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第四十話・どの薬剤師もいつかない薬局の話


 あるチェーンの調剤薬局に短期でいたことがあります。いわゆる期間限定で腰かけパートだったので、気楽にいこうと思っていました。ところが初日で社長がこういいます。

「実はわが社に、どの薬剤師も続かない支店が一つある。あなただと大丈夫そうなので、そこへ行ってくれませんか」

「……は?」

 よく伺ってみれば、その薬剤師さんのくせが強く、後から来た人が全員やめてしまうという。一番早い人で午前中で退職を申し出た人がいる。

 当の薬剤師は私より年上の男性で数年前から一人で支店をまかされている。医療事務からは、いつも忙しくて患者を待たせている、だからもう一人薬剤師が欲しいという。しかし、当の薬剤師は一人でやれているので、いらないという。社長は処方せん枚数的にもう一人薬剤師がいるべきところだしということで、新しい人を入れておきたい。だけど次々にやめられてしまうという。

 私は承知しました。みんなが嫌がる薬局ってどんなところだろうと好奇心もありました。現地の地理を知らぬので、社長の息子さんが紹介がてら初日だけ本店から送迎してくださることになった。この息子さんをDさんとします。総括医療事務長という役職です。Dさんは運転しながら、助手席にいる私にいろいろと注意をする。

「あの人ね、Eといいます。Eはぼくの父親、つまり社長を見ると、ちゃんとあいさつします。だけど、ぼくには一度も話しかけられたことがないです。いつも無言です」

「Eさんも雇われている身なのに、すごいですね」

「はい。あの人はあらゆる意味ですごいです。クチをきかないのは多分ぼくが年若いのと、都会からUターンして親の職場の役職についたのが気に入らないだろうと思います。会話がないので推測ですけど」

「はあ……」

「というわけで、父はあなただったら大丈夫かと思うと言ったが、やっぱり無理かもしれない」

「……」

「前に連れて行った新人薬剤師の目の前で、パートはいらないと怒られました」

「……でも、調剤を全部一人でやるのは、大変ですよ。どうしても患者を待たせてしまうのでしょ」

「そこなんですよ。幸い周囲に競合店がいないし、患者は年寄りばかりだし、じっと待っててくれる。でも、Eさんのせいで、派遣薬剤師がみんなやめちゃう」


 小さな田舎の医院は後ろが開業医の自宅だったりします。田舎の開業医の家は駐車場も広いし大きいです。その敷地外のとなりに遠慮がちに建っている薬局です。二階建てで箱型でプレハブのようです。こじんまりとして、使い勝手がよさそう。私はこういうのも好きです。Dさんは引き戸を開けて「おはようございます~」 と言いました。規模の小さい調剤薬局には自動ドアなんてありません。若い女性の事務員さん二人がすぐに「は~い」 と出てきました。

「新しいパートの薬剤師さんです。当面は九時から一時までの勤務予定」

「わかりました。よろしくお願いします」

 Dさんや私を含めてなごやかな雰囲気です。そこへに奥の調剤室からのっそりと男性が出てきました。Eです。背は百七十ぐらい、やせていて髪は七三分け、真面目そう。頬骨にくぼみあるせいか、神経質そうな印象を受けました。これはDさんから聞いた先入観もあったかもしれません。

「はじめまして。よろしくお願いします」

 私がEに頭をさげている間に、なんとDさんは外にでて、さっさと車に乗り込み去っていきました。Eも知らぬ顔です。まさに犬猿の仲です。Eは私にあいさつにも無言でうなずいただけです。私はともあれEはなんでも一人でやり遂げたい人だろうから、その点を尊重して補助役として動こうと思いました。

 事務さんは二人とも若い女性で感じがよく、すぐにロッカーの場所などを教えていただけた。その間、Eは誰もいない窓口に一人で座っている。事務さんが私がどうでるか興味津々の様子です。

 私は改めてEにあいさつし、仕事の分担など私にしてもらいたいことを教えてもらおうとしました。しかし、Eはパソコン閲覧をしており、職務とは関係のない音楽関係のページを見ています。私は再度チャレンジ。すると、ぼそっとつぶやいた。

