兄弟
――5年前。
影縫いを逃亡した当時の事を、僕は今でも時折思い出す。
無我夢中で繁華街を走り、たまたま居合わせたバスに飛び乗った。酔っぱらっていた大人の財布を擦り、そのお金で何度もバスを乗り継ぎ、時には追手に捕まる恐怖に怯えながら人気のない夜道を歩き、ろくに食事もとらず……2週間。
心身ともにすり減らした僕が最終的に辿り着いたのは、田んぼと木々に囲まれた細道のバス停。気付けば雨が降りだし、たまたま通りかかった「ある男性」に僕は匿われ――そしてダイスケに出会った。
「あはははは、お前すっごい暗いな! 俺の一番嫌いなタイプだ!」
今でも鮮明に覚えてる、当時のダイスケの軽快な笑い声。
ダイスケは天才肌で、何でもはっきり口にするし寛容だ。一方で意外とプライドが高い少年だった。対する僕は、地道にコツコツ積み上げるタイプで反抗と規則違反が苦手。そして人の言う事に基本素直に従う。
ダイスケと僕は、まさに正反対の性格だった。そして、良く衝突した。人生で初めて「こいつとは絶対うまくやれない」と思った。でも――
「妹の事、たまに思い出してやれよ。俺は赤ん坊の頃に親が死んだから顔も覚えてないけどさ、たまに考えるぞ。どんな人だったのかなって。おれの心の中に、2人はずっといるぞ! ってな」
妹のユメが死んだ事を打ち明けた時、プライドの高いダイスケが、自らの傷を曝け出して笑顔を向けてくれた。その時から僕とダイスケは、本当の「兄弟」になったんだ。
*
ダイスケの隣に立つカレンがちらりと隣に視線を向けた。恐らく彼女にとっても不測の事態だったんだろう。そして、それは僕も同じだった。
――ダイスケとは「ここ1年ほとんど連絡を取っていなかった」からだ。
僕はボディガードの仕事があったし、ダイスケも似たような特殊な仕事を持っている。互いに忙しくて連絡が減ったんだと思ってたけど……。
「和久井、知り合いか?」
「ああ、先生。あいつ俺のダチなんですよ」
そう言ってダイスケは僕の方を軽く指さした。相変わらず、声が大きいな。
「とりあえず自己紹介を男子から……」
「俺が先週までいた国じゃレディファーストが当たり前なんだ、女子からやってくれよ。あと……俺、生徒とはちょっと違うからな」
「あ、ああ。そうだな。じゃあ芹沢から」
生徒とはちょっと違う。一体どう言う事だ?
先生の言葉に皆の視線がカレンに集中し、無言でダイスケの様子を伺っていた彼女は小さくため息をつき、話しだした。
「芹沢カレンよ。得意科目は科学。よろしく」
「は!? おわり!?」
「他に何か語る事、あるのかしら?」
「うーん」
ダイスケがクラスメイトの方へ視線を向ける。何を見てるんだ? 僕も軽く見渡すと、男子生徒の視線がカレンの「ある場所」にくぎづけになってるみたいだ。
「その巨乳が何カップか、みんな気になるみたいだぞッ」
「はっ……?」
驚き混じりの声が漏れ、カレンはダイスケの方を初めて見た。無表情が崩れた彼女にダイスケが「してやった」と言わんばかりの笑顔を向け、カレンの額には若干の冷汗が滲んでる。
――カレンは「完全に不測の事態」に陥った時に、突発的な行動を取りやすい。
彼女の行動が常に「精巧な分析」のもとに行われているからだ。その分析が彼女の強さの秘訣だった――はずなんだけど……。
「……あなた、バカなのかしら?」
……完全に「不測」を突かれた時の反応だ。
長い黒髪に眼鏡越しに映る神秘的な緑色の瞳、筋肉質ながら健康的なスタイルの良さ……子供の頃は気付かなかったけど、こういう所が男子の目を引くんだろうな。
ふう、と隣から小さなため息が聞こえて視線を向けると、アヤカが胸に手を当てて俯いている。
「リュウも、あれくらいあったほうがいいと思うよね……」
「? 何が?」
「ううん、何でもない」
彼女の口から再び小さくため息が漏れた。一体何の事なんだ……?
