可愛いの最後の日 18
「まだお姉さんは存命なんだろ。だったらもう手遅れってことはないだろ?」
多分星川は自身のことを何と言われてもそこまで気にはしないだろう。ただ今この瞬間もそうだが、お姉さんについて触れられると、途端にその余裕はなくなる。
「......もしそんな事態なら、私はもうとっくにこの世にはいませんよ。」
「そうか、じゃあ全部が間に合わなくなったのならその時は自らの命を捨てればいい。何なら俺も協力しよう。俺も一度は海にこの身を投げた人間だ。失敗してる立場から助言できることはあると思う。」
だが流石にこれは樫野校長が間に入った。
「ダメだよ自殺なんて。若者がそう簡単に命を投げ出すものじゃない。人生生きていればきっといいことがあるよ。結局人生は良いことと悪いことは同じくらいなんだから。もうちょっとだけ頑張ろう?」
この言葉に最早怒りもせず、諦めたように星川が言おうとした。
「......簡単、ですか。「ごめん、今のは自殺者への対応マニュアルの文言なの。仮にも教育者が自殺をしようとする生徒を止めなかったら流石に問題すぎるからね。」」
「『明日』とか『いつか』じゃなくて、今もう死にたいって言ってるんだろ」樫野校長はそう呟いていた。ではさっきの自殺幇助の言葉なんかではなく、教育者でなく、樫野束さんはどういったご意見をお持ちなのか。俺たちより人生を長く生きてきた立場から意見を賜りたいものですな。
「......自殺をする人のほとんどがね、優しい人なんだよ。優しいから、周りに迷惑をかけないように抱え込んでしまう。「あいつならいいだろ」って、優しくない人から黒いものをぶつけられる。でも、それを投げ返すことも、他の人にぶつけることもできない。結果、その黒に吞まれてしまう。「あの人が困るから」「あの子が可哀想だから」......そうじゃない、主語は常に『私』にしてあげて。よく自殺はよくないなんて言うけれど、そうさせてしまった環境が100%悪い。......絶望というのは人間が心を持つ限り現れる、最強にして最大の、消えることのない化物だ。いつでもどこにでも現れ、大人子供関係なく喰い殺す。私自身この手のひらからいくつの命が零れ落ちていったか。」
この人は警察にも繋がりがあったから、もしかしたら前職は警察とかそっち関連なのかもな。そうだとすると、きっと本当にこの人には救えなかった命がいくつもあったのかもしれない。修学旅行の際に梁さんに聞いた。警察は市民の命を守る仕事でもあるけど、守れなかった命の後処理をする仕事でもあると。
「でもそんな私語りはどうでもいい。星川さん、あなたの過去の辛さは本当に想像を絶するものだったと思う。けれどもあなたはお姉さんのためにここまで生きてくれた。お姉さんもそれにどれほど支えられたことか、勝手に思慮することなんて冒涜はしない。でも、あなたはお姉さんを悲しませまいとこんなにも頑張って生きてくれた。他の人のために、文字通り命を懸けられる優しすぎる人なんだよ。」
その言葉に星川は鼻で笑った。
「言いたいことは以上ですか?......私が?優しい?そんなわけないじゃないですか。お姉ちゃんの復讐のために生徒会に入って、こうして狐神先輩困らせて、合唱祭だって私の勝手で4組の皆さんを巻き込んで勝手に勝負して、勝ったら狐神先輩を生徒会から追い出そうとして。とりあえずそうやって煽てることが目的ですか。舐めてます?」
とりあえずで対応してるわけじゃないことくらい星川だってわかってるとは思うんだけどな。今は気が立っているんだろうな。一回全部吐き出した方が楽かもな。
「実際狐神君から見て、彼女は優しい人だと思う?」
「そうですね、生徒会の仕事もちゃんとしてますし、夏休み俺が鶴の父親に殺されそうになった時、俺を守ろうと動いてくれましたし、修学旅行中に起こったボヤ騒ぎも犯人特定してくれました「うるっせぇよ!!黙れ!!!」
机を勢いよく殴り、聞いたことのない咆哮が校長室に響いた。少なくても高校に入っての星川しか見ていないから、そんな口調で、人を殺すんじゃないかと思うほどの眼光が、本当に星川なのか疑わしいほどだった。......きっとこれが星川が今まで歩いてた姿なのだろう。
「私の人格なんてどうだっていいんだよ!!性格なんていくらでも捻じ曲げてきた!今までの醜行が消えることは一生ない!!......お姉ちゃんが私が死ぬことを望んでないことくらい......わかってる。骨の髄まで優しい人だから。でも、私は......お姉ちゃんのいない世界で......笑うことなんて出来ないよ......」
絞りだされた声はあまりにも弱弱しく、俺の耳にギリギリで届く程度だった。
現在エイズ感染による死亡率は10%程度。そのほとんどが日和見感染によるもの。俺は高校の保健程度の知識しか持ち合わせてないからわからないけれども、多分無菌室のような環境であれば、日和見感染をあまり気にすることなく、病気の治療に専念できると思う。だが星川がこの学校に通うお金に加え、お姉さんは高額な治療費を払い働くことはできない。お姉さんはきっと自分が助かることよりも、星川に普通の女の子として生きてほしいんだろう。
「......本当にどこまでも優しい姉妹だな。」




