5. 香月怜花は若手女優である
怜花と出会ってから1週間。
俺はイグレット王国の王城の一室にいた。
ところで王城は召使いからお偉いさんまで大慌てであった。城内の廊下の駆け足禁止が解除されるくらいには。
理由は2つ。
ひとつ。魔王の復活。これが予言されたこと。それはゲームシナリオの開始を意味していた。といっても、まだまだ城下でも城内でも危機の実感はあまりない。
この騒動は、ほとんどがつぎの理由。
王家の結婚式が急遽、決まったからである。
王室の結婚式は、その準備から儀式まで本当に面倒だ。それもイグレット王の1人娘、レイカ姫の結婚式となれば、ことさらである。
この状況、もし俺が怜花とただ同郷の者として王城に来ていたのであれば、はた迷惑なことだと愚痴りながらも静観するだけであっただろう。しかし。
「ご新郎様、お手をお上げください」
俺は服の仕立てをされていた。1週間後にひかえる、婚約発表の式典で着る晴れ着の仕立てを。
なんたる不幸。自分にしか興味がない男が新郎だと。自然と顔もひきつるものだ。
そんな俺の様子を彼女は見逃さない。
「あら、旦那様。そんなお堅いお顔をしないでください。私との結婚式はまだ1か月先ですよ。今から緊張されては、お身体がもちませんわ」
そう言って、品よくクスクスと笑うのは、怜花。
はじめて会ったときのずけずけとした物言いは王城では鳴りを潜め、誰から見てもおしとやかで完璧な姫様を演じきっていた。
この1年間、俺は自己の鍛錬のみに心血を注いでいたため知らなかったが、このレイカ姫は、同じくこの1年間で国民からの支持を相当に獲得していたようだ。それはもう、この国のアイドルかというほどに達する。この世界にアイドルという概念はないが。
一時間後、服の仕立てからようやく解放された俺は、俺に割り当てられた部屋で、怜花と二人になっていた。当然、男性恐怖症だという怜花とは一定の距離を開けて。
「なんで、こんなことになっているんだ」
実はこれまでほとんど二人になる機会もなく、腹を割っての話も出来ていなかった。
さしあたり直近の問題は一つ。彼女との結婚についてだ。
「仕方ないでしょう。王家の決まりなのよ。王家にとって、『比翼の契り』と結婚は絶対にワンセットなの」
「だけど、どうせ俺らで『連理の魔法』なんて使えないぞ。やっても仕方ないんじゃ」
パートナーの愛情で効果を発揮する「連理の魔法」と、そのパートナー契約である「比翼の契り」。俺と怜花に成立するとは思えなかった。しかし。
「そうだけど、建前上必要なの。魔王復活もうわさされて、一国の姫が旅に立ちますっていうのに、未契約じゃ話にならないでしょう」
彼女と決めたこと。
ゲーム〈愛がすべてを救う世界〉におけるハーレムエンドを目指すこと。
そのハーレムのメンバーには、ティア姫もとい怜花自身も含まれている。
男性恐怖症とナルシスト。最悪の組み合わせである。
とりあえず、自分たち二人のことは戦力の計算に入れず、他のヒロインを攻略していこうということに決まった。
それこそ、俺はこの一年で男一人での戦闘力をひたすら強化してきた。ゲーム終盤の主人公に比べても、すでにタイマンなら強くなっているはずである。この俺単体の戦闘力で、埋め合わせが出来ないかと考えている。
ということで、形だけでもハーレムルートを進めるために、偽装結婚を行おうということなのだ。
「偽装結婚って、意図せずにゲームと同じ流れになっているわね」
と、怜花。
そうなのだ。
ゲームのシナリオは、ティア姫が城下で悪党に捕まってしまったところを、主人公が助けるところから始まる。このティア姫はおてんばで、堅苦しい城内の暮らしに飽きていた。だから魔王復活をこれ幸いに、かの事件をきっかけに主人公に一目ぼれをした、と演技をして結婚式を済ませ、旅に立ってしまうのだ。
形は違えど、偽装結婚というのは同じ。
ということで、シナリオをなぞるという意味でも、この結婚は有効であるように思えた。
