解雇――そして新たな契約。
婚約が正式に決定。
本来アヤカの意志次第という話だったと聞いてたけど、一体どう言う事だ?
「それは、アヤカさん次第だったはずでは……」
「だから状況が変わったのだよ。君が傍にいては、アヤカもレオ君と仲を深めるのに心を痛めるだろう」
「僕がいるとアヤカが傷つく……?」
澤谷さんは少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「君といる時のアヤカを見る度に、父としては複雑な気持ちを何度も味わったものだ。もしアヤカが普通の子であれば……澤谷ソウイチは君を正式に屋敷に迎える事を検討しただろう」
澤谷ソウイチ。澤谷さんは自分の事を、そう呼んだ。
その言葉に僕は強い違和感を感じた。何故自分の事を「澤谷ソウイチ」なんて呼ぶんだ?
「君はアヤカが11の頃からずっと傍にいて見守ってくれた。アヤカの気持ちに気付いていないわけではないだろう?」
「アヤカさんの……気持ち?」
僅かな寂しさを滲ませる微笑に、澤谷さん自身も心を痛めている事が伝わってくる。僕の返答に少しだけ驚いたように瞳を開き、目を閉じた後、澤谷さんは僕に頭を下げた。
「頼む、ここで引いてくれ」
依頼人がボディガードに頭を下げるなんて、異例中の異例だ。
「やめてください、澤谷さん」
慌てて肩を掴み顔を上げさせる。すると――
「澤谷さん?」
肩が震えている。そして、顔が異様な程青ざめていた。
「引くんだ、リュウ君」
あの澤谷さんがここまで怖がるのはどうしてだ? 一体、何があったんだ……?
直後、部屋の扉が勢いよく開けられた。
「お父さん、お願い。リュウを解雇しないで」
部屋に入って来たアヤカが澤谷さんの腕を掴み、必死に訴える。澤谷さんも若干困ったように視線を泳がせた。
「アヤカ、これは決定なんだ」
「わがまま言わないし、ちゃんと言う事聞くから……だから、お願い」
「それは、レオ君との婚約を認めると言う事か?」
その問いにアヤカは一瞬視線を落とす。ゆっくりと僕に視線が向けられ、目が合い、ライトブルーの瞳が迷うように一瞬揺らいだ。
――いや……違う。
これは迷いじゃない。彼女は "何かを捨てる決意を固めた" んだ。そして、次の瞬間──
「認めます。だから……お願い」
胸を締め付けるような感覚と、喉を圧迫ような不快感が体を襲う。これは……アヤカが「自分の意志で選んだ」わけじゃない。僕を守る為に自分を犠牲にしたんだ。
――アヤカ。
今、どんな気持ちなんだ? 君のボディガードを続けたいっていう「わがまま」に、どうしてそこまでしてくれる? 気が付いたら体が動いていて、僕も彼女の横に立ち頭を下げていた。
「澤谷さん、職務を全うする事を誓います。ですから――」
「お父さん、お願い!!」
僕とアヤカの要求に澤谷さんは沈黙した。そして……
「データ外の事態だ。どう、対処したら良い……?」
データ外? どう言う事だ?
澤谷さんの一言は、少し前まで一緒にいたスマロを想起させた。この違和感は……何だ?
しんと静まり返った室内。静寂を破ったのはカレンだった。
「澤谷、矢崎レオのボディガードとしてなら可能だと……ユウジは言っていたわ」
「カレン、しかし」
彼女の緑色の瞳が向けられ、澤谷さんの”表情がこわばる”のを、僕は見逃さなかった。
おかしい。このやりとりは「上司と部下」のそれに近い。澤谷さんはカレンを「雇った」わけではないと言う事か? だとしたら……
――カレンは芹沢ユウジの娘だ。澤谷さんは既に芹沢さんの手の下に……?
