過去編① 「絶対統制者」――芹沢ユウジ
今から10年前・2042年の春。僕は妹のユメと共に「影縫い」に売り飛ばされた。
当時は利用価値のない貧しい子供が資源として扱われるという「都市伝説」が蔓延していた。持病が発覚した妹は、その都市伝説通り「資源行き」を通告された。
それを聞いた僕は必死に訴えた――「妹を助けてください」って。
影縫いを統括する男・芹沢ユウジ。
紳士のような佇まい。それと相反するような冷酷さ。そして躊躇なく拷問や暗殺の指令を出す残虐性から、皆が彼を陰でこう呼んでいた。
――「絶対統制者」と。
「羽瀬田リュウ、でしたか。政治、財界……あらゆる世界で「邪魔者を排除」する人材が求められています。その為の駒として成果を上げる事が出来れば、妹の命は保証しましょう」
細身だが人より長身である初老の男。光を宿さない緑色の瞳がわずかに細められ、それを見た瞬間体が軽く震えたのを覚えてる。
そして、その日から僕は闇の仕事に足を踏み入れる事となった。
殺しのテクニックは、実に単純明快だった。
音を出さずに近づき喉笛をナイフで切り裂く。これが僕の「殺し」の工程。仕留められなければ心臓を。逃げるようなら足の健を。その全てを約3秒で可能にする為に必要なのは「走り込みを含む接近や隠密のテクニック」と「ナイフの最も効率的な使用法」――つまり、単純作業の繰り返しだ。
「平和ボケした子供が人殺しなんて無謀だ」と大人達は笑ってたけど、僕は必死に与えられた訓練と仕事を繰り返し、1年もすれば皆が「殺しの天才」と賞賛しだした。
「殺しの天才」――子供心にひどい皮肉だと思った。
そんな僕の支えになっていたのは、大学病院に入院していたユメだった。月に一度程の休日は必ず病院に足を運んだ。ユメの天使のような笑顔を見る度に、仕事の疲れなんて吹き飛んだ。
「お兄ちゃんが、ずっとユメの大好きなお兄ちゃんでいてくれますように」
帰り際、ユメはいつも帰り際にピンクのガーベラをくれた。
太陽の光すら届かない組織の地下にある僕の自室。そこでは花はすぐ枯れてしまったけど、僕はそれを大切にした。ユメの笑顔とこの花は、いつも僕の心の中で輝いていたからだ。
親に売られて戦闘員になった子供は僕以外にもいたけど、冷酷な戦闘マシーンのようになっていく彼らと違って僕は感情が少し残っていたらしい。
正直、仕事の邪魔だから僕も早く捨ててしまいたいと思ってた。一方で「感情」を捨てたらユメの笑顔に「癒される」感覚もなくなってしまうのかと思うと、心が残ってて良かったとも思ってる。まるで僕の中で唯一「人間らしさ」を失わせない支えとなってるように。
そのせいだろうか? 時折任務中に響く「声」が任務の邪魔をした。無数の子供の声が頭の中で悲鳴を上げるように訴えるんだ。
「嫌だ」――と。
2045年・夏。影縫いに入って3年程経った頃、僕を含めた数人の子供が芹沢さんに呼び出された。
大型の装甲車の後部座席に座る僕達。運転席と助手席に座るのは若い黒服の男2人。車内には不倫やスキャンダルのニュースが流れ、明るい話題と言えば、海外で活躍する若い野球選手の話題くらいだ。
「世間は平和だよなぁ」
運転席の男が呟いた。
「だな。でも俺たちが貧しいのはなんでだ?」
「さあな、政治家が悪いんだろ。外国みたいな強いリーダーが必要だってのに、この国ときたら……」
『では次の話題は、エネルギー危機がもたらす我が国の未来について。お話を聞かせてくださるのは海外のハーモニア大学で教授も務めるイサム博士です。彼の訴える『50年後崩壊説』を詳しく伺います』
「この博士、政府に直談判して追い返されたってSNSで話題になってなかったけ」
「ああ、あれは酷かったな。まさに大炎上ってやつだったよ。でもエネルギー危機なんて本当にあるのか?」
「戦争が2つも起きてるからな。株価暴落・価格高騰・加えて一部の国じゃエネルギーの独占もされてるって話だ。エネルギー危機があったとしてもおかしくはないけどさ……」
『世の中を支えるエネルギーが枯渇すれば、格差が生まれ、若者たちは貧困に苦しむ未来が待っている。今立ち上がらなければ、我々は緩やかな崩壊を迎えるだけだ』
「『50年後崩壊説』ね、そんな陰謀論気にかけてる場合じゃねぇよ。こっちは今日の食事を稼ぐのに精いっぱいなんですぅ!」
「だな。そういえば、お前娘が生まれたんだって?」
