地下研究所③ 僕がリュウ君みたいに強ければ
「人は自由を求めますが、その自由を支える為の犠牲を直視する者は実に少ない。傍観者である神は、正しくそれを見極めています。選ぶ者こそが、真に責任を負う者なのだと」
*
「こっちが出口か」
マップを見ながら出口の方向を確認した直後だった。
『ビ――――…… プログラム5849の反抗を確認。緊急処置に入ります』
子猫の前に『delete』の言葉が表示される。
「君もここまでなんだな。ありがとう」
寂しそうにふんふんと鼻を動かす子猫。何かをねだっているみたいだ。
『にゃあ、にゃあ……』
どうしたらいいんだろう? 今朝のアヤカを思い出しながら子猫の喉の部分に触れると、ごろごろと喉を鳴らしながら気持ちよさそうに目を細めた。
「君の主人じゃなくてごめん。アヤカは必ず助けるから、安心してほしい」
『にゃあ♪』
いつもの甘えるような少し高めの泣き声を最後に、子猫はノイズとなり消えて行った。
――さて、僕の前にはついさっき倒したばかりの化け物がいる。
走り込んでからの強烈な膝蹴りに、巨体は上手く吹き飛んでくれて、そのままとどめを刺すことが出来た。そして――僕の拳には、左手首から引きはがした黒い石。これを持ち帰れば、この化け物の正体を突き止める事が出来るはずだ。
「えっと……リュウ君、だよね?」
振り向くと、そこにはタクミ君がへたり込んで座っていた。そう、僕はアヤカのAIの案内を受けて廊下を走っていたところで化け物に襲われてるタクミ君を発見して、倒したところなんだ。
「タクミ君、怪我はない?」
「う、うん」
顔面は蒼白。腰が抜けてへたりこんれいるタクミ君は、化け物に襲われた恐怖から体中ががたがたと震えてる。とりあえず体調チェックの為に彼の手をとり脈拍と熱を測った。彼の頭の上に巨大な「?」マークが浮かんでる気がするけど、事態は一刻を争うから手短に済まさないといけない。最後に瞳孔を開き目を近づけると――
「ちょ、ちょっと!!」
驚いた様子で後ずさるタクミ君に、思わず苦笑いを漏らした。
「あ、ごめん……体調チェックしただけだよ」
「体調チェック!? なんで!?」
そういえば、前にアヤカにも体調チェックを断固拒否されたっけ。僕は少しだけ考え込んだ。女子特有の反応だと思ってたけど、違うのか?
「……そっか。同い年の男子でも違和感を感じる物なんだね」
「……同い年の男子に体調チェックなんてされないよ……そもそも」
「そういうものなのか」
軽い突っ込みを受けてタクミ君の顔を見ると、表情がさっきより柔らかくなっている。よかった、少し落ち着いたみたいだ。
「ほっとしたよ、いつもの天然大真面目なリュウ君で。一瞬別人かと思っちゃったよ」
よかったけど……天然大真面目はあまり喜べないな。
「今出口までの道をメモするから待ってて。奴らは鈍いから、走って距離を取りながら逃げるんだ。1人で行けるかな?」
「あんな化け物がうじゃうじゃいるところに、1人で!? 危険だよ、一度外に出て警察を呼ぶべきじゃないかな?」
一度外に出て助けを呼ぶべき――タクミ君の言う通りなのかもしれない。でも、こうしている間もアヤカに危険が及んでいる可能性がある。
「アヤカは、僕の命に代えても守る。そう、決めたから」
「命に代えても……?」
僕が頷くと、タクミ君は泣きそうな顔をしながらしょんぼりしたように、肩を落とした。
「やっぱり、リュウ君には敵わないな」
敵わない? どう言う事だ?
タクミ君は、左腕につけたスマロに少しだけ触れて、溜息をついた。
「あれ、スマロ忘れたって言ってなかったっけ?」
「う、うん。これは……」
――タクミ君は、美術室でスマロが皆を気絶させた後の事を話してくれた。
1人スマロを忘れたタクミ君は、皆が気絶する中1人だけ無事だった。でも――目の前でアヤカが黒服の男に連れて行かれるのを見て、必死にとびかかったそうだ。でも、体の小さい彼は全く歯が立たなかったらしい。
「僕がリュウ君みたいに強ければ、アヤカさんをあんな目に合わせなくて済んだのに」
「タクミ君が気に病む事じゃないよ」
「えっと、そうじゃないんだ。実は僕、あの後掴まってこの奥の研究室に連れて行かれたんだけど」
「アヤカとレオ君も一緒に?」
「うん、スマロを忘れて1人だけ投票できなかったから、言われたんだ。最後の投票をして、僕とレオ君どっちが犠牲になるか選べって」
……タクミ君の話はまさに、夢の通りだった。
「タクミ君は、選んだの?」
「選んだよ……僕を犠牲にしてくださいって」
「――レオ君は君にあんなひどい事をしてたのに、彼の為に自分を犠牲にしようとしたのか?」
「だって、僕誰の役にも立たないから。絵なんて描けても、喜んでくれるのはアヤカさんくらいだし」
違う。君が「輝くようなライトブルー」を絵筆で描いた時、皆の視線は君に集中してた。僕たちのクラス……いや、学園内で一番価値がある生徒が誰かと言ったら、それはタクミ君と僕は思う。
「でもね」
タクミ君は言葉を続けた。
「それを言った時に科学者みたいな白衣を着た人が言ったんだ。『集中力と無尽蔵の意志。もしかしたらキッド候補になれる器かもしれん』って。そしてこのスマロを腕につけられたんだ。それで……」
キッド――過去にここから盗まれたというクローン。この研究施設ではその代わりとなる子供の生成をしてるって聞いたけど、タクミ君が?
