猫と彼女と先輩と
翌日の昼休み、春風さんは特に用事もなかったそうなので会ってくれた。その顔はいつもより少し元気がない。昨日話をしているうちに彼女の事を思い出してしまっただろうか。春風さんのあの言い方だともうその初恋は終わりなのだろう。
「僕はね狐神君、今までたくさんの女の子と女の子と遊んできたし、告白もされてきた。」
「え、いや、急にそんな自慢されても。俺には右ストレートぐらいしか用意できませんよ。」
「だから自分の初恋が成就しなかったくらいでこんな醜態晒すべきじゃないと思う。告白してきてくれた女の子の半分くらいは、遊びとしてではなく、僕と同じで本気で恋をしてくれてたんだから。」
はぁ、だから何だというのか。
「そんな子たちの気持ちを僕はまともに扱わなかった。甘い言葉を適度にかけていれば、やがて冷めてるものだと勘違いしていた。......最低だね、僕。」
「自分に酔ってる姿を見せられるこっちの身にもなってください。自分を卑下するのは勝手ですけど、そこで自己完結するのは良くないと思います。」
そして俺はいつも通りの場所へ向かう。原則放課後まで学校は出てはいけないから実質出てもいいという謎理論。何となく分かるだろうがきっと春風さんと彼女の縁を切るきっかけとなった猫、シュパリュはあいつだろう。昔あいつをここで助けた時も、昨日の話と時間が一致していると思う。まさか高校が始まって再び会うとは思わなかったが。
俺と春風さんが着くと間もなく、どこからともなく俺にすりよって来た。その姿を見た途端春風さんは「嘘だろ...」と言葉をこぼし、シュパリュに駆け寄る。もし春風さんがシュパリュをぶん投げて殺そうとしたのなら、きっとシュパリュは俺達に近づいても来ないだろう。見た感じあまり懐いてはいないが。
「あの日こいつがたまたま海岸に打ち上げているのを見つけたんです。かなりボロボロの状態だったんですけど何とか息を吹き返してくれて。生きたかったんでしょうね......」
「たまたまって、あの日は確かかなり荒れた天気だったと思うけど「春風さん、今から余計でうざったい事を言います。もし春風さんが本気で初恋を終わらせるつもりならちゃんと告白してフラれるべきだと思います。面と向かって、逃げないで。自分の想いを断られるのは怖いと思います。でもあなたに告白した人達はみんなその道を通ってきてます。それを知らないあなたではないでしょう。」
仮にも先輩に対しこのような口調は良くないだろうが真っすぐな言葉の方が相手にも伝わりやすいだろう。とは言っても恋愛に関しては俺よりもずっと経験豊富な先輩だ、俺に言われるまでもなく気付いているだろう。
「うん...すまない。狐神君の言う通りだね。じゃあ今からフラれに行くとするよ。道案内お願いしてもいいかな?」
「?いや、俺彼女の家とかは知らないですよ。そもそもその彼女とやらにも会ったことも、名前さえも知らないですから。」
気付けばシュパリュもいつの間にかいなくなっていた。とは言ってもシュパリュの飼い主の家を前に特定しようとしたが、あまりにも獣道を通るのでついていけなかった。でも問題はない。校長の娘ならば校長に会いに行けばいいだけの事。やがて同じ考えに至った春風さんの顔が青くなっていく。そりゃあ向こうからすれば娘を誑かし、ペットの猫を殺されそうになったんだ。後者は今となっては嘘と分かってるかもしれないが、前者は否定が難しいところである。
......まぁあんまり心配はしていないが。
流石に昼休みの時間でそこまでするのは難しいので放課後に持ち越しになった。俺は校長とは冤罪の件で顔見知りの為、放課後の約束は俺が取り付けておいた。春風さんもそれまでには覚悟が決まったらしく俺よりも早く集合場所にいた。「娘さんに合わせて欲しい」なんて少し前のドラマみたいだな。それで「お前のような軽い男に会わせるわけがないだろう」って感じでしょ。知ってる知ってる。偏見だけど。
校長室と書かれた扉を春風さんがノックすると中から「どうぞ」と声がする。小さく息を吐きだすとゆっくりと扉を開ける。中からは仄かに花の香りがした。そして丁寧にこちらの分のコーヒーまで用意しようとしてくれていた。
「ジャストタイミングだ。何かコーヒーの要望はあるかね?」
「サイフォンのミルクは粉で。豆はクリスタルマウンテンでお願いします。」
「え......じゃあ僕はブラックで。普通にインスタントで大丈夫です。」
「ではこちらが春風君で、こっちが狐神君のだね。春風君はもう少し緊張を解いてくれると嬉しいな。私は生徒と話すことが好きでね、狐神君みたいにゆったりしてほしいな。あ、そうだ、一応。私は九条領という。一応名前くらいは知ってるかな。」
「はい、存じてます。春風海斗と言います」
春風さんが戸惑うのも無理はないと思う。この人は俺が冤罪の件からお世話になっているが、式之宮先生と並んで好感を持てる人だ。最近では珍しい生徒と積極的に関わりを持つ校長で、特に畏まったものが苦手らしい。だから俺もここでは遠慮というものをあまりしないようにしている。
因みに俺は味は分からないが香りはわかる。