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重厚で、荘厳で、威厳に満ちた『音』。
魔王様の人を表すようなそれは真っ直ぐで無駄がない。
どっしりとした自我の土台の上に、誠実で合理的な思想が立っているんだ。
けれども、それなら…合間に忍ばされた情熱的で甘い音色は何だろう?
時に優しく、擽るように歌うそれはまるで…愛でも囁かれているみたいじゃないか。
どうして魔王様はそんな音を奏でるのだろう?
どうして私は…その音に心を鷲掴みにされているのだろう?
分からないけど、とにかく今は…この素晴らしい演奏に囚われていたい。
…本当に?
本当に、囚われていたい…それだけ?
違う。私は…私も…
私の欲を見透かしたように魔王様が笑い、その旋律で誘ってくる。
おいで、おいで、と手招いている。
それでも二の足を踏んでいると、魔王様はわざと演奏を欠けさせた。
独奏で成り立っていた音楽が物足りないものになり、分かりやすく隙間が出来る。
なんて強引な人なのだろう。でも、嫌じゃない。
そこまでされたら、畏れ多いだなんて遠慮はもう…吹き飛んだよね!
ダンスの直前、差し出された手に己の手を重ねるように。
私は相棒を構え、魔王様の『音』に重なった。
ジャン、ジャーン、ジャン!
パァ、パ、パラーッパパー!
一番気の合う友人とやるよりもピタリとはまる二重奏に心が踊る。
何これ!凄い!楽しくて仕方ない!
どんなに好き勝手歌っても、魔王様の音は当たり前のように寄り添ってくれる。むしろ、たまに先導されてしまうくらいだ。
それが悔しくて、私もピタリと寄り添って隙あらば主導権を取り返す。その繰り返し。
楽団には"うるさい"と称される私達の音にも魔王様の音はちっとも負けていなくて、音符同士が手を繋いで混ざり合うように響いている。
楽しい!楽しいです!魔王様!あなたは楽しんでくれていますか?
ああ、勿論だ。だからもっと歌うが良い。もっと…お前の音を俺に寄越せ!
わぁ、なんて強欲な魔王様。
当然だ。魔王なのだからな。
『音』で私達は会話して、顔を見合わせて目で笑う。
そろそろ終わらせるつもりなのか、魔王様の音がクライマックスに向けて盛り上がっていった。
ついてこいってことですか。
それなら、追い抜いてやりましょう!
もっと鳴らせという音に答えるように、私は両足をぐっと踏ん張って大きくブレスをする。
そして、ベルを一段上げて…今持てる最高の音を吹き鳴らした。
酸欠か、興奮か。
パチパチと拍手のように周囲で光が弾ける。
ああ、違う。これは…私と魔王様の魔力が『音』を通して反応しているんだ。
二つの音が並んでクレッシェンドの坂を駆け上がっていく。
そして、ここだと目を合わせ…
ジャーン!
パァァッ!
最後の一音が余韻まで完璧に重なった。
「っ、ぷは」
相棒から口を離し、胸に手を当てる。
ふわふわくらくらとした酩酊感の中で、心臓の鼓動だけがハッキリと現実味を帯びていた。
いやはやさすがは魔王様というか…うん。滅茶苦茶凄かった!!
「…想像以上だ。これは、堪らないな」
「でしょうね。貴方のあんな生き生きとした音…初めて聞きましたよ」
「で?どうだ?」
「ええ。ここまで相性の良い二重奏を聞かされて、反対する者などおりますまい」
「???」
何の話をしているのだろう?
反対する者…?はっ!まさか魔王様…私を楽団に推薦してくれたり…!?
「喜べ、ミュゼット・フェローチェ。お前と俺の婚約が成立した」
「なんて???」
全然違った。いやもうそんな次元じゃない。
いや、おかしいでしょ。明らかにおかしい単語出てきたよね?
相棒鳴らしすぎて耳の調子でも悪くしたかな??
