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宣戦布告から一月と少し。いよいよ戦争が始まろうとしていた。
緊張感漂う中、城下は国中から集まった民で溢れ返っている。
出兵式だ。
行ってこいよ!と鼓舞するパレードのようなものだね。
しかも今回は勇者討伐のために魔王様自ら出陣と言うのだから、その盛り上がりは凄まじい。
「ミュー!こっちこっち!」
「危な…流されるとこだったよ」
「人ヤバイもんね。手、繋いどこ?」
「婚約者くんに殺されない?」
「彼、ミューのこと妹だと思ってるから平気っしょ」
「初耳だが?」
何とか城内で場所をおさえられた私は友人と会話を挟みつつ周囲を見渡す。
広い敷地にはみっちりと兵が並び、魔王様が門から現れるのを待っている。
彼らの緊張感は私たちの比ではなく、ヒリつくような熱を腹で飼っているようだ。
まぁ無理もない。
魔王親征ともなれば誰だって士気が普段の十倍や二十倍になるだろう。
そんな兵士達の前。
門までの階段に並ぶのは、選ばれし楽団の楽士達。
皆揃いの灰色を基調とした制服に藍色のケープを羽織り、ケープと同色のベレー帽を乗せていた。
結局私がそこに加わることは出来なかったなぁ…
見てるだけで悔しさが込み上げる。
それを察してか、友人が励ますように背を撫でてくれた。
「皆の者!静粛に!!これより魔王様の御降臨である!!」
眼鏡をかけた悪魔の青年の声で辺りは面白いくらいの静寂に包まれる。
呼吸すら憚られるその空気の中、唸るような音を立てて城の門が開かれた。
「わ…ぁ……」
光を飲み込む漆黒の髪。
そこから伸びる巻角笛のように巻いた角は惚れ惚れする程立派だ。
切れ長の瞳は静かな氷の泉のようで、その碧は見たもの全てを凍てつかせてしまいそう。
表情を映さぬ顔はすべてのパーツが理想的に配置され、神が丹精込めて作り上げた美術品だと言われても納得する。
魔王様のお姿を生で見るのは初めてだけど…言葉を失うほどの美しさだ。
国内外から求婚が後を絶たないというのも当然だと思う。でも…隣に立つの凄く勇気いるよね。
「皆、まずは集まってくれて感謝する」
耳を犯したバリトンに背が震えた。
なんと、良い男は声も良いらしい。
私の手を握る力がきゅっと強くなったから、友人も同意見なのだろう。
「人族との戦など非合理的だが、あちらには勇者がいるという。その存在を潰すことは我が国の安寧に繋がるだろう。故に…」
魔力の高まりと共に、魔王様の碧の真ん中に紅が光る。
「この私を下せると思い上がった鼻っ柱ごと…これを折り砕いてやろうぞ!」
「「「おおおぉ!!!!」」」
「「「魔王様万歳!魔王様万歳!!」」」
おそらく国中に伝えられたのだろう演説に地響きのような歓声が上がる。
私達も例に漏れず、昂った心のままに「魔王様万歳!」と叫んだ。
しかし、上がったテンションは次の言葉で石つぶてに翼を穿たれたワイバーンの如く地に落とされた。
「では、魔王様。御出陣の前に楽団による『音楽』を奏でさせていただきます」
「…許そう。存分に奏でてみせよ」
「はっ!」
「…ミュー、顔、顔。苦団子食わされたタイニーラットみたいになってるよ」
「心境は似たようなもんだよ」
美味しいものだ!と気分が上がったところで不味いもの食わされて気分が下がるってね。
私にとっては不味いものが楽団の『音楽』に当たる。
だって、このぶち上がったテンションの中…それにそぐわぬ緩やかなメロディーが奏でられたのだから。
淑やかな女性がゆっくり頭を垂れるように、慈しみと清廉さに満ちた音が川のせせらぎの如く流れていく。
澄んだ水のような『音楽』が兵士や魔王様に吸い込まれ、肌で感じられるほどその力を何倍にも高めていった。
それは、神聖な儀式に似た一時。
誰もが聞き惚れ、行軍していく一同の背を無言で見送っていく。
美しい、とは思う。
けれど私は思うのだ。
戦に行く男達の背を押す『音楽』にしては…お利口すぎやしないか、と。
あんな野心の欠片もない『音』が本当に相応しいのだろうか、と。
シンプルに言おう。
シラけるんだよなぁぁぁぁ!!
不満たらたらで音楽に耳を傾けていると、不意に私の目の前を魔王様が颯爽と歩き去った。
こんな近くを通るとは思っておらず、失礼とは思いながらも御身を凝視してしまう。
(…あれ?)
意図せず見えてしまったその表情に目を丸くした。
だって、そこにあったのは先程牙を剥いた獰猛な顔じゃなく…
気を取られているうちに式は終わりを迎えていた。
パラパラと散っていく民を横目に眉間に渓谷を拵えていると、友人が心配そうに私を覗き込む。
「大丈夫?気分悪い?」
「そうじゃないんだけど…うーん…」
「何、何?気になるじゃん」
「あの、さ。魔王様が目の前通ったじゃん?」
「あー、あれね!近すぎてビックリしたよね。めっちゃいい匂いした!…あ、さてはミュー…惚れた?」
「違くて」
彼氏の一人もいたことがない私を心配してかからかってか、すぐ色恋に結びつけたがる友人にため息を吐きつつ言葉を続けた。
「魔王様…見間違いじゃなきゃ滅茶苦茶つまらなそうな顔してたんだよね」
「あー、そりゃそうだろうねー」
友人より上から返ってきた答えに視線を上げると、彼女の婚約者様がにこにこしながら立っている…いや、友人にバックハグをしている。お熱いこって。
って、そうじゃなくて。
「どういうことですか?」
「貴族の間じゃわりと有名だけど、魔王様って音楽が好きじゃないらしいんだよねー。つまらないんだってさー」
「え、そうなの!?噂好きなアタシでも初耳なんだけど!?」
「さすがに大っぴらにはしてないさー。楽団のやる気や質が下がっちゃ国としても困るしねー」
死霊の彼は友人の体温を奪いつつ、中々に際どい情報を緩く教えてくれた。それでいいのだろうか、お貴族様や。
「だからー、期待されない魔王直属なんて止めてミュゼットちゃんも僕の楽団においでよー」
成る程そっちが本命か。
「御誘いは大変嬉しいのですが…」
「ちぇー、またフラれちゃったー」
「アンタ、まだ勧誘諦めてなかったのね…アタシだけじゃ不満?」
「違うよー!僕は君の音が世界で一番好きだけどー、ミュゼットちゃんと二人並んだ音も好きなのー!だから欲しいなーってー」
「欲張りね」
「嫌いー?」
「まさか!お目が高いって褒めてあげるわ!」
胸焼けしそうな二人を置いて、私はさっさと一人帰路に着く。
「…はぁ」
未だ熱が冷めやらぬ城下を歩きながら、私は魔王様の顔をまた思い出す。
音楽がつまらない、なんて…
「すごく、勿体ないや」
何でも持っていそうな人に限って、皆が当たり前に享受する楽しさを持てないものなのだろうか。
それは悲しいと思うし、いつか魔王様にも素敵な音楽が見つかればいいなと思う。
いや、願わくば私が…
「なんて、ね」
そんな分不相応なことを考えながら、私は相棒の手入れでもしようかと自宅へ急いだのだった。