「ああ、かわいいぞ。今度見に来いよ」
「そうだな、次の休みまで生きていられたら、な」
彼らの言う通り、僕たち「若者」は生きる事にせいいっぱいで、余計な事を考えている暇はない。守りたいものが出来れば自由を失い、がむしゃらに働くしかない。ニュースの博士に向けた暴言だって、普段周りにペコペコ頭を下げている彼らからしたら「数少ない怒りのはけ口」なんだろう。
「そういえば、この間芹沢様に褒められたんだ。よく働いてくれてますねってさ」
「へえ、あの「絶対統制者」がね。すげぇな」
「これからも優秀な駒として尽力しなさいだってさ」
「おい、リュウ」
「はい」
「俺たちの仕事はらお前の仕事の送迎だ。お前が仕事を失敗しなければ、俺たちは芹沢様に褒められるんだからな」
彼ら「若い大人」の事を、芹沢さんは「無能」と言う事もあるし「優秀」と称える事もあった。矛盾するそれは賞賛なのか、ただの皮肉なのか……芹沢さんの真意は誰にもわからなかった。
それから2時間。
辺りは見渡す限り木々と山に囲まれ、村であっただろう草ぼうぼうのその場所。建物として形を残しているのは小さな教会一軒のみ。
「あの教会で芹沢様がお待ちだ」
それを聞いた僕を含む子供達が想像するのは、きっと同じだったと思う。
――殺される。
仕事に失敗した同僚が「お仕置き」と称され、二度と戻ってこなかったのを何度も見てきたからだ。
逃げ出したい、しかし逆らえば反抗とみなされ確実な死が待っている。息を呑み教会に足を踏み入れると、古ぼけたステンドグラスから伸びる光が祭壇を照らし、そこに立つ芹沢さんの影を長く落としていた。
「祈るなど、普段の私からは想像がつかない……といった顔をしていますね。人間ですから時に弱さを見せる事は必要なのですよ。私も例外ではございません」
――弱さ?
その日の芹沢さんはいつもと雰囲気が違っていた。
手に小さな十字架を持ち、十字に手を切るように手を動かす。思いにふけるように沈黙する芹沢さんの背中を、僕たちは無言で見つめた。まさか、死者を慈しんでいるのだろうか? 「絶対統制者」である彼が?
「君たちは世の中を毒す真の敵が誰か、わかりますか?」
芹沢さんの問いに答える者はいなかった。
「私くらいの年になると人間は2種に分かれる。世界を救う「天才」と、ただ国に寄生する「愚者」です。「多数派」である彼らは欲望のまま「少数派」の犠牲を望み、未来を食い尽くす。一方私のような「天才」は、腐敗を取り除く為に手を汚し革命を起こす。そして君たちは私の作る未来の為に共に血を流す駒……反抗は無意味と理解しなさい」
未来の為に血を流す。もちろん、反抗するつもりなんてない。僕たちはそう答えた。すると――
「それが賢い判断ですが、少しだけ昔話をしましょう。ある少年が虐待を受けていた。彼は親の愛を得るために勉強に励んだが、親は少年を金のために売り飛ばそうとした。愚かさに気付いた少年は感情を捨てることを決め、親を殺してしまった。そして成長した少年は知恵を生かし権力と財を手にした。言ってることが理解できますか?」
それは芹沢ユウジの子供の頃の話なのだろうか?
「いいえ」
僕たちの答えに芹沢ユウジはため息をついた。
「少年は、その時初めて知った。感情は無力、愛や絆など幻想に過ぎない。そして犠牲のない変革など存在しません。感情に縛られない者だけが世界を動かすことができる。もし残酷だと感じるなら、それは君たちが『愚者』である証拠です」
何かを達成する為に犠牲は仕方がない。それが僕達であっても、芹沢さん自身であっても……?
「「天才」も人間だ。神に祈るのは許しを乞うためではなく、咎を背負う覚悟を得る為です。神ですら私の行動に干渉はできないでしょう。さて……では君たちはどうですか? 運命を打開しますか? それとも無意味と理解し反抗を諦めますか?」
正直矛盾していると思った。
――反抗は無意味。
それは「影縫い」に来てから鉄の鎖のように皆の心を縛りつける絶対の真実。皆抵抗をする事すら忘れ、残された道は従う事のみ。こんな八方ふさがりな現実を叩き付けられているのに運命を打開……そんな事、できるのだろうか?
――そんな僕の転機は、妹のユメが死んだことだった。
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