地下研究所⑥ 覚悟を決めろ。迷うな……殺せ!!
「人間は皆、選択の重さに耐えきれず尻込みし、無言の「NO」により他者に選択を委ねる――そして、その委ねられた者こそが『運命を打開する者』となるのです。犠牲を恐れる者に、未来を語る資格はございません」
*
「ア”…ヤガ……さん ア”…ヤガ……さん …… ガ ……」
裂けた肌から放たれる、腐った肉の匂いが鼻をつき、ぽたり、ぽたりと滴り落ちる血が芝を赤黒く染めて行く。ぎょろりとむき出しになった”化け物”の瞳は、まるで救いを渇望するかのように、僕たち3人に向けられていた。
「お、おい……タクミ、うそだろ?」
「嘘、嘘……タクミ君……!!」
「…… ガ …… ……」
震える声で彼の名を呟くレオ君、そしてアヤカ。タクミ君の言葉が次第に途切れ、瞳の輝きが失われていく。
「駄目! 消えないで!」
「アヤカ、近寄っちゃ駄目だ」
「タクミ君の心の色が変わっちゃう! タクミ君がいなくなっちゃう……!」
アヤカの瞳には、彼女の好きな「輝くようなライトブルー」が変貌していく様子がが映ってるんだと思う。
僕の腕を振り切って化け物に駆け寄ろうとするアヤカ。でも”彼”の虚ろな瞳が捕らえた瞬間殺気が注がれ――僕は一瞬で悟った。
【 真田タクミ 】が消えた―—!!
「駄目だ、アヤカ!!」
ゆらりと振り上げられた鋭利な爪を持つ腕が、勢いよく彼女めがけて振り下ろされ――僕は咄嗟に前に出た。
アヤカの前に滑り込み、迫る左腕の横から強烈な足の一撃を入れる。裂けた肌から噴き出す血が僕の足を赤く染め化け物から微かなうめき声が上がる。足に感じる感触は人間のものより、ずっと固い。間髪入れずに追撃のフックを叩き込むと、骨が軋むような音が響いた。
折れた。これで左腕は使えない―—そう、思った直後。
赤く染まった瞳がぐるりと僕の方へ向けられ、折れた腕が僕とアヤカめがけて振り下ろされた。
「―—!!」
咄嗟にアヤカの体を抱えて横に飛んだ。芝に体が打ち付けられ、彼女に怪我がない事を確認する。視線を戻すと、化け物の左腕は不自然にぶら下がったまま、徐々にその傷を再生させていっているようだった。
「タクミ、君……」
ゆっくりと、這うように芝を踏みつける足音が響く。あたりには凍てつくような冷たい風が吹き、霜が降りたように小さな氷の粒が徐々に地面に広がっていく。悲しみと恐怖を感じる彼女の心に反応して”精霊”たちが起こす自然現象だ。
――君が彼に与えた無言の「NO」がどれだけの絶望を彼に与えたか、君は理解していますか?
シオンの言葉が脳裏に蘇ってきた。
タクミ君は、自己犠牲から自ら犠牲になる事を選んだ。彼が「自ら犠牲になる事を選んだ」のは、何が原因だった?
――だって、僕誰の役にも立たないから。絵なんて描けても、喜んでくれるのはアヤカさんくらいだし。
誰がタクミ君に、あの言葉を言わせたんだ……?
「誰も君を必要としていない」という認識を、彼は自然と植え付けられていた。それをしたのは暴力を振るったレオ君か? 取り巻きにつられて彼を犠牲にしようとしたクラスメイトか? ……仲裁しようとして、結局何も出来なかった僕なのか?
――一体、誰がタクミ君をこんな姿にしたんだ……?
……
『君たちは世の中を毒す真の敵が誰か、わかりますか?』
ふと、遠い日の芹沢さんの言葉を思い出した。
『「天才」も人間だ。神に祈るのは許しを乞うためではなく、咎を背負う覚悟を得る為です。神ですら私の行動に干渉はできないでしょう。さて……では君たちはどうですか? 運命を打開しますか? それとも無意味と理解し反抗を諦めますか?』
「――選択……」
ずるずると引きずるような足音に顔を上げて、目の前の化け物を直視した。腐臭を撒き散らすその姿は――もはや人間ではない。
ここは、壁に挟まれた細道。背後には地下研究所の入り口。唯一の退路には、タクミ君が立ちはだかっている。後ろにいるアヤカとレオ君を守る為には―—タクミ君を、倒すしか、ない……。
――嫌だ。
ああ、久しぶりだ、この声。
決めたんじゃなかったのか? もう、以前のように目の前で大切な人を失わないって。アヤカを守る為なら、何だってするって。
失敗は、許されない。それなのに、動かない体に、微かに震える唇。本能が、彼と戦いたくないと訴えている。
――失うのか? また、目の前で大切な人を。自分の甘さが引き起こした、あの地獄を、また、繰り返す気か!?
「失いたくない……」
嫌だと叫ぶ声が頭と心を支配していく。一方で必死に自分自身に訴えた。迷っている暇はない。守りたいんだろ!? アヤカを。
覚悟を決めろ。迷うな……殺せ!! そう、ただ、今まで通り、やればいい……だけ、だ……。
「タクミ君、君は僕の事を強いって言ったね」
ナイフを構えながら、目の前の化け物に向かって呟いた。
「本当に強いのは君の方だ」
――タクミ君は暴力を振るわれようと、悪態をつかれようと、誰を責める事もなかった。ただ、言われた事を繰り返しているだけの、僕とは、全然違う……君は確かに『運命を打開』しようとしたんだ。
「もう、子供じゃない。あの時の僕とは……違う」
微かに震える体を抑えるように、息を吸い、目を閉じる。
吐く息と共に瞳を開くと、風が木を揺らす音が、血の滴る音が、そして地を這うような”彼”の足音が耳から遠のき、目の前には音と刺激が遮断された無機質な世界――「ゼロの領域」で作りだした絶対集中的な世界が広がって行く。
全身が研ぎ澄まされていく感覚――ゆっくりと視線を向けると、変わり果てた【 真田タクミ 】の姿が映った。
―― やるしか、ない……!!
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