さようなら、リュウ
『この世で唯一生まれた人の心を持つ妖精……メーファスとなった者よ。そなたの犠牲が必要だ』
バキィッ……ッ。
骨の軋むような音に僕の意識は自然とその方向に吸い寄せられた。
あたりは暗かった。朝目を覚ますと視界に映る寮の天井でもなければ、地下研究所の鬱蒼とした閉鎖的な空間でもなかった。もっと深い……淡い光が空から微かに洩れているだけの、腐った胎内のような暗闇。
まるで虚無の空間――そして、周囲には僕の胴ほどの太さの力強い「木の根」のようなものが無数に天からぶら下がっていた。僕は一瞬木の根と理解できなかった。いや……
ドクン。ドクン。
微かに脈打っているかのように見えるそれは、人の……「臓器」のようにも見える。
そのうちの一本がばっくりと折れているのを見つけて、さっきの音はこれが折れた音とようやく理解した。そして、その間からは「黒い霧」のようなものが漏れ出している。
どろりと蠢く黒い霧はまるで生きているかのようだ。やがて顔が、首が、足が、指先が形成されて……でも「人型」ではあるけど「人」ではない。その「化け物」は空に手を伸ばし、口を開いた。
「アアア……ァァ……アアアア!!」
喉から絞り出された言葉にならない叫びが、脳に直接響くように耳を裂く。まるで金属を擦り合わせたような不快な音だ。
「どうして空に手を伸ばしてるんだ……?」
空を見ても何もない。でも、彼らが何をしたいかは理解できた。
――「救い」を求めてるんだ。
バキッ……バキバキ……。
僕の背後からも骨の軋むような音。目を向ければすぐ後ろの木の根にも亀裂が入り、黒い霧が漏れ再び人型に形成されていく。そして、耳元で囁いた。
――何故……殺した。
「――!!??」
その瞳は、恐怖し命乞いをする人間の目だった。その怒りはいったい誰に向けたものなのだろうか? 恨み、怒り、嫉妬――その苦しみから『救って』くれと言っているようだ。
その光景はまさに「地獄」だった。
次の瞬間、あたりの根がバキバキと音を鳴らしながら一斉に裂けた。黒い霧が溢れ、形を持ち始め、彼らは同じように空に手を向け叫んだ。
「アアア……ァァ……アアアア!!」
その光景を見て僕はやっと思い出した。黒い霧から生まれた彼らは地下研究所で見た『レム』――あの化け物達に似ているんだ。この樹の根はなんなんだ? 一体どうして?
そんな中で一体だけ、手を差し伸べない影があった。その影に僕は見覚えがあった。僕がついさっき倒したばかりだからだ。
「……タクミ、君?」
思わず名前を呼んだけど、彼は黙ったまま、ただ空を見つめている。人違いか……? その先に僕も視線を向けると……
突如──空が裂けた。
まばゆい光が天から降りて来る。その光に照らされたレムたちは淡い光に姿を変え天に昇っていった。光を手で遮りながらその奥を見ると……そこには――
「アヤカ……?」
よく似ていたけど、少しだけ違う。瞳はライトブルーより一際濃く、星々を宿したような輝きを放ち「輝くようなライトブルー」色の光がドレスのように彼女の体を包んでいる。淡い小さな光がドレスの裾に集まり、まるで花束のように映った。そして背中から光り輝く羽……その姿はまさに物語の中に出てくるような、妖精だった。
アヤカはタクミ君と思われる影に手を差し伸べ、微かに微笑んだ。影は差し伸べられた手にゆっくり近づき、その手を取り一雫の光を溢す。
「さようなら、リュウ……あなたと出会えて、私……」
別れの言葉を呟いたアヤカはまばゆい光に包まれ、黒い影と共に天に昇って行った。でも、僕は反射的に感じた――彼女を行かせちゃいけない。
「待ってくれ、アヤカ!!」
彼女は答えず光と共に天へと昇り消えていく。少しだけ振り返ったその顔は、涙で溢れていた。
*
「……?」
目を覚ますと、豪華な刺繍を施されたカーテンと白い壁が映る。
「泣いてた。どうしてだ……? それに今の夢、一体なんだったんだ……」
夢の中のアヤカはまるで現実のものとは思えない姿をしていた。透き通るような羽にブルーのドレス。まるでため息が出る程に……
「綺麗……だったな。あの姿、どこかで」
その時、僕の目の前に見覚えのある絵画が映った。
――それはあの日タクミ君が描いていた、大樹と妖精姿のアヤカの絵だった。




