉の夕陽の妨害」だと、芹沢さんは言っていた。けど、本当にそれだけなのか?
ターゲットは最初からタクミ君と決まっていた。それは芹沢さんとの会話と、その後のレオ君の言葉から、ほぼ間違いないだろう。けど、あくまで「タクミ君が自ら犠牲になる事」にこだわったのは……どうしてだ?
これは、意図的なものなのか?
【残り2分30秒】
「私を選んで、リュウ」
アヤカは地下研究所の一連の出来事の記憶を失っているけど、この落ち着きようは異常だ。意図が明確でない、ましてや「不用」なんてワードに自分を選べだなんて。
「アヤカ、君は何かを知ってるのか?」
「……」
アヤカ派何も言わず、まっすぐと僕に視線を向けている。そんな僕とアヤカの間に割って入るように、シオンが口を開いた。
「負のエネルギーが蓄積され、エネルギーが不足した世界樹が不足を補うために姿を現しました」
シオンの声は告解のように静かだった。
「それを止めるには、良質なエネルギーの供給が必要です。しかし、我々の発電システムでは、到底それに届かない……」
発電システム……?
「スマロゲームの事か?」
「ええ、その通りです。博士は何年も前から、ゲームによる発電を政府に提案していました。しかし、それが受け入れられる事はなかった。そして、研究成果を盗まれた事で、彼の研究は中断せざるを得なくなったのです」
研究成果の盗難――そういえば、スマロが言っていた地下研究所から盗まれた最高傑作のクローン――「キッド」……それと関連があるのか?
「その結果が「終焉の夕陽」であり「フェアリーヴィジョン現象」であり「世界樹の可視化」――人間による不足は人間が補え。それが世界樹の意志なのでしょう」
――世界樹が姿を現したのは、負のエネルギーの蓄積が原因。
どういう事だ? この話を聞く限り、シオンとイサム博士。芹沢さんですら、世界をエネルギー危機から「救おう」としているように聞こえる。
【残り2分】
「……ご覧なさい。世界樹の根を」
シオンに言われるがまま、湖に視線を向けた。
湖に映るのは、高等部の校舎ではなく……広い草原に力強く根を張る大樹。空に向かって伸びゆく枝が、まるで天を掴むかのように広がる、大きな樹だ。
「……そちらではありません」
シオンが指さしたのは、樹の根元。
色鮮やかな花々が美しく咲き誇り、時には地面の下が透けて見え、都市を空から見下ろしているような景色が広がっていた。でも、次の瞬間――
「――え?」
透けた都市の向こうは広い「闇」が広がっていた。その中で蠢く“何か”――どす黒く輪郭が溶け、醜い……見覚えのある形だった。
「レム」……そう、あの怪物によく似ている。
「人の負のエネルギーは、あのように世界樹の根元で浄化を待つのです。我々はあれを「世界の闇」と呼んでいます」
「闇を……浄化?」
その時、今朝の夢がふと脳裏に蘇ってきた。
レムのような化け物が巨大な根から生まれ、空から降りてきたアヤカが闇を浄化し、天に昇っていく、あの夢。あれは「アヤカが闇を浄化」する事を予言していたのか? そうだとしたら、誰があの夢を見せた? 何のために?