「患者がまだ来てないだろ。仕事の話は、来てからでもいいだろ」 

 取りつくシマもなく、これで気の弱い人はもうやめたくなるだろうなと感じました。Eはこんな感じで私のプライベートなどこから来るのかなどのことも一切聞きませんでした。おそらくこういう世間話に興味がない人でしょう。でも仕事はきっちりやる人なら問題ありません。こちらに対する明確な悪意を感じない限り、私は平気です。ぶっきらぼうだが、それが平常心の人もいる。性格の悪い薬剤師や医師は当たり前にいる。私は何度も会っている。我慢して一緒に仕事をしたこともある。このEと一緒に仕事をしよう。私はEとケンカしにきたわけではない。私はたった一日でもやめたりはしない。


 しかし、結論からいうと四日しか続きませんでした。理由は助手の私に対して悪意からではなく、不用品だという扱いをされたからです。徹頭徹尾一人だけですべての仕事をしたい人なのです。その薬局に勤務する前は、某民間病院の院内薬局にいたと社長から聞いていたのですが、そこはEを含めて二人だけが薬剤師で、しかも薬局長は院長の奥さんだった。そういうのだったら大丈夫なのか。学生時代の研修などはどうしていたのだろう。

 はじめてそこの内服薬を入れた引き出しを開けたときは、亜然としました。内服薬がごちゃごちゃです。通常はあいうえお順か、効能順に分けられることが多い。効能順というのは、降圧剤なら、降圧剤だけ。抗生物質なら抗生物質だけのコーナーを作ることです。調剤ミスを避けるやり方です。

 しかし、そこはあいうえお順でもなければ効能順でもない。本当にランダムでした。そこの医院から良く出る薬品は表の棚にあるので、すぐに覚えられますが、それ以外がわからない。事務さんが調剤補助をしていますが、彼女たちですら、わからない。そういう時はEに聞いたらすぐにわかる。Eだけが場所をよくわかっている。逡巡したうえ、私は言葉に気を使ってEに進言する。

「Eさん、あなたがもし病欠でもしたら、薬の置き場所がわからなくて臨時で入る薬剤師が困ると思うの……薬の順番配置をもうちょっと、わかりやすく変えたらどうでしょうか」

「ぼくは休まない」

「あの、だったら薬の配置表の作成はどうですか、私が作りますから」

「だから僕がいる限りそんなものはいらない」

「でも」

「さっきからなんだ。きみはぼくの仕事の邪魔をする気か」

 口出しすると怒るタイプだと私は判断し、その時は出過ぎたことを言って申し訳ありませんと謝罪しました。

 Eの服薬指導は患者にはとても親切でした。患者は高齢者が多く一部とは特に気があうらしく、DVDの貸し借りをしたり、お菓子をもらったりされていました。ただ例えば腎透析の人に向かって臨床検査値も回ってこないところなのに、あなたの場合だと一日の水分はここまで飲んだらいいでしょうと断言するのは気になりました。医師と協議なしで調剤薬局の薬剤師がそれをいうのは、ちょっと理解しがたい。しかし、そういう調子で断言するEを頼りになると思って好む患者も確かにいる。Eは悪い人ではないのはよくわかる。

 患者が来ないときは、Eは何もしない。服薬指導以外は事務任せ、あとはパソコンで音楽関係のショップやブログを黙って見ているだけ。私とは薬の話などは一切しないし、話しかけてもうるさそうな態度。逆に話しかけられることはない。どの薬剤師もやめていくはずです。

 意外なことに事務たちはEとは仕事がしやすいという。調剤補助と事務さえしておけば後は何をしても無関心なところがいいという。それともう一つ。二階の休憩室が倉庫も兼ねて広々としているのだが、Eはまったく使わないし、二階には絶対にあがらない。つまり事務さんの使い放題です。Eは昼食はどうしているのかと聞いたら、徒歩圏に家があり、専業主婦の奥さんが作ってくれるそうで毎日帰宅するという。