「無駄話はそれくらいにしておきなさい。和久井、自分の自己紹介を」
先生の仲裁が入る。カレンは納得いかなそうにダイスケに視線を送り、ダイスケはいつもの涼しい顔のまま、皆に自己紹介を始めた。
「和久井ダイスケです。俺はハーモニア大学の助教授「橋本ナオキ」の補佐として来た、サポート教師だ」
ダイスケの自己紹介に、カレンが再び呟いた。
「未来エネルギーの授業?」
「そうだ。『エーテルエネルギー』は高等部に入ったら必須科目になるからな。それを中等部から先駆けて学ぶ為に派遣されたのが、俺だ」
にこにこと笑顔を向けるダイスケ。カレンは眼鏡を掛け直しながら、彼の様子を伺った。
「って、名目だけど……エネルギー授業以外は皆と同じ学生だ。得意は語学。苦手は理数系全般。食べるのが好きだ。よろしくな!」
皆の拍手が教室内に響く。
「では、2人とも席につきなさい。和久井は一時限目の授業の準備もするように」
「わかりました」
2人は僕とアヤカの後ろの席につく。すると2人の事を興味深げに見ていたアヤカが話しかけた。
「私、澤谷アヤカ! 2人ともリュウの友達なんだね?」
窓から差し込む陽光がアヤカの金髪を明るく輝かせる。キラキラとしたライトブルーの瞳に見つめられ、一瞬言葉に詰まったダイスケは、軽く咳ばらいをして僕に耳打ちした。
「この子が警護対象の?」
「うん」
「よかったな、リュウ……」
そう言って、羨望の眼差しを向けながら肘で軽く腕を小突いてきた。
「何が?」
思わず返した素の返事に、ダイスケは肩を落として苦笑いを浮かべた。
「ところで……苦労してるみてぇだな」
急にダイスケの声のトーンが小さくなり、彼の視線は一瞬だけカレンの方へ向けられた。
「……何か知ってるのか?」
「お前の知らないところで 結構いろいろ動いてんだよ。ま、それに関しては後でな」
やっぱり、ダイスケの転校はわけがあった。僕がこのハーモニア大学附属学院に入学した当初は定期的に連絡を取り合ってたんだけど、それが「1年前から連絡が激減した」事と何か関係あるのだろうか?
その時、カレンが珍しく口を挟んだ。
「あなた、何者?」
恐らく本当に何も聞かされていないんだろう。緑色の瞳から放たれる鋭い視線に、ダイスケは相変わらずの笑顔で答えた。
「リュウのパートナーみたいなもんだよ」
「リュウの? それにしては頼り無い体ね。あなた、足手まといなんじゃないかしら?」
ダイスケは僕と同様鍛えてはいるんだけど、「後方支援タイプ」である彼が僕より細身なのは仕方ない。ダイスケは「うーん」と唸りながら軽く視線を上に向ける。これは……「相手に言い返す事を決めた」時によく取る仕草だ。
そして――静かな予兆を最後に、言葉の戦いは突如幕を開けた。
「まあ、確かにリュウに比べたらな。でも、それの何がいけないんだ? 俺は俺、リュウはリュウだろ?」
悪態をひょうひょうとかわすのは、ダイスケの得意技だ。プライドが高いけど寛容――強靭なメンタルを持つ彼だからこそ為せる業だ。
「あなた、戦闘能力はあるのかしら?」
「近接戦闘はまあまあかな。遠距離なら負けねぇよ」
「リュウを援護する為に現れたのでしょう。正直、あなたのような人がリュウの横に立てるとは思えないわ」
「俺はガキの頃からリュウと兄弟みたいに育ったからな。少なくともこいつの事は君よりよく知ってるぞ?」
「奇遇ね、私も幼い頃から……そうね、半べそかいた彼をおぶって走った事もあったわね」
……カレン。もっと他の記憶はないのか?
「俺は飯も風呂も寝床もガキの頃一緒だったしなぁ」
……ダイスケ、そこまで詳細に語る必要があるのか?
「さぞ足手まといだった事でしょうね。腕も足も細すぎだし、リュウのパートナーとしては不相応ね」
「君がリュウを評価してるのはわかったけど、せっかく美人なんだからもう少し笑った方がかわいいぞ」
「かわ……いい?」
カレンが驚き交じりの言葉を漏らした直後、1時限目の授業開始のベルが鳴った。
「おっと、そろそろ授業が始まるな。カレン、また後でな!」
「ちょっと、授業でしょう。何の資料も持たないの?」
「? 資料って必要なのか?」
ダイスケの言葉に彼女は返答することなく冷ややかな視線を送る。そして彼は悠々と教壇に立った。
「よーし、未来エネルギーの授業を始めるぞ。スマロを使った『スマロ・ゲーム』の説明をするからな!」
『スマロ・ゲーム』……? 案の定生徒達の間にはどよめきが広がっていた。
「ゲームが授業……?」
「簡単に言えば、エーテルを活用するための実験装置みたいなもんだ。ま、やってみればわかるって」
「エーテル」という初めてのワードに皆が困惑した。
しかもそれをダイスケが授業? 一体どういう事なんだ……?




