番外編 赤い糸を紡ぐ蜘蛛
アタシはシェリル・アルモニオーソ。
ミュゼット・フェローチェの一番であると自負している親友様よ。ひれ伏しなさい。なんてね、冗談よ。
「シェリー?いきなり僕に話があるなんて、どうしたのー?」
「未来のダーリンに相談…というか、頼みがあるの」
「わーい、未来のハニーに頼られるなんて光栄だなー!」
ふわりと重さを感じさせない動作で隣に座ったのはアタシの愛しい婚約者様、フーラス・モレンド。
アタシやミューとは学舎時代からの付き合いで、アタシと同じく彼女を溺愛している一人だ。
だからこそ、彼に相談するの。
「ミューがね、見つけたかもしれないの」
「見つけたー?」
「あの子の運命ってやつ」
「へぇ?…詳しく聞いてもいいかい?」
間延びした口調を収めた彼は予想通り真剣に聞いてくれるつもりらしい。
読みが当たったことに口端を綻ばせ、私は先程聞いたミューの台詞を思い浮かべた。
「あの子、自分の『音楽』で魔王様をいっぱいにしたいんですって」
「おや、それはそれは!」
彼の眠たげな垂れ目が丸く開かれる。
そうでしょう、そうでしょう!あの子の台詞はそれ程までに驚くものだったの。
だって、自分の『音』…ミューの場合は『音楽』だけど、それで相手を満たしたいというのは…最高に情熱的なプロポーズの一つなのだから!
アタシですらそこまで熱い言葉は言われてないわ。
まぁ、アタシ的には彼の台詞がナンバーワンだけどね!
っと、それは置いといて。
『音』や『音楽』は奏者の心そのもの。
それで満たしたい、なんて…余程強い思いがなくちゃ思わないことよ。
だから、プロポーズの台詞と知らなくても無意識にその言葉へたどり着いた可愛いあの子は…きっと既に恋してる。
疎すぎて気付いていないだけで、ね。
ミューは音楽以外まるっきりポンコツちゃんだから。
「まさか、あのミュゼットちゃんがね…ふふ!」
「でね、アタシはあの子の恋を応援したいんだけど…相手が大物過ぎて正直どうして良いか…」
「それで僕に頼ったんだね?ふふ、いいよ!君の頼みであり、あの子の為なら…張り切って協力させてもらうさ」
「やった!!フーくん大好き!!」
「僕も大好きだよ、シェリー!」
ちゅ、と彼の冷たい唇に熱を分け、計画を練り始める。
「フーくん、先ずはどうしたら良いと思う?」
「そうだね…先ずはウチへ養子に入れようか」
あぁ…彼は学舎時代からずっとあの子を妹として見ていたもんね。
何かが刺さったんでしょ。なんとなくその気持ちも分からなくもないし…ほら、あの子って甘やかしてあげたくなるじゃない?
「養子に入れるのは勿論大賛成だけど、どうして"今"なの?」
「いくら魔族の貴族社会が人族のそれより緩いといっても、良くない顔をする連中は当然いる。でも、僕の家名があればそいつらを黙らせられるし、何よりあの子を守れるはずだ」
「後ろ盾ってこと?」
「そういうこと」
ふわりと笑って私の髪を鋤く彼は、まるで良くできましたと褒めてくれているよう。
だから、もっと褒めなさいと体を寄せてあげたわ。ほら、嬉しそうにしちゃって。
アタシも嬉しいからこれでWin-Winね。
「でも、手続きは今日中に終わるの?」
「元々君と正式に結婚したら妹にするつもりだったからね。実は準備はほぼ終わっているんだ。あとは認め印をもらうだけだよ」
「まあ!さすがフーくんね!抜け目がないわ!」
「ふふ!ありがとう。もしミュゼットちゃんのプロポーズがうまくいっていれば、この認め印もすぐにもらえるだろうね。それこそ…パーティーの準備をしている間に」
…
「「「魔王様万歳!!魔王様万歳!!」」」
日が傾いた頃、魔王陛下の一団は勝利を携えて帰還した。
予定より遅くなったそれはアタシ達にとっては好都合で、おかげで今打てる布石はすべて打てたわ。
あとはミューのアプローチ次第だけど…
ふと、立派な軍馬に跨がる魔王様の目がこちらに向き、城下の子供達…に混ざってはしゃぐ彼女を捉えたのが見えた。
あ、これは…
すぐに視線は外されて、魔王様は何事も無かったように進んでいく。
周囲もミュー本人も、魔王様は無邪気で可愛い子供達を見たのだと思ったことだろう。
でも、そうじゃない。あの碧は…あの子しか見ていなかった。アタシにはわかる。
凄まじい熱気渦巻く凱旋パレードの中、アタシは隣で声を上げるミューに耳打ちをする。
「ね、ね、魔王様はアンタの音楽気に入ってくれたの?」
「ど、どうだろう…?嫌そうでは、なかったよ」
「ふーん?」
「あのね、ここだけの話…魔王様、笑ってくれたんだ」
アンタ、今どんな顔してるのかわかってんの?
それで無自覚とか天然記念物かしら?
けどまぁ、今の話とさっきの目で確信が持てたわね。
ならばあとは…
アタシは体の影でくいっとハンドサインを路地へ送る。
見知った使用人が視界の端で移動したのを確認して、ミューの手を引いた。
「ね、ちょっと何か食べない?」
「そうだね。私も喉乾いたや」
「じゃ、決まり!どっか適当な店に入りましょ」
適当な店、じゃないけどね。
あらかじめ決めておいた店で一休みすれば、酔っぱらって祝杯を撒き散らす民衆に紛れて先ほどの使用人がミューに酒をぶちまける。
「ひーん!直撃くらったー!」
「うわ、ミューびしょびしょじゃん!?」
「酒くさい…さすがに着替えなきゃだよねこれ…」
「あ、じゃあウチに行こ。ミューの家より近いし」
「いいの?助かる~!」
これでアタシ達の準備はオッケーだ。
(あとのことはフーくん、任せたわよ!)
