第三十七話・薬品名入力今昔物語
医師が書く処方せんは今は印刷文字です。カルテからの処方を写し書きしていた手書き時代を思えば、処方せんのミスは激減しています。現在は医師用の処方オーダーのソフトは、性能が大変性能がよく、たとえば配合禁忌薬が出ている場合は、確定キーを押す前に、「この処方でいいですか」 など、パソコンの方から念押しがされます。
薬剤師用の調剤監査ソフトもそうで、過去処方履歴を見る際に、「この処方は車を運転しないように患者に注意をしよう」 と出たりします。喘息の吸入薬など、はじめてつかう患者向けにはクリックひとつで患者向けパンフレットが印刷できます。業務的にはとても楽をさせてもらっています。
重大な副作用が出る可能性があれば、毎回調剤するたびに「交付時にちゃんと説明したか」 と項目が出て、チェックを入れるようになっていたりします。まあ薬局によっては、この画面は不要、不採用とは設定で選択できるようになっていますが、基本的にはよいことでしょう。
昔を思えば本当に、いたれりつくせりになりました。これは日本ならではの現象でしょうか。ラッシュ時の電車の乗り降りで車掌さんが「まもなくドアが閉まります、ご注意ください」 と連呼するのと一緒で。
……とにかく、どんなうっかり医師、薬剤師、看護師、各種検査技師でもパソコンの方から注意をしてくれるようになっています。
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いつものように、話は行きつ戻りつです。
私は昔の手書き処方せん時代をよく知っています。約束処方といって医師側と薬局側でRp①、②と記号一つで処方内容がわかる取り決めもありましたが、それは院外処方せんが出る前の話です。その時代だと思ってください。約束処方以外に自己流で省略した処方せんを寄こす医師がいました。一人や二人でないです。手書きだから忙しいので時間を省略したいのでしょう。例えばボルタレン坐薬という鎮痛や解熱用の坐薬名を「ボル坐」 と書く。降圧剤ならアダラートL錠を「アダL」 と書く。略号は薬事委員会で認められた院内製剤の一部なら通じますが、それ以外は使ってはダメなので、おそらくボルタレン坐薬だろうとわかっていても、疑義照会をかけます。
坐薬のミリグラム指定がなかったなどの疑義照会ならわかるけど、誰がみても「ボル坐」 ならボルタレン坐薬に決まっているからそれでいいじゃないか、こっちは忙しいのにとこれまた文句をいう医師もいました。新人医師なら一度いえばたいていわかってくれるが、ベテラン医師なら言いにくいのもあります。
困った私は、ベテラン薬剤師の主幹に質問します。
「あの~、某先生がまた患者に「ボル坐」 と書いてます。どうましょう、疑義照会しましょうか、それともボルタレン坐薬ともうこちらで訂正しておきましょうか」
その上の役職つまり薬局長や副薬局長に聞かないのは彼らは院内勤務つまり臨床現場の叩き上げではないからです。本庁や保健所回りから異動してきた人が多いのでこういう時の戦力にならない。勤続二十年以上の主幹は苦虫をかみつぶしたような顔で私に答える。
「薬局が疑義照会なしでそれをやるのは、ダメです。処方せんの書き換えはいかなる理由があれども不可。第一、クセになる。なあなあで業務が流されていくのも問題です。面倒でも疑義照会をしなさい」
仕方なく私も外来に電話して、看護師に取り次いでもらう。看護師もあからさまにうんざりした声で「またですか……」 という。数分後に電話で返答があり「ボルタレン坐薬です」 と看護師の声。
お互い忙しいので「わかりました」 と電話を切りあう。処方医も忙しいから省略して書いたとわかっている。が、認められないことは認められぬ。
昔のカルテは、前回や前々回の診察時の様子を自らページを繰ってみないといけませんが、カルテに文字を書くのを避けているのかというぐらい何も書かない医師もいました。というより、たくさん書く医師の方がめずらしかった。たくさん書いてくれる医師はわりと親切な性格が多かったように思います。そういう医師のカルテは見やすくて、医師による処方決定に至る過程もわかるので、勉強になる。薬剤師の私がおずおずと質問しても親切に答えてくれる。看護師さんにも人気がありました。
いや、カルテには最低限の少ない文字でという医師も基本はいい人でしたが、例外なくカルテの一ページを四、五行で大きく乱雑に書いて次のページにうつるという、もったいない紙の使い方をしました。
処方薬品の書き間違いは状況にもよります。たとえば、その日の担当医が不在なため、臨時に診察した医師がやる。疑義照会をかけたら、すみませんと素直に謝る医師もいるが、「あの先生のカルテの字が汚いからこうなるんだ」 と逆切れされたこともありました。
今は医師の隣に座って入力だけする医療事務さんもいるし、いなくてもすべてパソコンで処方入力になっている。だからそういうめんどくさい疑義照会も消滅しました。さらにコロナ禍になって、ネット診察の機運も出てきている。これで診察風景も変わるでしょう。だから疑義照会内容も微妙に変わってくるだろうと思います。