「いずれ結婚する2人ですもの、双方にボディガードをつけるのは自然な流れだわ。それに、ユウジは言ってたわ。クズはクズなりに使えるって……」
その言葉を聞いたレオ君が扉の方から叫んだ。
「おい、勝手に進めてんじゃねぇよ!」
「感情的な言葉は自らを窮地に落とすだけよ。あなたに危害を加える者がいた場合、その責任は全てリュウのものになるの。この意味、わかるかしら?」
カレンの言葉の意味にようやく気付いたんだろう、レオ君はいつも教室で見せる勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「なーるほど。確かに婚約者の俺の傍にいれば、アヤカのボディガードを継続するも同然だもんな。俺は構わないぞ」
皮肉っぽく笑う彼の顔は、まるで面白いおもちゃを見つけた子供のように映った。
「リュウ、アヤカの傍にいたいんだろ? 解雇されないようせいぜい俺に尽くしてくれよな?」
「……」
「何か言えよ。お前のご主人様になる人間なんだからな?」
裏があるとか、そう言うものじゃない。完全に「優位に立った」と確信した顔だ。彼がどういう奴かはわかってる……けど、僕の為に自分を犠牲にしてくれたアヤカの為にも、ここで引くわけにはいかない。
「レオ君、よろし」
「違うだろ、レオ様だ」
……彼らしい、主張だ。
「よろしくお願いします、レオ様」
影縫いに所属していた時のように淡々と返答し頭を下げた。するとレオ君の勝ち誇ったような笑みが一瞬ひきつった。それを見たカレンが小さくため息を吐き、呟く。
「承認欲求を満たす、実に感情的な行動だわ。そんな事でリュウを本当に服従させられるのかしら」
レオ君が一瞬にらみを利かせたけど、カレンは視線すら彼の方へ向ける事はなかった。
空気が冷たい。アヤカが悲しいと思った時に精霊たちが起こす自然現象だ。
地下研究所の一件からあまりにもたくさんの事が起こった。不要な者アンケートに、地下研究所。シオンという男と芹沢さんとの再会、そして――タクミ君の死。彼女の心の負担が1番の気がかりだ。
「澤谷さん、お願いします。今日だけ……最後のアヤカさんの護衛をさせて頂けないでしょうか?」
「ああ、構わないよ。しかしリュウ君……本当にいいのかね?」
「はい。どんな形でもアヤカさんを傍で見守ることが出来るなら、僕は構いません」
はっきり伝えると、澤谷さんは申し訳なさそうに視線を逸らした。やっぱりこの解雇には何か裏がある。それに……
――安心してください、リュウ。彼らはアヤカに物理的な危害を加えるはないでしょう。アヤカはネーファスプロジェクトの鍵となる人物だからです。
――「NEo Redemption FAiry Sacrifice project ネオ・リデンプション・フェアリ・サクリファイス」―― 通称 『NERFASネーファス』は未来を救う救世主、とされています。
地下研究所でのスマロの言葉が気がかりだった。もしアヤカに危険が及ぶ事があれば、僕はこの身に変えてでも、彼女を守る。それが……僕が出来る、唯一の恩返しだ。
「ただし、午後はアヤカの検診がある。護衛は午前中だけだ。いいね?」
「はい。ありがとうございます」
アヤカの検診――ネーファスプロジェクトと、何か関係があるのだろうか? 澤谷さんに丁寧に頭を下げると、僕とアヤカは登校の準備の為に部屋を後にした。もちろん、タクミ君の絵画も一緒だ。
寮の扉を開けると満開のパンジーと快晴の空が目に飛び込んでくる。タクミ君がスケッチをしていたのは昨日の事なのに、もう何年も前の出来事のように感じる。アヤカは首を傾げながら花壇を眺め、花壇の側に歩いていくと腰を下ろし、じっと花を見つめた。
「何かあるの?」
「このパンジー、昨日あったっけ?」
アヤカが指さすのは快晴の色をそのまま映したかのような、青いパンジー。一際美しく咲くその花は、確かに他の花とは違う色彩に映った。
「綺麗な色だね」
アヤカは立ちあがると、少し寂しそうに微笑んだ。
そして、僕が「アヤカのボディガードとして職務を行う」最後の日が始まった。