「ミュゼット様、今の演奏は魔道具にてパーティーの会場並びに城下へ流させていただきました」
「え?」
「魔王様の鍵盤も貴女様の喇叭も特徴的な音色ですので、誰もがお二方の二重奏だと分かったことでしょう」
「なん…え??二重奏を大衆にってそれ…」
「そういうことだ」
「はいいいいいい!?」
この世界において『音』は特別なものであり、だからこそ『音』を重ねる行為にも特別な意味が発生する場合がある。
例えば盃の代わりに『音』を重ねて義兄弟の契りとしたり。
契約書の代わりに重ねた『音』を録音したり。
基本『音』を重ねるのは信頼の証である。
そして、未婚の男女が『音』を重ねるとなれば…その意味は想像に容易い。
婚約、である。
ちなみに結婚の場合は互いの魔楽器を交換して『音』を重ねるそうだ。
って、そんな豆知識はどうでも良くて!!
「な、ななななな、なんで!そんなことを!?」
「お前が欲しいからだが?」
「ド直球!!!」
「諦めてください」
「なんて良い笑顔!!」
私にそんなつもりがなくても、わざわざ魔道具まで使って拡散したそれに"意図がない"と思う鈍感などいないだろう。
だって私が聞く側だったなら、わぁ見せつけてくるじゃんってニヤニヤするもん!!絶対!!
あぁ、今更になって「二重奏は軽々しくしてはいけませんよ」なんて学舎の先生の言葉が甦る…!遅いよ先生ぇ!!
「そもそも!魔王様はいいんですか!?こんなちんちくりんを娶るとか、嫌じゃないんですか!?」
「はて?お前の見た目は好ましいぞ。一目惚れだったからな」
「清々しい!!!…で、でもほら、性格とかは…!」
「あれだけ『音』が嵌まる相手と合わないと思うか?」
「オモイマセン…」
完敗した。『音』は心そのものだ。
それがあそこまで相性ピッタリな時点で詰みである。
ぐぬぬ…じゃあ、アプローチを変えてみよう!
「あの、側近さん?魔王様ちょっと軽率じゃないですか?」
「何故?」
「何故…??」
「お前の『音楽』は国益になるし、お前は俺の癒しにもなる。これ程合理的な選択はないと思わないか?」
「そういうことです。再度申し上げますが、諦めてください」
「ひぃん」
味方はいなかった。
シワシワな顔で項垂れた私の頭を大きく優しい手が撫で、悪魔にしては小さな角で遊ばれる。
くすぐったいと抗議しようと顔を上げれば、思いの外至近距離にあった御尊顔に呼吸が止まった。
「お前はまだ"その気"ではないようだが、安心しろ。すぐに…堕としてやる」
「びゃ!?」
頭まで溶かしてきそうな熱っぽい声とパクリと食まれた耳から全身を巡った痺れにパニックを起こし、私は相棒で一音…帰還の『音』を奏でた。もう不敬とかそれどころではない。
魔王様の魔力に若干邪魔されたけど帰還の『音』は無事に発動し…
「また明日、な」
にんまりと笑う魔王様の不吉な言葉を最後に、私はお城を後にしたのである。
見慣れた自室に帰還して、すぐに世界をシャットアウトするように布団へ潜る。
けれども恋の音が五月蝿すぎて、これっぽっちも眠れやしなかった。
だって、あんなの、好きにならない方がおかしい!!
魔王様がそうだったように、私だってたぶん…一目惚れだったのだから。
尚、この後楽団員どころか魔王専属楽士なるとんでもない地位を与えられた私は白目を剥いてぶっ倒れることになるし、そもそもの原因は私の「私の『音楽』で…魔王様も戦場もいっぱいにしてやるんだ!」という発言のせいだと知って地に埋まりたくなったし、宣言通り私を堕とそうとぐいぐいくる魔王様に心臓ぶっ壊されそうになるんだけど…枕に呻き声をぶつける私は知るよしもなかったとさ。