「えっ、Eって奥さんいるの? 結婚できたの、あれで?」

 事務さんは笑いだした。

「そーなんですよ、Eさんには奥さんがいるのですよ。会ったことないけど」 

 驚いた私は下世話なことを聞く。

「恋愛かな、見合いかな」

「さあ、子どもがいないらしいけど、Eさんは本当に何も言わない人だから。まあそういうことで私達は午前の業務が終わると夜診が始まるまで二階で昼寝したりゆっくりします」

 確かにすぐ横の医院は午前中は十二時まで受付で、患者が混んでも遅くても一時すぎまでにはひく。そうしたら薬局を五時からの夜診まで閉店しても一人薬剤師でもやっていけるようだ。在宅の受け入れはしていないので、なおさら一人でもなんとかやれる。

 事務の一人は別店舗で仕事に関していちいちうるさくて意地悪な薬剤師と当たったことがあり、それを思えばEとの仕事は快適だという。そういう理由なら事務には評判が良くても、薬剤師はEとは誰ともやってられん。Eは服薬指導はすべてEがするからと、私には調剤補助だけを命じました。しかし薬の場所が事務にもわからないと、服薬指導中のEに場所を聞くしかない。Eは面倒そうに調剤室に入って黙って引き出しを乱暴にあけて百錠包装の細長い箱を私に放り出す。それから患者に「すみませんね」とあいさつして服薬指導に戻る。その態度に頭に来ました。

 決定的だったのは、そこには各種用品の「消毒をしない」 こと。そんなところ、私はあとにも先にもEのところしか経験してない。非常に気になり特に軟膏の混合のやり方で消毒剤は必要だと口論になりました。しかも軟膏を練るところは散薬分包機の上です。これにも抵抗があり、水薬調剤台の方にしましょうと意見をしたことが気に障ったらしく感情的に怒られました。

 この薬局でEが決めたことは絶対なのです。患者がいるのに怒り続ける。私も引き下がれなかった。「Eさん、あなたね。薬剤師会の勉強会で他の薬局の人ともうちは消毒剤なしで調剤してると自信を持って話せますか。あなたはここの管理薬剤師だからあなたのペースは尊重します。けれど、患者の不利益になることだけは承知しかねます」

 多分Eは他人と討論するのは苦手。ぶるぶると震えるだけのE……殴ってくるかなと思ったのですが、ぐるりと回れ右して表の交付台に行きました。そうです。今は患者が待っているのです。

 その患者が帰った後、改めて私はEに、この話は社長にもいうこと、私の責任でいいから消毒剤を手配するようにいいました。事務さんの一人は音をたてないで拍手していました。それからはいつもの通り、処方せんを調剤し、事務さんが表にいる交付台で待つEに渡す。時間がくると、事務さんに改めて挨拶をし、次に社長のいる本部に行って、すべてを聞かせたうえで退職しました。あれから十年以上たっていますが、名簿を見るとEは今もなお同じところで一人薬剤師をしています。Eはそれなりに幸せでしょう。社長がやめてDさんの代になったらどうするのかとは思いますけどね。




 Eはあきらかに自閉症スペクトラム症と思うが、仕事自体はまじめです。一人薬剤師ならば、そこの薬局のように一店舗まかせられます。一人薬剤師ならば、です。マイルールを貫く人はどこでもいます。自覚があるかないかで居心地が変わると思うが、そういう「居心地」 そのものに関心がない人もいます。ある意味、幸せな人です。


 こういう人は医師にもいました。民間病院の内科部長から聞いた話。どこの病院でも続かぬ医師がいる。その父親も医師で己は後輩に当たる。預かってくれと言われて断れなかった。案の定、協調性ゼロで、治療方針をこれと決めたら他の医師の意見を全く聞き入れない。医局全体が不協和音になり、困っていると。でも当の患者は知らぬが仏です。患者が治療方針に不安があれば、セカンドオピニオンを勧めます。治療方針について普通に聞いただけでプライドが傷ついて患者に対して怒るのは、「そういう人」 だと思った方がいいです。

 逆に患者側でもそういう人はいます。治療方針を医療知識もないのに決めて、そういう治療をしてくれとこだわる人もいます。ドクターショッピングになりがちです。数回トラブルを起こした患者は紹介状とは別にメールなどで照会先にトラブル内容が伝えられ注意喚起されます。


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