仲間への裏切り 7
日に日に弱ってく母を見て何も思わない歳でもない。俺はある日母さんが出かけた後をこっそりとついて行った。いつもの母さんであれば直ぐに気づくだろう。けれど今の母さんはそんな余裕はなく、全く気付かれずについて行く事が出来た。
そして着いた先は俺が此方が在籍する学校。一体何の用があってこんな所に来るのか全く分からなかった。もう授業もとっくに終わり、静まり返った校舎内を母さんは迷いなく歩いた。そして『会議室』と書かれた教室の前で大きく深呼吸するとその扉を開けた。さすがにそこまでは入れないのですぐ側にあった掃除用具入れに入った。そこは思いの外広く、子供ひとりなら余裕で入れ、部屋の中の声も十分に聞こえた。
しかし入ってからすぐ、誰かの足音が廊下から聞こえた。小さな音だったが、確実にこちらに向かってきてる。しかも恐らく走っている。
「やばいやばい、バレたのかな。怒られる、よね。」
こちらから外の様子は確認できないのでそれが更に不安を増大させる。部屋の中までは足音は聞こえないらしく、何かを話し続けている。
やがて足音はゆっくりになり、すぐ目の前で止まった。そしてゆっくりとそのトビラが開かれた。
「……お前何してんだ?」
「……」
扉の向こうには何故だか此方がいた。まぁ何故だかも何もないんだが、恐らく俺と同じような事を考えてついてきたのだろう。此方はとても母さんに懐いていたから、俺以上に気になっていたに違いない。それで母さんに尾行する俺を尾行したのだろう。
そして此方も掃除用具入れに入ると扉を閉めた。今無理に帰れと言ってもこいつが聞く耳を持つとは思えないし、あまり音を出すのもまずいので、とりあえず部屋の会話に傾注することにした。
そう思った矢先、中から大声がしてついビクンとしてしまう。
「何度言ったって変わらないですよ!!どうして人殺しの人間を娘と同じ教室で授業を受けさせられますか?そもそも先生も先生ですよ。なんでそれをきちんと調べることもせず入学なんてさせるんですか!?」
「いやー……でも狐神さんのお話からですと、決して殺したという訳ではなく助けられなかったという方が適切なのではないでしょうか?まだ10歳の女の子には些かその光景を見て冷静な判断が出来るとは思えないんですが。」
「……へぇ、私たちが間違ってると。あくまで自分には非はなく騒いでいる私たちが悪いと。」
その後も気分の悪い話を聞いていると、どうやら先生以外に味方はいないかった。その先生も時間が経つにつれてどんどん弱々しくなっていった。
俺も此方も子供。父さんは基本会社に行ってしまっている。そうなれば必然的にその被害を受けるのは母さんになるとこの時にようやく気がついた。そしてそれを必死に1人で押し止めていたんだ。俺たちに心配をかけないように。俺たちに被害が及ばないように。
「じゃああなたの娘がクラスの子に何もしないと保証できますか?できませんよね?劣悪な環境で育った者と優良な環境で育った子が同じ環境で過ごせるなんて到底思えません。」
そんなのできるわけないだろ。いい環境で育った子どもだって悪い事をするし、悪い環境で育った子どもだっていい事をする。大切なのはその周りにいる大人たちだろ、と振り返れば思う。
母さんはこの言葉に強く返した。
「……はい。保証なんてできません。子どもたちが互いに影響し合わなければ学校なんてある意味ないですから。勉強をしたければ家でやればいいですし、友達と遊びたいのなら公園にでも行けばいいじゃないですか。色んな人と関わり、社会というのを少しずつ知っていくのが学校ではないでしょうか。……それに、たとえどんな劣悪な環境で育っていたとしても、私はその何倍も何十倍もあの子を愛します!!あの子のためなら何だってします!!あなた方も子の親なら分かりますよね!?」
ここまで大きな母さんの声を初めて聞いた。そして母さんが此方のことをどれだけ大切に思っているかも知った。
けれど後になってみれば此方にとってはその優しさこそ最も心にくるものがあったと思う。母さんを好きだったからこそ『私のせいでこんなにも母さんが傷ついた』と深い自責の念に苛まれた。
母さんの言葉を聞いた此方は掃除用具入れの扉を開けると、そのまま母さん達のいる会議室の扉も開ける。これにはそこにいたみんなが驚き、言葉を探していた。俺は此方の後ろに立ち母さんを見る。母さんは一瞬驚いたようだったが、すぐに察したのか、静かに微笑んでこちらに歩いてくる。
「お母さんを心配して来てくれたの?ありがとね。……もうすぐ話し合いも終わるからちょっとだけ廊下で待てるかな?」
「……わかった。行こう、此方。」
「……」
此方は俯いたままただ震えていた。涙は流さず、何か言おうと何度か口が開いたり閉じたりを繰り返す。母さんはそんな此方の言葉をただ待った。
そしてようやく此方の口から声が聞こえた。
「……お母さん。ごめんなさい。私なんかのせいで。」
誰も止める事は出来なかった。
此方はポケットから出した彫刻刀を自らの首に勢いよく突き刺した。