デモ活動をしていた男
「Auris elyr, Valgas anima. Fel nostel, estra liss arda.……か」
木々の広がる中庭の奥の陰に座っていた、一人の男。吐く息は血の匂いが混じっていたけど、その声はどこか悲し気に聞こえた。
「これは200年程前に1人の科学者が妖精と人間を繋ぐ言葉として残した……古い妖精の言葉だ」
金色の髪に、オパールのような神秘的な光を放つ青く大きな瞳。とんがった耳に、大きく裂けた口からは鋭利な牙が覗いている。獣のような爪を持つ左腕は足先までの大きさまで膨張し、所々肉が剥き出しになったような赤い肌が覗く。その風貌は、中庭を飛び回る妖精とは全く違う、おぞましい姿に映った。
「あなたは誰ですか?」
「ん? 教えてやろうか?」
僕の眉がひとつに寄るのに気づいたのだろうか? それを楽しむように、男は皮肉っぽく舌を出して笑った。
「なーんてね、知りたかったら考えろよバーカ」
人気のない中庭の隅に、軽快な笑い声が響く。
「あ、俺の事嫌いになった? 嫌いになったろ?? 君の事は何でも知ってるよ」
「ごめん、僕忙しいから」
冷やかしに耐えられえず、その場を去ろうとすると、男の声が急にワントーン下がった。
「君は俺がデモ活動をしていた時に遠くから見ていたね。会えるのを楽しみにしてたのに、忘れるなんて……ひっでぇな」
デモ活動? 一体何の事だろう? そう思った時――
『――みんな目を覚ませ!! これが俺たちの世界の50年後の姿だ』
「あの時の……?」
影縫いから逃亡する時、繁華街の一角で一人でも活動をする若い男がいた。顔はよく見ていなかったけど……こんな顔をしていたのか?
「もしそうなら、何故こんなところに? あなたは妖精ですか?」
「ああ、妖精か……そういうことにしておこうか」
くっくっく、と笑いを漏らす男。気が付けば、男の周囲を淡い光が照らしている。あの光は――
「太陽の精霊……?」
「――うむ。その通りだ」
急に声色が変わり、思わず視線を向ける。すると、男は「フッ」と小さく息を吐き、自信に酔うように髪をかきあげた。
――あれ?
男の変わりように圧倒される。その一瞬、額にかすかに傷跡が見えた気がした。
妙な胸騒ぎを覚えるけれど、深く考える余裕はない。周囲を照らしていた太陽の精霊の光は消え、今度は柔らかな風があたりに吹いている。これは……風の精霊か? いや、それよりこの変わりようは何なんだ?
「ハーモニア大学附属学院に世界樹の力が滲み出た……いわゆる「フェアリーヴィジョン現象」により、昼寝中の俺は気付いたらここに飛ばされていたのだ。おかげで娘とはぐれてしまった。早く戻ってやらねばならない」
「戻る? どうやって」
内心で突っ込む気持ちを抑えながら質問すると、男の指先が中庭の向こうに向けられた。その先には高等部の校舎。その上空にうっすらと映るのは――
――見た事もない「大樹」だ。
「なんだ!? あれは!?」
その巨大な樹木は半透明の葉を茂らせ、幹は空を掴むかの如く広く広がる。枝葉の一枚一枚が淡い金色に輝き、星空のように揺れ動いていた。
「フェアリーヴィジョン現象と同じように「世界樹」のエネルギーが可視化されたという事だ。この場所はこの世界で最も「エーテルの影響が強い場所」だからな」
視界が歪むような感覚に襲われ、周囲の空気が急に、重く冷たくなった。まるで世界が息を止めているかのように。
――あまりにもいろんな事が一気に起こり過ぎだ。いったいこの学園に何が起こってる……?
