タクミの革命
そこにあったのは、間違いなくあの日タクミ君が描いていた絵だった。
大樹の麓に腰かける妖精。そして、すぐ傍に少年の絵が描かれている。
僕はタクミ君がこの絵を修正する前の絵を見たことがある。その時のアヤカは笑っていたはずだ。でも……
「泣いてる? どうしてだ……?」
そして、タクミ君の絵の隣にはもう一枚のキャンパス。整然と並べられた画材や絵具があった。明らかに使い込まれた痕跡を残しているそれらには、埃の跡すらない。
レオ君が描いたのだろうか? 恐らくこのキャンパスで定期的に絵を描いているんだと思う。これほどの情熱を注いだものが、どうして今の彼の生活に見合わないものと感じられるのだろう?
置きっぱなしのパレットには、鮮やかな空色の絵具がいくつも混ぜられている。それらは、まるで――。
「輝くようなライトブルー……」
「何してんだ、リュウ。お前もそのきったねぇ服さっさとなんとかしろよ」
荒々しく扉を開く音と共にレオ君の声が部屋に響いた。
*
体中にレムの返り血を浴びた僕とアヤカ。それは研究所で殺されかけたレオ君も同じで、僕達は人気のない校舎裏から学生寮へと向かった。
「とりあえず俺の部屋に来い」というレオ君の言葉に僕は素直に甘える事にした。彼の父親が学園に多額の融資をしているおかげで、レオ君には特別な学生寮が与えられている。そこには専属の付き人もいるという。アヤカの制服を着替えさせないといけないけど、それは男子の僕の手には負えないし、しばらく匿われるには、これ以上の場所はないだろうと思えたからだ。
スイートルームのような3LDKに設置されたシャワールームを借りて体中の血を流した後部屋へ戻る。
すると――レオ君がタクミ君の絵に絵筆を向け、何かを描こうとしている。それを見た瞬間反射的に体が動いた。
「やめろ!!」
レオ君の腕を掴んだ瞬間、微かな違和感を感じた。震えている……?
「いてぇな、放せ」
「何しようとしたんだ?」
「サインしようとしたんだよ。この絵はもう俺のものだからな」
理解が追い付かなかった。これはタクミ君が描いた絵だっていうのに、一体どう言う事だ?
「どう言う事だ? どうしてタクミ君の絵が君の部屋に?」
「ああ、父様が運んだんだろうな」
めんどくさそうに頭を掻いたレオ君は、大げさなため息をついた。
「とりあえず、放せ」
「……」
手を離すと絵筆を置いたレオ君はスマロのスイッチを入れた。
『こんにちは、レオ様』
「タクミのニュースを出せ」
クロヒョウのアバターを着たAIにレオ君が命令すると、すぐにニュースが表示された。「loading」の文字が出ないと言う事は、このニュースはレオ君が定期的にチェックしているニュースという事なんだと思う。そこに描かれていたのは……
『輝くようなライトブルーの天才少年の絵画・1000万円で落札決定。輝くようなライトブルーで鬱病が治ると世界中から依頼殺到!!』
それは僕が目にした事のないニュースだった。
「レオ君、これは」
「見ての通りだよ、タクミのニュースだ」
「このニュースは一体……僕はこんなの見たことないけど、タクミ君の絵画が1000万円で落札された? 鬱病の治療……?」
「さあ、俺はよく知らねぇよ。ただ、父様は言ってた。あいつの絵が世間に認知されることは絶対にないってな」
ホログラムを消され、彼は再び絵筆をキャンパスに向けた。
「待て!!」
「言ったろ、この絵はもう俺のものだって」
「……タクミ君の絵だろ?」
「だったもの、だ。見ただろ? 何処のニュースもタクミの名前を載せてなかった。皆『天才少年』の絵だって理解しててもそれが誰なんだかは知らないんだよ」
タクミ君の功績を奪おうって事か? そんな事許されるのか?
「メディアもこの学園も、俺の父親の言いなりだ。全部筋書き通りなんだよ……『輝くようなライトブルーの天才少年』が俺になるって事もな!!」
「――!! やめろ!!!!」
その瞬間、カーテンの隙間から朝日が差し込んだ。
光がキャンバスを照らし――そこには、今まで見えなかった文字が光を放ちながら浮かび上がる。そこに描かれていたのは……
**『輝くようなライトブルーの絵画全ての権限を澤谷アヤカに譲る』**
レオ君の手が止まり、サインを入れようとしていた筆先がわずかに震えた。
「は?」
光に照れされた文字は徐々に輪郭を鮮明にしていった。その控えめながら神秘的な輝きは、紛れもなくタクミ君にしか出す事が出来ない「輝くようなライトブルー」と同ような色彩に見えた。
「クソが……!! クソがあああぁぁぁあ!!!!」
彼の手から絵筆が滑り落ち、激しく椅子を蹴り飛ばす。怒りに震えているように見えた。
「……俺は負けてねぇ」
タクミ君は気付いていたのか? レオ君の企みに。少なくともこの絵画のサインは、いつも抵抗せずに『内心の複雑さが滲み出た微笑』を浮かべていた彼の小さな革命のようにも思えた。
「……さすがだな、タクミ君」
心の底から思った。タクミ君……君は、強い。