「……落ち着け」
謎は多いけど、アヤカが犠牲になる理由は、あの「負のエネルギーの浄化」の為のエネルギー確保が目的。そして彼女自身の「意志」で決める必要があった。
情報は揃った。今、必要なのは――判断。
僕はゆっくりと目を閉じ、深く呼吸すると「ゼロの領域」を起動させた。
――この状況を打開する最適解を導き出す為に。
【残り1分30秒】
開いた先に広がるのは――音と感覚が遮断された無機質な世界。この世界に置いて、僕の個人的な感情は排除される。この世界にいる時、音は何も聞こえない……はずなんだけど……
――耳に微かに聞こえるノイズのような音。
発動中は無音なはずの「ゼロの領域」――そのはずなのに。
光の粒子が波紋のように広がり、パチパチと細かな静電気。不思議と心地よい感覚を皮膚に感じ、ノイズの奥から澄んだ鈴の音に似た音が「僕に何かを訴える」ように空気を微弱に震わせている。
恐らく「ゼロの領域」のような絶対集中的な状態でないと聞こえない程微弱なものだ。この風……アヤカの起こしていた「共鳴風」に似ているような気がする。
『E-0, rē'zon-qwāra』
冷たく機械的な響きだったけど、敵意は感じなかった。そして直感的に、僕は誰の声かを理解した。
「スマロ……君なんだね」
風は少しだけ震えて、返事をするように静電気の粒子が僕の周りでゆったりと舞い踊る。どうやら、図星みたいだ。
「教えてくれないかな。僕はどうしたらアヤカを守れる?」
少しだけ間を置き、再び電子的な声が僕の耳に響いた。
『Dyst3l-Purg4=Enerik:Yvyl4_Harmoni4-Elevat4』
「何て言ってるかわからないな。人間の言葉に言語化してくれないか?」
いつもスマロに命令しているように頼んでみると、やがて風は電子的な音声として僕に直接語り掛けてきた。
『負のエネルギーの浄化の為に良質なエネルギーが必要なら、それを上回る良質なエネルギーを示す事が必要でしょう』
すニャいむの声によく似ている気がした。
「ありがとう。どうすればいいんだ?」
『スマロゲームは「キッド」の体内に吸収エネルギーを蓄積し増大・放出する事でエネルギーを効率的に循環するシステムです。しかし、キッドが盗まれたことによりプロジェクトは失敗に終わりました』
「つまりスマロゲームは、本来『キッド』というクローンを核としてエネルギーを循環するシステムだったって事か?」
『その通りです』
「エネルギーの吸収と放出は、このスマロでできるのか?」
『可能です』
「じゃあ、増大は?」
『……』
スマロの一瞬の沈黙と同時に、電子的な風が微かに揺れる。スマロの微かな「迷い」が伝わってくるようだ。
『……妖精と同化した私の奇跡の力で、リュウの獲得エネルギーを増大させる事は可能でしょう』
そういえば、掃除の好きな妖精とのスマロバトルの後、異様に獲得電力が多かった。あれは、妖精が起こした「奇跡」だったって事か?
「分かった。じゃあ僕が「キッド」の代わりをすればいいんだな?」
『その通りです。しかし――』
「危険なんだろ?」
スマロの声が電子音として響く中、風が僅かに弱まった。
『大量のエネルギーを体内に蓄える事で、リュウ。あなたの体は真田タクミのように「レム化」する可能性が極めて高いです』
レム化――一瞬、タクミ君があの恐怖に染まった瞳でこちらを見つめていた場面が脳裏をよぎった。けど
「構わないよ」
それは『情報』のひとつに過ぎない。感情は冷静な理解へと変換される。それが絶対集中的な状態――「ゼロの領域」だ。
「アヤカを救う為なら、何だってする。そう、タクミ君に誓ったんだ。力を貸してくれ」
強く伝えると、周囲の電子的な風が急速に渦を巻き、青白い静電気がパチパチと音を立てた。まるでスマロの「決意」を僕に伝えるかのように。
『私たちAI妖精は、生徒の感情や記憶から抽出したエネルギーを電子パルスとして共有しています。これは妖精が自然界で起こす共鳴現象をイサム博士が科学的に再現したもの――人間と妖精が共に生きるためのエネルギー循環システムなのです』
スマロの言葉は、イサム博士を「誇らしく」感じているようにも聞こえた。僕の知らない遠い過去に、博士がAIと人間、妖精と科学の共生を真剣に考えた記憶があったのだろうか? もしそうなら、AIである彼は信じてるんだ。「科学の力」――イサム博士の研究を。
――不毛かもしれないけど、今はそれに賭けるしかない。
『スマロ・ゲーム《Elect'ra rezonans》を発動します。リュウ、多くの生徒と深く「共感」してください。あなたの意思が強く共鳴すればするほど、生み出されるエネルギーは強力になり、その代償もまた大きくなります――覚悟してください』




