地下研究所⑨ 如何でしたか? 平和な4年間は。
絶対統制者――芹沢ユウジ。
僕が過去に所属していた組織「影縫い」を統括する男。細身だが人より長身である彼の体の背景には静かになった空に浮かぶ月が輝き、その影は不気味な程長く地面へ伸びていた。
「ああ、ああ……そうでした。君は一度逃げた人間。如何でしたか? 平和な4年間は。人殺しの君にはさぞかし退屈だった事でしょう」
―—面白がっている。
口元だけ笑っていたが、言葉の端々に漂う彼の得意な「人心攻撃」が刃物のように心を抉り、光を宿さない緑色の瞳がじっと僕を見据える。吐き気を催すような不快感と神経がざわつく感覚に一瞬圧倒されかけた。
「―—っう!!」
一瞬脳が焼き尽くされるような頭痛が襲った。湧き上がるのは過去の光景――すすり泣く子供たちの声。彼らの希望を叩き潰す処分部屋。自分もいつかそこに送られるのかという恐怖と戦う日々。そして……妹のユメの笑顔。
――タン。
芹沢さんが手に持ったステッキを地に叩く音が響いた。十字架モチーフの装飾とヒビの入った不気味なデザインのそれを叩きつける時――それは、彼が「プラン」通りに事が進み機嫌がいい証拠だ。
「君の死んだ妹―—ユメでしたか。あれの処理は大変だった」
ユメ――わざわざその話題を出す理由はわかってる。芹沢さんは僕の動揺を誘ってるんだ。落ち着け、心理的に追い込んで精神を崩壊させる――この人の手口は、何度も見てきたはずだ。
「これは、あなたのプランですか?」
必死に声を絞り出した。
この場に芹沢ユウジがいるという事実。それは、この一連の出来事が彼の「プラン」である確率が高い……いや、そうに違いない。
「何故、タクミ君を犠牲に? タクミ君だけじゃない、あなたはレオ君や……アヤカを――!」
――タン。
再び地面に叩きつけられるステッキの音が冷たく響く。
「面白い、あの天才少年が死んだのは私のせいだと?」
嘲りを含むその言葉に一瞬困惑した。何を言ってるんだ? この一連の出来事は芹沢さんは関与してないって事か?
「科学において、失敗は単なる結果ではないと科学者たちは言うでしょう。彼らは失敗を恐れません。そしてレムは、ただの失敗作ではない。崇高なる数々の試行の、たった一つの可能性に過ぎないのです」
「――!! 貴方たちがしている事は、非道な人体実験だ!!」
咄嗟に上げた叫びは空に空しく響いた。
「今日は気分が良い。君に1つ教えを与えましょう」
芹沢さんは小さくため息をつく。まるで「想定内」の返事である事をつまらないと言うかのように。
「全員に『選択』を与える民主主義――人は自由を求めますが、その自由を支える為の犠牲を直視する者は実に少ない。傍観者である神は、正しくそれを見極めています。選択する者こそが真に自由を手にするべきだと。しかし……残念な事に今日、私の目には選択を他人に委ねる愚か者しか映りませんでした」
腰に沿えていた手がゆっくりと持ち上がり、顔を覆うように添えられた。指の間から覗くその顔は僅かな「悲しみと同情」が滲んでいた。
「君たちの罪は重い。この世の至高の宝である「天才」を犠牲にしてしまったのですから」
「僕たちがタクミ君を殺したと……?」
「ええ、ええ。責める必要はありませんよ。私は檻の中で蠢く生物たちを眺め、必要な時に餌を撒き――君たちはその餌を、疑うこともなく貪り食った。ただそれだけのことに過ぎません」
餌? 生物?
まるで実験動物のような扱いだ。そして芹沢さんは、自分の思う通りに僕たちが動いたと言っている。それは地下研究所での僕たちの行動の事を言ってるのか?
「民主主義に酔いしれた愚か者達は実に本能に忠実でございます。目先の欲望と集団という幻の安全にしがみ付き、つまらない正義と信念を語りながら、その実外から操られることに気づきもしない。馬鹿だと言っているのではありませんよ、彼らの行動を容易に掌握できると言っているのです」
いや――もっと前か?