でも、そんな緊張感も男が再び上げた笑い声で無残にも崩れ去る。
「で!? さっきの共鳴風の意味、マジでわかんねぇの!? そんぐらいわかれよバーカ」
僕は思わず肩を落とした。これを聞いたのがダイスケだったら、恐らくカレンの時のようにはっきり物申してただろう。聞いたのが、影縫い時代から悪態を受け流す事が日常的だった僕で良かった。そう、心の底から思った。
「わかりません。知っているなら教えてくれませんか?」
男の態度に何も感じないわけではないけど、正直突っ込む気にもなれなかった。そんな僕の態度に男はつまらなそうに、ため息を吐く。どうやら彼は今の状況を楽しんでいたらしい。
……正直、性格がいいとは言えない人間(妖精?)みたいだ。
「妖精には言語がない、代わりにエネルギーの摩擦による自然現象が彼らの会話の手段なんだよ。それを言語化した科学者の文献によると――ヴァは私。ガスは人。ここまで言えばわかるだろ?」
「……?」
わからない。そんな僕の様子を見て、男の口角が僅かに上がる。
「なるほど、あの時のあいつはこんな気分だったのか。なかなか興味深い」
「えっと、何が?」
「こっちの話だ、君が気にする事じゃない。それより……」
男が僕の頭上を指さした。視線を向けると頭の上を掃除の好きな妖精が飛び回ってる。
「その妖精、君に何か言いたい事があるみたいだな」
妖精は何かを訴えるように僕の前でくるくると飛び回り、小さな光を発生させている。
「さっき言っていた、エネルギーの摩擦による自然現象。それがこれですか?」
「そうだ、妖精はこれを共有する事で意思疎通をする。妖精は人間と心を通わせるのが大好きなんだよ」
「どう、理解したらいいんだ?」
「妖精の心の動きはエネルギーの動きそのものだ。君はエーテルの動きを知るものを何か持ってないのか?」
エーテルの動き――そういえば【スマロ・バトル】は相手の感情を検知する力があったな。
妖精相手に使えるだろうか? アプリを起動して、ホログラムを妖精に向ける。すると嬉しそうに周囲の光を少しだけ強めた。
「それは妖精と同じ、エネルギーの摩擦が人間にも出来るように開発されたものだな。いい判断だ、妖精の感情をそれで「言い当てる」事が出来るかな?」
「これは感情と属性で対戦するゲームなんだけど……」
「ここに説明書きがあるぞ?」
男が指さす先には、ホログラムの下の方に小さく 【 特殊カード・相手と感情が完全一致で獲得電力1、5倍 】 とあった。そういえばダイスケが次の授業でやるって言ってたっけ。
――つまり「あいこ」にすればいいって事だ。
「難しいな。妖精の気持ちがわかっても、僕の気持ちが違っていたら成立しないって事だ」
「人間と妖精なんだ。気持ちの共有何て、本来そう簡単にはいかないだろう」
「感情を間違えたら……どうなるんだ?」
「心を理解してくれない人間だったら、妖精はすぐに離れるだろうな」
ホログラムの中に表示された、エーテルバトルの属性ボタンを見つめる。四つの感情――火、水、地、風。妖精はまだ小さな羽を懸命にはばたかせながら、光の粒子を不安げにちらちらと散らしている。
――落ち着け。
「大丈夫……君の心を、教えてほしい」
妖精が再び揺れ動き、微かな旋律のような音が耳をくすぐる。
僕の黒髪を揺らすのは、アヤカと初めて会った時と同じ心地の良い風。太陽の精霊が呼び寄せるまま歩いた先で、たくさんの花を一斉に咲かせた、あの風だ。
「君はあの時のアヤカに似てるな」
初めて会った時のアヤカの姿を思い出した時、ふと心が軽くなる感覚がした。そのまま『風』の属性ボタンをタップする。
瞬間――妖精は全身に鮮烈な輝きを放ち、まぶしい光の粒子が辺りに広がった。風が強まり、体中の感覚が震えるようなエネルギーの波動が伝わる。
『――こんにちは、リュウ』
その瞬間、息が詰まった。
「すニャいむ……?」
忘れようもない、その懐かしい声に僕は胸の奥が熱くなるのを感じていた。そこには先日消されたはずの「すニャいむ」の姿が映し出されていた。
『私の復活を願ってくれてありがとうございます』
すニャいむが嬉しそうに、ぽよぽよと体を弾ませる。
「こんな事があるのか? だって――」
『リュウ、あなたは私がいなくなった事を悲しんでくれましたね。それを感じ取った妖精が、データを含めて私を復活させてくれたのです』
……復活。思わずホログラムに手を伸ばすと、すニャいむが嬉しそうに耳をぴくぴくと動かす。
『リュウ、あなたはいつもアヤカを守るために一生懸命でした』
聞き覚えのある言葉だ。これは……
『15歳の思春期の少年だと言うのに、就寝時間は21時。起床時間は朝4時半。生徒達が起きる前にトレーニングを済ませ、学院内の見回りとアヤカのサポート。見事なまでに徹底されたあなたの生活リズムは、まさにアヤカの為にあると言ってもいい』
あの地下研究所で、すニャいむが僕に言った「彼の中に累積したデータ」だ。
「……僕の私生活を、人前で晒さないでくれるかな」
胸が熱くなる感覚を覚えた。間違いない……彼は、2年半学校生活を共にしたパートナーだ。
「君が戻ってきてくれて、嬉しいよ」
『私もリュウに会えて、嬉しいです』
嬉しそうに、体をぽよぽよと弾ませるすニャいむ。そして、話を黙って見ていた男の顔が少しだけ穏やかになった。まるで僕とスマロの交流を「喜んで」いるかのように。
「今度こそ、そいつの事大事にしろよ」
「今度こそ?」
「いや、こっちの話だ。気分は晴れたか?」
「はい、いろいろとありがとうございます」
「そりゃあ、よかった」
妖精の男は、爛れた羽をはばたかせながら飛び立ち、高等部の方へと飛んでいく。
「俺は少し疲れた。精霊界から君たちの事を見守らせてもらうよ。リュウ……君とはまた会う事になるだろうな」
「ありがとうございます。あなたの名前は」
「名前……か。そうだな、アルトとでも呼んでくれるか?」
「アルトさん、ありがとう」
アルトと名乗った男は、少しだけ口角を上げ、そのまま高等部の方へと飛んで行った。
「……あれ」
――背中に、見覚えのある傷が見えた気がした。
なぜだろう、自分の背中が疼くような錯覚を覚える。
「まさか……」
口にしかけた言葉を飲み込み、僕は静かにその姿を見送った。




