「不用な者」 助けたい――その感情が心の片隅にあっても
――2時限目の美術室。
「最後に皆の絵をチェックしに来ますからね」
美術の教師が扉を閉める音と共に、生徒たちは不機嫌そうにスマロを起動させ始めた。
ハーモニア大学附属学院の美術では、スマロが表示した白いホログラムに絵を描く【デジタルアート】が主流だ。でも
「いつもならスマロに命令すれば一発で出て来るのに」
手作業での起動に生徒達の不満が漏れる。
そう、スマロの不具合は僕とアヤカだけじゃなかったんだ。そして――
――美術の授業用アプリだけが都合よく動く。まるで誰かの意図によるもののように。
窓の外に目を向ければ、先程の「夕陽」が教室全体を赤く照らしている――不気味な程濃く重いその色は、何かの不吉の予兆のようだ。
*
「わ、綺麗」
誰かが息を呑むように呟いた。
「輝くようなライトブルー」――いくつもの色が重なり合って創られたその色は、絵心のない僕ですら目を奪われるほど美しい。
キャンパスに向かうのは、スマロを忘れて1人アナログアートを描くタクミ君。そして、彼の正面にはアヤカと、何故か僕がいる。
「どうして僕まで?」
「ええっと、1人じゃ寂しいと思って」
何が? と聞こうと思ったけど、隣のアヤカの周囲が淡く小さな光で照らされているのに気づいて言葉を止める。太陽の精霊はアヤカの「喜び」の感情に反応して光を放つからだ。いったい、何に喜んでいるのかはさっぱりわからなかったけど……。
「でも、怪我が大したことなくてよかったよ。腕、傷まない?」
「うん、腕だけは打たれなかったんだ」
「そっか。ところで……それ最優秀賞をとった絵じゃなかったっけ?」
タクミ君が今描いているのはつい先日コンクールで最優秀賞を獲得した絵だ。
描かれてるのは、大樹の根元に佇む妖精。
金髪にライトブルーの瞳。瞳と同じ色の淡い光を放つブルーのドレスは裾に色とりどりの光が集まり、まるで花束が添えられているかのようだ。
そして、アヤカとその妖精の姿が重なる。似てるなと思ったけど……やっぱりモデルはアヤカだったみたいだ。
「絵具くせぇな、この匂いなんとかなんねぇの?」
レオ君と取り巻きの2人が大声で叫んだ。でも
「リュウ君、こっち向いて」
――すごい集中力だ。
絵を描くスイッチが入ったタクミ君は、過集中状態――僕の「ゼロの領域」と同じような絶対集中的な状態に入ってる。今の皮肉たっぷりの言葉も、彼の耳には届いていないようだ。
「自分は天才だからって見下した顔してるけど、実際はクラスで嫌われ者。ざまぁねぇな」
「スマロが治ったらSNSにさっきの素っ裸アップしようぜ」
取り巻き2人の言葉は独り言のように教室に空しく響いた。
「レオさんのデジタルアート、今日もすごいっすね。あんな古臭い絵より俺はこっちのほうが評価されるべきだと思いますけどね」
「先月ネットコンテストで銀賞でしたもんね」
「うっせぇ、黙ってろ」
レオ君に睨まれ、取り巻きの2人も諦めたのか静かにデジタルキャンバスに向き直った。そしてレオ君が小さく呟く。
「お前、自分の才能だけで生きていけるって思ってるだろ? 俺たちみたいに、必死に努力して何かを掴もうとする人間を見下して――笑ってるんだよな?」
タクミ君の反応はない。その様子に彼は小さく舌打ちを漏らした。
――ふう、と小さなため息が聞こえた。
「タクミ君は、人の絵を描くのが好きなんだね」
一息ついたタクミ君にアヤカが話しかけると、彼は絵筆を動かしたまま嬉しそうに微笑んだ。
「人の表情が好きなんだ。優しい人の優しい顔、明るい人の明るい笑顔……怒りっぽい人の、むっつりした顔とかもね」
「怒った人は、怒った顔で描くって事?」
「怒り顔がだめってわけじゃないよ、どうしてそういう顔をしているのかなって、考えるんだ。どんな人生を送ってきたか、何を大切にしてるか、何を守るために怒ってるのかな、とか」
――怒りっぽい人。その言葉に僕とアヤカの視線が自然とレオ君の方へ向く。
「わ、わわ……そ、そういう意味じゃなくて」
慌てて取り繕う様子に、僕とアヤカは同時に苦笑いを漏らした。タクミ君は僕たちにだけ聞こえるような小さな声で話を続けた。
「『悪を憎むな。悪を憎むことは、悪を理解することを妨げる』って……僕の好きな画家の言葉なんだけど」
「悪を理解することを妨げる……?」
アヤカが首を傾げた。
「人は自分のしたことが『悪』と思いながら生きてるわけじゃなくて、守りたかったものがあったのかもしれない。例えば家族だったり、夢だったり……人の表情には『理由』があると思ってるんだ」
「表情の理由かぁ……じゃあ、私はどんな顔で描かれてるの?」
「それは出来上がるまで秘密、だよ」