どこから芹沢さんの「プラン」は始まっていた? シオンが現れた時からか? 学園に侵入者が現れた時からか? それとも――
――そこまで考えて、背筋が凍り付く感覚を覚えた。
「僕が組織を逃亡できたのも……まさか」
全て芹沢さんの「プラン」だった?
――まさかユメの死も……? でも一瞬よぎった身の毛がよだつ考えは、芹沢さん自身に否定された。
「ああ、それは違います。私は私自身の「プラン」に絶対的な信頼を寄せていますが……あの件に関しては完全に誤算でした。8歳の少女が兄を自由にする為に自殺をするなど、想像がつかなかったのでございます。それほど君に深い愛情を抱いていたのでしょう。美しい事だ」
何だ? この素直な反応は。芹沢さんが誤算を認める――敗北を認めるなんて、何か企んでるのか?
芹沢さんはふと空を見上げた。
「御覧なさい、この空を。実に美しい夜空ではありませんか?」
彼の視線の先の空にはいつも通り星が輝き、夜風が細道の奥の木々を撫でる音だけが微かに響く。タクミ君が倒れた後、夕陽は炎が消えるかのようにいつもの星空に戻って行った。あの夕陽は一体何なんだ?
「あの夕陽は一体……? タクミ君と何か関係が?」
「そうですね、どこから話しましょうか」
無意味な質問を嫌う芹沢さんが、素直に問いかけに応じる。やっぱり、何かおかしい。少し考え込んだ様子の芹沢さんは、アヤカに視線を向けながら口を開いた。
「この世には、我々の住む世界とは別の、もう一つの世界――『精霊界』があります」
『精霊界』――。
過去にアヤカや澤谷さんにも聞いたことがある。確か妖精たちの故郷だって。
「その精霊界には『世界樹』と呼ばれる大樹があります。この大樹は世界のエネルギーバランスを保つ柱のような存在であり、それが崩れると『終焉の夕陽』が現れて我々に警告をするのです。――『お前たちの終わりが近い』と」
妖精達の故郷である『精霊界』と、世界のエネルギー循環を担う『世界樹』
そのバランスが崩れた?
「我々の世界はエネルギーの枯渇を迎えつつあります。そして一部の人間がエネルギーを独占する未来が、あと50年もすれば訪れるでしょう。しかし、それを知る者は少ない……いや、君もよくこれを口にしていたはずだ」
芹沢さんは一息ついた。
「この世界は平和だ、と」
ふう、と息をついた彼の視線が無慈悲に横たわるタクミ君に向けられた。
「人の魂は、死後世界樹に還りエネルギーの一つとなる。それが美しいものであればあるほど、強いエネルギーとして樹に還るのです。あの夕陽を放っておけば、エネルギーバランスの乱れが起こす自然災害が世界を覆っていたはずです。それを救ったのは、そこの天才少年の魂なのですよ」
「タクミ君が?」
「ええ、妖精が恋焦がれるエネルギーの塊――美しい心を持つ子供の魂が世界樹のエネルギーの1つとなる事で、終焉の夕陽は回避されました」
エネルギーバランスの乱れ? それを救ったのがタクミ君?
世界樹や精霊界の事は、正直まだ信じ難かった。でも、もし芹沢さんが言う事が正しいなら、タクミ君は「終焉の夕陽」を沈める為に犠牲にされたって事だ。
「タクミ君を生贄にしたって事ですか? 何故こんな方法を!? 芹沢さん、あなたは――」
全身に嫌な汗が浮かんだ。だとしたら、最初からターゲットはタクミ君に絞られていたと考えるのが自然だ。この人は最初から――いったい、いつから
「被害者ぶるのはやめなさい」
「被害者ぶる……?」
「彼は多数決で「不用な者」として選ばれたのです。そして最後は自ら犠牲になる事を選んだ――違いますか?」
……それはタクミ君自身からも聞いた事とも一致していた。彼は自らレオ君を庇い、犠牲になる事を選んだ。――でも
「タクミ君は死にたいなんて思ってなかったはずだ!! 生きたいと思ったから逃げ出した――彼を追い詰めたのはあなたじゃないですか!!」
「彼が唯一無二の存在である事を知りながら、救わなかったのは誰ですか? そこの少年は私の提示した2択にこう答えました。「自分は誰からも必要とされない人間だから自分を殺してください」と」
『だって、僕誰の役にも立たないから。絵なんて描けても、喜んでくれるのはアヤカさんくらいだし』
地下研究所で交わしたタクミ君との会話が蘇ってくる。その言葉に僕は強い違和感を感じた。そして彼に伝えたかった。君は価値がある人間だ、それは皆が理解していたって。
「皆救いたくなかったわけじゃない、皆――」
――自身に降りかかる害を恐れて口にする事ができなかったんだ。
「……」
言わなかった。それが――無言の「NO」って事なのか?