「戦えって言われたんだ。化け物と……お前が倒せたら、3人共解放するって。僕……死んでもいいやって思ってたのに、いざとなったら怖くなって……それで……」
「……」
「たまたま壁にもたれかかったら後ろの自動扉が開いて……それで逃げる事が出来たんだ」
タクミ君はがたがたと体を震わせた。
「僕は何も出来なかった!! アヤカさんを助けたいって思ったのに、結局1人情けなく逃げ出したんだ……!!」
――それは、誰だって経験のある事じゃないだろうか。
僕も似たような経験をしたことある。「影縫い」にいた頃――殺しをする時、または自分の命が狙われた時――脳内ではいつも響いていた、ある『声』がいつも冷静な判断を阻害した。
「嫌だ」と繰り返し叫ぶ、誰のものかわからない『声』――「ゼロの領域」は、それを消す為に編み出した技といってもいい。でも、その代償なのだろうか? 僕は感情というものをあまり感じなくなってしまったんだ。
羨ましいと思った。怖い事を怖いと言える事。悔しい時に涙を流せる事。全部、僕には出来ない事だからだ。
「僕も経験あるからわかるよ。不安や恐怖は誰にだってある感情だ」
「リュウ君も怖いって思う事があるんだ? で、でもあまり怖がってるように見えないな」
「深呼吸して心の刺激を遮断するんだ。そうしてれば、怖くない」
「それって、どうやるの? 僕にも出来る?」
「ゼロの領域」の絶対集中的な状態は、タクミ君が絵画をする時の過集中が近い状態だと思う。彼の集中力なら、すぐ習得できると思うけど。
「誰にでも出来るよ」
「じゃあ、僕もリュウ君みたいに強くなれるのかな?」
「タクミ君はもう強いんじゃないかな」
「ぼ、僕が!? どうして?」
それは僕の本心だった。
日々の暴行やいじめに屈する事もなく、才能を鼻にかける事もない。そして、いつも絵画に一生懸命向き合っていた君を、僕はいつも「強い」と思ってた。
――ただ感情を殺して任務をこなすだけの僕とは、雲梯の差だ。
「ここだよ、僕が逃げてきた部屋」
「ありがとう、僕が先に入る。扉を開けてくれる?」
タクミ君が頷いてボタンを押そうと手を伸ばした。
――その時ふと、頭にある疑問がよぎった。『何故タクミ君は都合よく逃げ出す事ができたのか』――って。
彼が逃げてきた経路をそのまま歩いてきたけど、追手の気配は感じなかった。これは、偶然なのか……?
スマロの充電機能である「吸収」を使用しての生徒の拘束。そして、多数決による「不用な者」の選定。一連の出来事は学生証兼通信機器であるスマロを使用しての事だ。
――つまり、この一件には学園が関与してる確率が極めて高い。下手したら、あの侵入者も学園の……?
そこまで考えて、一瞬背筋が凍りつく感覚を覚えた。
あまりにも都合が良すぎないか?
侵入者の「メーファス」と「鍵となるのは澤谷アヤカ」という言葉。「終焉の夕陽」と共に現れたシオン。突然の不用な者を選べというメッセージ。そして……シオンは僕を襲ったにも関わらず、後を追ってこなかった。
――もしかして、僕は泳がされているのか? 誰に? まさか……
ゾクゾクとした悪寒。この感覚は、過去に経験した『自分自身が獲物になる感覚』――。この、感覚は――
「うわああああああああああああああああ!!!!」
――!! 突如、扉の奥から叫び声。レオ君の声だった。
「タクミ君、扉を開けて」
「う、うん!!」
扉の横の開錠ボタンを押した瞬間僕らの前に映ったのは――
「た、助けて……」
化け物に頭部を鷲掴みにされ、苦しそうに足をばたつかせるレオ君。そして、その奥には……椅子に拘束され気絶したアヤカの姿があった。