うーん。必要なこととは理解しているが、形だけでも俺が結婚かあ。気は滅入る。
「それにしても、男性恐怖症ってどのくらいなんだ」
俺の気持ちもそうだが、問題は彼女の側にもある。そう、男性恐怖症だ。
彼女の答えは明瞭。
「触れられたら死ぬ。は冗談として、間違いなく気は失うわね」
その答えに、俺は頭を抱える。
俺と彼女との結婚への、最も大きな壁はその点にあった。「比翼の契り」を行う儀式は、女性側への左手の甲へ、男性側が口づけをすることで達成されるのだ。
触れられるだけでだめな彼女が、手の甲とは言えキスに耐えられるわけがない。それも、今回は結婚式と同時に行われるということで、大勢の観衆に見守られた中で達成しなければならないのだ。
「今のままじゃ儀式はできないわね」
「どうする」
「あんたのタマをつぶすか……」
そんな不穏なことを、怜花はつぶやいている。妙齢の女性がはしたない。
「それで男性恐怖症は解決するのか」
「たぶん、無理」
「そんな軽い算段で人のタマつぶそうとするな」
「タマなんて、下品よ」
怜花は殴られても文句は言えないと思う。だが、俺は紳士。衝動を抑える。
まあ、このように眼前の壁はかなり高かった。
「まあ、まだ1か月あるから。それまでに考えましょう」
問題は先送り。それしかなかった。
それから、少しの沈黙。特に気まずいわけでもないが、ひとつ気になったことを聞いてみる。
「本当にみんなの前だと別人のようだ。相当、演技力があるのな」
騎士や召使いたちの前と、俺と二人の時では、話しぶりや表情だけではなく雰囲気が違う。
「はあ、私は香月怜花よ」
「それは知っているが」
そんな俺の態度に、怜花は深くため息をつく。
「元の世界では、これでも期待の若手女優だったのよ。この香月怜花の名前を知らない同世代の男がいたなんて。ショックよ」
なるほど。どこかで聞いた名前だとは思っていたが。
情報収集程度にテレビも目を通すのだが、どうも女優やアイドルの類には興味が出ず、記憶もあいまいである。
しかし、そう思ってみると、確かに彼女が期待の女優というのも頷ける。
「確かにえらく美人だな」
そんなつぶやきに、彼女も言われ慣れていると言わんばかりにあっさりと「どうも」と返す。
「17歳で芸能界入りして、即映画のヒロインに抜擢されたのよ。顔だけじゃないわ。私は演技派なの」
「男性恐怖症は大丈夫だったのか」
「その映画、同性愛者の役だったから」
なるほど。ということは彼女も実際は。
そんな考えを読んだかのように「私はレズじゃないから」と訂正を入れてきた。
ちなみに、あの「覚の妖精」は姿を見せていない。この世界であの能力、人の気持ちを読む力は強大すぎて基本的には秘匿しているらしい。
「まあそれで、理想のお姫様を演じきれていたのか。疲れないのか」
「これからの行動を円滑に進めるためよ。それに、あんたに言われたくないわ。ナルシストさん」
疲れる、と思ったことはない。自己愛主義は生き方だ。俺は首を振る。
「俺には演技しなくていいのか」
「本当なら私の美貌と演技でコントロールしようと思ったのよ。だけど、あなたの目に私が映っていないんだもの。徒労は好きじゃないの」
「まあ、俺はナルシストだからな」
まあ、嫌でもこれから長い付き合いになるのだ。それくらいの方がいいのかもしれない。
そんなことを思っていると、彼女は「なんでドヤ顔なのよ」とジト目を送ってきた。
「はあ、これから私の華やかしいキャリアがスタートしていたはずなのに……」
俺は返す言葉はなかった。
沈黙を破ったのは、ノックの音。一人の召使いが部屋に入ってきた。
「姫様、お手紙です」
すると、怜花はすでにお姫様モードに切り替えりながら、手紙を受け取る。そのまま封を切って中身を確認する。
そして読み終わると、俺に向き一言。
「旦那様、少し厄介なお仕事ですわ」
「なんだ」
真面目な顔をして彼女は告げる。
「旦那様に、決闘の申し込みですわ」