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「はぁ、ふぅ…っ!」
夕日の眩しさに目を細めつつ、私は乱れた息を整える。
流れた汗を拭い、アイテムボックスから取り出した水で喉を潤した。
いつも通りの一日を過ごし、ようやく訪れた自由時間。私はひたすら無心でランニングをしていたのである。
いや、元々は次の試験に向けて楽譜をさらっていたんだけど…どうにも気分がノらなかったんだよね。
楽譜に書かれた"もっと控えめに"、"もっと優しく"、"ミュート"という直筆の文字に嫌気がさし、気付いたら相棒から口を離して走り始めていた。
いくら試験のためとは言え望まぬ音を奏でるのは酷く窮屈で退屈だ。
大量の綿を無理矢理小さなぬいぐるみに押し込めているみたいで、綿のふわふわがなくなるのと同じように長所がすっかり消えてしまうのである。
それが堪らなくストレスってワケ。
だからこの突発的なランニングはいつものことで、王城の周り…私が常に使うランニングコース周辺の警備兵は"またか"みたいな顔で手を振ってくる始末。もはや顔見知りだ。
「そう言えば騒音娘、聞いたか?」
「その呼び方は…はぁ、止めてください」
そんな警備兵さん達の一人が、私が止まったのを見計らって話しかけてきた。
ジロリと睨むと、人狼のお兄さんはすまんすまんと少しも誠意のこもっていない謝罪を並べて笑う。
「で、聞いたかって…何をですか?」
「あぁ、それがな…近々また戦争が始まるらしい」
「戦争…」
「さっき人族の国から宣戦布告されたんだとよ。今城は大騒ぎだぜ」
私が走っている間にそんなことが…
北の魔王様は魔王の中でも合理性を重視しているお方で、むやみやたらと戦をする性格ではない。
というのもこの国、侵略戦争の必要が皆無なのだ。
ここ、ラルガメンテは広い国土のおかげで民が増えても手狭ということはなく、北国とは思えない程の肥沃な土地を持つため物資にも困ることはない。
海が凍る季節は使えないが、港もあるので交易だって盛んだ。
つまるところ現状で十二分に成り立つ国なのである。
まぁこれ程豊かな国だからこそ近隣の国から狙われるのは珍しくないけど…魔王様の作ったドラゴンが群生している国境氷山やら、アンデッドだらけの墓標平原を見てよく喧嘩を売れるものだと感心する。
「また戦の前に降参されるんじゃないですか?」
「それがな…諜報部隊によると今回は"勇者"がいるそうだ」
「あぁ、それで鼻息荒く勝負を仕掛けて来たんですね」
"勇者"とはごく稀に生まれる稀有な能力を備えた人族のことだ。
ずば抜けた身体能力や強力な『音』の技能はもちろん、立っているだけでアンデッドなら浄化されかねない程の対魔の力を持つという。
いわば、魔族にとっての天敵だ。
「いくら相手の国が愚かでも、今回はちっと大変な戦いになるだろうよ」
「魔王様なら大丈夫だろうけど…ちょっと怖いですね」
「そりゃ皆が思ってる。だからこそ兵も楽団も明日から訓練やら練習に力が入るだろうけどな!」
当然だ。厳しい戦いになると分かってて手を抜く馬鹿はこの国にはいない。
魔王様を敗北させるなど言語道断だからだ。
明日から見習いとしてのサポートも忙しくなるなと気合いを入れて、ふと気付く。
「…戦争っていつ頃ですか?」
「あ?そこまでは知らんが…魔王様の性格的に、一・二ヶ月くらいは上手いことやって先に伸ばすんじゃないか?軍備拡張の為に」
「一ヶ月…!?」
私は一ヶ月後に城下の広場で独奏のコンテストを控えていた…というのに、というのに!!
ピピっと伝令用の一ツ目使い魔が鳴く。
すぐさま確認すれば、コンテスト中止の知らせが使い魔の目から映し出された。
「人族め…恨んでやる!!」
「急な殺意」
どうしてこうもチャンスに恵まれないのか。
ようやく数多の応募から選ばれた晴れ舞台だったのに!!
「お兄さん、私の代わりに人族を挽き肉にしてきてください」
「お兄さんは戦場には行かないので無理でーす」
「チッ、使えないな」
「今時の悪魔の子こっわ…」
「憂さ晴らしに相棒吹き鳴らしてきます」
「近所迷惑だって苦情くるから氷山地帯に行ってくれ」
「死ねってか」
仕方ないので装備を固め、言われた通り氷山地帯で相棒と歌いまくったら雪崩は起きたしドラゴンから苦情がきて私は怒られた。解せない。