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魔王side
「戦況は」
「芳しくありませんね。東側は落とされました」
「チッ」
側近の報告に思わず舌打ちがもれた。
さすがに兵の消耗が大き過ぎたか。
"勇者"との戦いは当初想像していたより激しいものだった。
準備の為に設けた一ヶ月は相手にとっても好都合だったらしく、鍛えられたその力はこちらの予想を越えてきたのである。
人族の成長を甘く見ていたな。これは俺の浅さが生んだミスだ。
更にその仲間というのも中々の実力者で、特に聖女と呼ばれた少女が奏でる回復の『音楽』が厄介であった。
どんな負傷も瞬時に全快させるなど見たこともない。
いや、古い文献にあった聖女のように蘇生の力がなかっただけマシか。
とはいえ我々も負けるつもりは毛頭なく、全力をもって連中を潰させてもらったが。
そう、全力をもって。
それほどまでに相手は強かったのである。
魔王の座についてからここまで苦戦したのは初めてで、戦争なんて非合理的で下らないと鼻で笑っていた己がいつしか血を求めて嗤う獣と化していたほどだ。
久方ぶりに本能が剥き出しにされた感覚は実に気分が良かった。
そうなると余計に"アレ"が耳障りだったが…まぁそれはいい。
そんな死闘が漸く終結したのが昨日の黄昏時。
俺が"勇者"の首を刎ねたその瞬間のことだ。
トップの死を見て逃げ去る相手の背に我らは勝鬨を上げた。
その時には皆ボロボロで、明るい表情以外は勝った筈なのに敗走兵のような有り様だったがな。
しかしこれで漸く暖かいベッドで眠れる。
…と、誰もがそう思っていたのに…
「西側はどうなっている」
「人狼の軍が何とか食い止めていますが…時間の問題かと」
我らは今朝方…まだ日も昇りきらぬ時分に奇襲を受けた。それも、別の人族の国にだ。
警戒を怠っていたつもりはない。だが、万全だったとも言えない。
如何せん、我々は消耗しすぎていた。
そもそも正式な宣戦布告を交わした国同士の争い、その前後に許可なく横槍を入れるのは世界的に許されない筈なんだがな…
奴らはそんな決まり事など知ったことかと言わんばかりに攻撃をしかけてきたのである。
成る程、国の評判を落としてでも勝ちたいらしい。蛮族めが。
噂で聞く彼の国の状況…疫病の蔓延や不作、広がる貧困に領土の砂漠化で余裕がないのだろう。
おそらく俺達か勇者達か、どちらが勝っても襲うつもりだったのだろうな。
どちらも豊かな国であるのに変わりない。
追い詰められたタイニーラットはデスキャットを噛むと言うが、まさかこんなところでその意味を理解したくはなかった。
まだ己も体力が戻っておらず、兵は皆疲弊で実力を発揮できない。
この危機的状況の中どう立て直そうかと奥歯を磨り減らす俺の耳に、耳障りな"アレ"が届いた。
「…楽団の方はどうなっている」
「総出で『音楽』によるアシストをしておりますが…この乱戦の中ではどうにも届き難いようで…」
「だろうな」
『音』や『音楽』は基本、相手に届かなければ意味がない。
火を使うなら火の精霊に、水を使うなら水の精霊に、守りや力の底上げをするならその対象に届ける必要があるのだ。
精霊がそれを受け入れれば、『音』に乗せられた魔力から願いを汲み取って人の代わりに技能を発動してくれる。
人がそれを聞き入れれば、『音楽』に編み込まれた魔力がそのまま体に浸透する。
だからこそ楽団は常に『音楽』を拡張させる魔道具を使うのだが…あいにく先の戦いで予備の分までエネルギーを使い切ってしまっていた。
そうなると魔楽器の生音で尽力してもらう他ないのだが…
「チッ。あんなに軟弱な『音楽』で…届くものか」
「しかし、楽団も昨日の今日で疲弊しておりますから…」
「血を流す兵よりもか?笑わせるな」
疲弊だけが原因とは思わない。
そもそもが腑抜けた音なのだ。
どの国においても『音楽』で重視されるのはその美しさ。
綺麗で、整っていて、柔らかく繊細な…たおやかな女性のような『音楽』こそが一番強い効果を発揮でき、故に至高とされている。
その影響か、この世界には似たり寄ったりな旋律ばかりが広がった。それのなんと退屈なことか。
一部の島国には変わったリズムのものがあるらしいが…少なくとも俺は聞いたことがない。
俺はあの、背を優しく撫でるような音楽が嫌いだ。
あの、すべて許すと抱き締めるような音楽が嫌いだ。
いっそ俺に触れるなと拒絶したい程に、な。