…
サイズの合わなくなったアタシのドレスを身にまとったあの子が、魔王様の側近に引き摺られていくのを見送る。
アタシとフーくんは一足早く勝利を祝してグラスを鳴らした。
「さすがね、フーくん。信じてたわ」
「わーい、褒められたー!でも、ちょー楽勝だったよー。話し合いも要らないくらいにねー」
"モレンド卿、こんな時に陛下に承認してもらいたいものとは何ですか"
"養子の許可を、と思いまして"
"…それは後日ではダメなので?"
"私は構いませんが…そちらはどうでしょうか?"
"どういう意味です?"
"ミュゼット・フェローチェ。ご存知でしょうか?先の戦に飛び込んで行った可愛い楽士見習いなのですが…"
"!?"
"私は彼女が気に入っていましてね。是非とも我が侯爵家が後ろ盾になりたいと…"
"すぐに書面を渡してください。ええ、今すぐに"
あらあら、あの子ってば。
正直冗談のつもりだったのに、本当にたった一度の『音楽』でハートキャッチしてきちゃったのね。怖い悪魔ですこと。
「でもアタシ、もう少し着飾ったミューとパーティーを楽しみたかったわ。何もこんなにすぐ連れていかなくても…」
いじけて唇を突き出すと、彼は擽るように笑って冷たい指でふにふにとつつく。
「こればかりは仕方ないかなー。向こうはすぐにでもあの子が欲しかったみたいだからー」
「あら、そんなに?」
「うんー。まぁ、すぐにわかるよー」
ふと、会場がどよめいた。
何事かと思ってその中心を探すと、何故か近衛騎士団長の竜人が魔道具を抱えて立っているのが見える。
「再度通達する!これより魔王様が演奏をなされる!!皆の者心して聞けぃ!!」
「な、なんと…!?」
「陛下の演奏が聞けるの!?」
「これはこれは…!」
滅多にない機会に貴族達がわっと歓声を上げて浮き足立つ。
楽団も魔王様の演奏と聞いて目を輝かせ、すぐさま音を止めた。
「ちょっと…まさか、演奏って…」
「あははー、さすが一国の主は違うよねー」
アタシは皆と同じような反応は出来なかったわ。
だって、きっと今魔王様はお一人じゃない。
あの子が一緒にいるのなら…演奏されるのは間違いなく、二重奏になる。
だってミューは音楽バカのポンコツちゃんだから、音で誘われたら黙ってなんかいられるわけがないもの
ほどなくして鳴り響いたのは、成る程確かに力強い魔王様の独奏だった。
聞いているだけで跪きたくなるような支配者に相応しい『音』。
けれどもそれが誰かを手招くような音色に変わった途端…世界の全てが塗り変わった。
ジャン…………ジャーン!!ポロン、ポロン、ポロッ、
パパパラァァァァ!パパッ、パラッ、ラパッ、
ジャーーーーン!
パァァァァァァ!
あぁ…とうとうやったわね。
先程まで素晴らしい素晴らしいと上機嫌に聞き入っていた貴族達が、驚愕のあまり被っていた仮面を落として間抜け面をさらす。
あれは誰だと唾を飛ばす者なんてほんの数名。大半の者が特徴的過ぎる音色で正体に気付いた。
まぁ、いつまでも昇級出来ない"うるさい音"の見習いだって皆笑い者にしてたもんね。
放心する者、こりゃめでたいと笑う大物、あり得ないと頭を抱える者、女だと嘘だと泣きわめく者や気絶する者まで出て、楽団連中は当然顔面蒼白。
あはっ、阿鼻叫喚。当たり前よね…
二重奏、それも未婚の男女の奏でるそれが示す意味。
それを今この場で察せない馬鹿はいないわ。
混乱極めた会場で二つの『音』がダンスを踊る。
あぁ、なんて楽しそうなのかしら。
ミューの音が魔王様の音に鮮やかな生と色を与え、魔王様の音がミューの音を自由に踊らせる。
寄り添う音色は共にあるのが当たり前のように響き合い、嫉妬する隙間すら存在しない。
だからか、ざわついていた会場も徐々に静かになっていき…やがて最初の独奏の時のように誰もが口を噤んで聞き入っていた。
「いやー、これは想像以上だよー。鳥肌が止まらないやー」
「アタシも身体中が痺れてるみたいだわ。というか、これはやりすぎでしょ」
二重奏をわざわざ聞かせたのは恐らく牽制。
相性の良さを見せつけて、"彼女の最高を引き出せるのは自分だし、自分の最高を引き出せるのは彼女だ。邪魔できるものならしてみろ!"という、ね。
「…ふふ!」
「おや、ご機嫌だねー、シェリー」
「ええ…とても」
明日からのあの子がとても楽しみで仕方ないわ。
きっと、今まで以上に騒がしくて退屈しない筈よ。
あぁ、でも…いずれあの子の一番はアタシではなくなるのでしょうね。それは寂しいし、悔しいわ。
けど…それでもあの子が幸せならかまわない。
それにアタシはいつまでもあの子の親友であり…たった一人の義姉だもの。それで十分よ。
「ふふ!僕達キューピットみたいだねー」
「馬鹿言わないでちょうだい。あんな気持ち悪いのと一緒はゴメンだわ」
アタシは蜘蛛人。糸を紡ぐ者。
大切なあの子に赤い糸を紡いで渡しただけの、健気な魔族よ。