少し照れくさそうに笑いながら、再び絵筆をキャンパスに向けるタクミ君。
「楽しみにしてるね」
「期待に応えられるように、頑張るよ」
アヤカは嬉しそうに微笑みながら体を軽く左右に揺らす。その姿を目を細めながら見つめるタクミ君のは少しだけ「内心の複雑さが滲み出たような微笑」を浮かべた。
*
ピロン――
時計が11時を指した瞬間、教室中に響いた電子音。皆がデジタルアートを描いていたキャンパスが黒く染まり、代わりにメッセージが浮かび上がる。
『このクラスで不用な人間を一人選べ 3:00』
「え?」
意味深な問いかけと共に、クラスメイト15人の顔写真がディスプレイに並ぶ。突如現れた謎のメッセージに教室中がざわめき始めた。
「なにこれ?」
「先生いないんだけどどうしたらいいの?」
クラスメイトたちがざわめく中、文字の横のタイマーは刻々と減っていった。
「リュウ、なんだろうこれ?」
アヤカが不安げに声をかける。単純に多数決に見えるけど【不用な者】に選ばれたらどうなるんだ……? 何らかのペナルティがあるのか? 試しにスマロを外そうとすると――
「外れない……?」
――ロックがかかっていた。一体これはなんだ? 嫌な汗がにじむ。明らかに――おかしい。
「そういえば、このクラスには皆を凡人だって見下して馬鹿にしてる奴がいたよな?」
レオ君の声に皆の視線が一斉にタクミ君に注がれた。
「えっ……!! ぼ、僕!?」
「面白いじゃねぇか。何だかわかんねぇけど、俺はあいつに入れるぞ」
「俺も、そうします」
「俺も!!」
パネルに手を伸ばすレオ君と取り巻き2人。誰も反論しない――むしろ、タクミ君に向ける皆の視線はレオ君への賛同の色が浮かんでいるように感じた。
――まずい。
僕は思わず立ち上がり彼らに叫んだ
「待つんだ、何かおかしい。軽はずみに誰かを選ぶのは――」
「何がおかしいんだよ? ただのアンケートだろ?」
「不自然だ、不用な者を選べだなんて」
「リュウ」
急にレオ君の声が低くなり、にらみを利かすような視線が投げかけられた。
「俺たちに偉そうに指図するな。お前はタクミ以下――一般人以下の人間だろ?」
「――!! レオ君、僕は」
「本来ならアヤカには会う事も無かったような人間だろうが」
「リュウ君」
言い返そうとした僕の肩を、タクミ君がそっと掴んだ。
「リュウ君も、僕を選んでよ」
「何を、言って」
「僕、絵しか取り柄がないから……貧乏だし遅刻も忘れ物も多いし、友達もほとんどいない。この中で1人不用な者がいるとしたら間違いなく僕だ」
――その声は、微かに震えていた。
タイマーが30秒を切った。謎の問いかけへの不安から、皆の緊張が頂点に達する。
そんな中レオ君だけが余裕そうに笑みを浮かべてタクミの写真をタップした。その後を追うように、取り巻き達がタクミ君の写真をタップしていった。
「いいんだよ、何かあっても僕ならだれも困らないし」
タクミ君を「不用」と思えって……? そんな事できるわけ――ない。でも
「アヤカ、僕に投票して」
「……でもリュウに何かあったら」
情けない事に、僕に出来るのはこれが精いっぱいだった。少しだけタクミ君の方を見ると、彼は「内心の複雑さが滲み出たような微笑」を浮かべていた。
アヤカは目の前のパネルをじっと見つめたまま、小さく首を振った。でも万が一でもアヤカを危険に晒すわけにはいかない。
不安そうに顔を伏せる彼女の手を取り細い指をホログラムに向けさせると、小さく呟いた
「大丈夫、僕を信じて。僕は君を守るためにいるんだ」
アヤカの指を僕の顔写真に触れさせた直後、タイマーの数字が「0」になる。その瞬間――
『プログラム・メーファス 起動します』
「メーファス!?」
教室に響く冷たい音声。そして――
『吸収』
スマロの音声と共に弾けるようなスパーク音が耳に響き――同時にスマロから全身を貫くような衝撃が走った。
――なんだ、これ……!!
――スマロの充電をする時の「吸収」システムか!? でも、人間に使うものじゃないはずだ。誰が? 何のために!?
衝撃に意識が飛びそうになり、歯を食いしばり、頭を振って必死に正気を保つ。周囲に目を向けるとクラスメイト達が次々倒れる姿が映った。
「わ、わわ!! だ、誰!?」
バタバタと数人の足音と、慌てるタクミ君の声が聞こえた。そして――
「アヤカ――!!」
アヤカが椅子から崩れ落ちる。彼女の細い体を抱きかかえたのは、黒服の男だった。僕は咄嗟に手を伸ばしたが――
『吸収』
「――がッ――!!」
再び響くスマロの音声。その瞬間、再び全身を貫く衝撃が走り手は空を切る。そして一瞬窓の外の夕陽が視界に映った。
――不気味な赤い光が、遠ざかるように小さくなっていき……そのまま意識は深い闇に飲み込まれていった。