皆はあのオキレイな音で癒されるだの支えられるだの励まされるだの宣うが、昔から俺にとってのアレは気勢を削ぐ雑音にしかならなかった。
確かに室内で聞くだけなら美しさは大事だろう。しかし、少なくとも戦場に必要なのはそれではない筈だ。
現に、この切迫した状況においてそのオキレイさは見向きもされていないのだから。
「…っ!?魔王様!!西側も崩れたと、今…っ!」
「…やむを得んな」
「な、何を…!いけません!すぐに貴方様は撤退の準備を!」
「愚か者。民を残して王が退けるものか」
「その王なくして国は立ち得ません!!そも、忌々しき勇者に負わされたその傷では…」
「それでも、退けぬだろうよ」
おそらく逃げ帰ったところでこちらが立て直すより相手の到着の方が早い。
何より、城下を戦場になど出来るものか。
確かに勇者の聖剣でつけられた傷は焼かれるように痛み、塞がる様子もなく血がにじみ続けているが…それでも、ここで止めなければ負けるのだ。
「…世継ぎを作らなかったことを、初めて後悔したな」
「陛下…」
こんなことなら気が進まずとも一人や二人娶っておくべきだった。
明日の国を任せられる者は、果たして誰だろうか…
「陛下!縁起でもないお戯れはお止めください!」
「…案ずるな。簡単にくたばるつもりはない」
簡単には死なない。
…生きて帰れる、とも思っていないが。
それほどまでに聖剣による傷は見た目以上に俺の力を奪っていた。あぁ、忌々しい。
死地へ向かう覚悟を悟られないよう気を張りながら、俺はいつになく重い己の剣を手にする。
そして己の魔楽器の黒鍵を一つ叩き、刀身に黒い炎を宿した。
「陛下!わたくしも…!」
「貴様は残った兵を集めて撤退しろ」
「は!?何を…!?」
「『音』を使うのに邪魔だ」
「っ!!はい…と、言うわけ、ないだろうが!!!この頑固者!!」
「っはは!やはり貴様はその方がいいぞ」
「うるさい!!馬鹿な従弟の頼みなんぞ、もう聞いてやらんからな!!」
眼鏡を握り潰した従兄を笑い、同じく武器を構えた姿に頼もしさが込み上げる。
国のためを思うなら彼をここで使い潰すなど愚策も良いところだが…一つくらい、俺の我が儘を許してほしいものだ。
恙無く曲が奏でられるように、己の最期へと小節が進んでいく。
しかし、いざ戦場へ足を踏み入れようとした…その時だった。
パァァァァ、パパラッ、パパラッ、パパラァァァァ!
パパラパァァァァ、パパラッパ、パラパパァァァァ!
パァァァァ、パパラッ、パパラッ、パパラァァァァ!
パパラパッパ、ラッパ、パッパ、パパパラァァァァ!
パッパラァァァァァァァァ!!!!
高らかな音が…いや、『音楽』戦場を貫いたのは。
この混沌に微塵も埋もれることなく、天から差す光のように響き渡る独奏が瞬く間に己へ、兵へ力を注ぐ。
「な、何だ…!?」
「力が、あふれて…!」
「傷も…えっと、微妙に塞がったぞ…!」
楽団を見るも誰もが訳が分からないといった表情をするばかり。
楽団の人間じゃないのか?ならばこの『音楽』は一体…?
己こそが主役だと高らかに歌うそれは先刻の勇者を思わせる堂々っぷりで、勇ましい旋律は教官が気合いを入れろと兵の背を叩くかの如く乱暴で熱い。
そんな華やかなオープニングの次に奏でられたのは、旗を掲げて街を行進するような『音楽』だ。
それこそ…今頃国で挙げるはずだった凱旋パレードのような。
こんな音楽、俺は知らない。
それを奏でる主は高音のわりにはキツすぎず、それなのに恐ろしく華がある。
楽団で聞く横笛とも胡弓とも巻角笛とも、違う。
こんな音色、俺は知らない。
気付けば己を蝕んでいた傷から聖なる力が吹き飛ばされ、残るは微妙に癒えたただの傷のみ…ふむ、治癒能力はいまひとつか。
その代わりに力は底無しに沸き上がり、今ならすぐにでもこの戦を終わらせられそうだ。
それは兵達も同じらしく、すっかり昂った彼らは相手を押し返し始めている。
仕方ないだろうな。
何せ、この『音楽』が…勝利を!!勝利を!!と鼓舞してくるのだから。
「っく、はは!はははははは!!!ああ、なんてことだ!!見ろ、西も東も…あっという間に全てひっくり返ったぞ!」
「まさか、こんなことが…」
「なぁ、従兄よ」
「…なんだ」
そうかきっと俺は…この音に出会うのを待っていたのだ。
「世継ぎの話、帰ったら前向きに考えてやろうぞ」
背どころか魂まで震えたそれに、俺は初めて音楽を知った。
そして…
「ああ、あの子か…」
この燃えるような感情を、知った。