「人間は皆、選択の重さに耐えきれず尻込みし、無言の「NO」により他者に選択を委ねる。そして今回委ねられたのは、よりにもよって被害者である「天才少年」でした。君達の中で誰が彼を救いましたか? 君は彼の為に何をした? 何もしなければ無罪だとでも思っているのですか?」
――どうしてだ? 言い返せない。
「犠牲を恐れる者には未来を語る資格も、意義を唱える権利もございません」
しばらく沈黙が続いた。
その静寂を破るかのように芹沢さんはゆっくりと僕に歩み寄る。真横に立った彼から鋭い視線が向けられるのを感じた。
「終焉の夕陽は、また現れるでしょう。君は気付いているはずだ、我々の求める救世主『メーファス』が君の大切な澤谷アヤカの事だと」
――メーファス。
そうだ、今日「不用な者」として選ばれたのはタクミ君とレオ君だったはず。無関係のアヤカがここへ連れて来られたのはどうしてだ?
「タクミ君を殺したのは『メーファスプロジェクト』のうちの一つという事ですか?」
「そうですね、上手くいけば『メーファス』に会えたかもしれません。しかし最後の最後で天才少年の意志が彼女を守った。そこは潔く敗北を認めましょう」
芹沢さんは少し腰を落とし、耳元で囁いた。
「次は君の番です、羽瀬田リュウ。子供の頃にかけた問いの答えを聞かせてもらいましょうか」
息も出来ない程の緊張が続き、僕はその言葉に表情を変えず前を見つめ、芹沢さんは口元だけ笑みを浮かべると、地下研究所の入り口の方へと歩き出した。その後ろ姿に視線を向けながら、僕は過去に芹沢さんにかけられた言葉を思い出した。
『さて……では君たちはどうですか? 運命を打開しますか? それとも無意味と理解し反抗を諦めますか?」』
「僕はアヤカのボディガードです。アヤカを危険に晒すなら……「何だって」してみせる。例えあなたが相手でも……」
「なるほど、私の「プラン」に抗いますか。面白い……その少女と過ごせる残り僅かな時間を、せいぜい楽しむ事です」
静けさを取り戻した高等部。僕たちのいる体育館と外壁に挟まれた細道にも朝日がさしはじめ、ふと空を見上げた。
「朝日が……皆が起きる前に部屋に戻らないと」
アヤカを抱きかかえたまま立ち上がると、空が少しずつタクミ君の心の色のような「輝くようなライトブルー」色に染まっていく。
美術室で僕とアヤカの絵を描いていた時の真剣な表情――アヤカに絵を褒められた時の笑顔――そして、化け物に変貌した彼が自身の手を見た時の悲しそうな声。
僕たちは直接手を下したわけじゃない。でも夢に向かってひたすら走っていた彼に、僕たちはその希望に応えるどころか見ないふりをして切り捨てた。
『無言のNO』
そうだ、僕たちは直接手を下したわけじゃない。でも、それがどれほど残酷な行為だったのか。僕たち全員が「選択」を他人に――タクミ君自身に押し付けた。そんな僕たちの無責任な「選択」すらも許し、未来を託してくれた。
心優しい絵画の天才・真田タクミは、もういない。でも彼が残した思いは忘れちゃいけない、僕の中で生き続ける――その為にも……僕はもう逃げない。
「約束するよ。「何があっても」アヤカだけは、必ず守るって」
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