旅鞄には甘いお菓子と少しのスパイスを 18
それはこの人が留学に行く前、学年が上がった少しあとのことだった。時期で言えば俺が冤罪解決に走り回っていたその辺だった。
『日本が誇る若き天才』として取材を受けていた映像だった。その根元先輩の表情は今と変わらず、端的に言って無愛想そのものだった。左に写るインタビュアーもどこか気まづそうにいくつかの質問をしている。
「次の質問。」
映像の根元先輩は不機嫌そのものだった。これはインタビューのせいだと思うが、これもまた俺にとって悪い方向へ転がった。
『でも留学となると今通っている学校に思い残していることとかはないんですか?気になってる人とかに言葉とかはもう伝えてたりするんですか?」
相変わらずモラルのなってない質問をする。今の若い人達は大人が考えるよりもずっとその辺大人だぞ。
『......。特にないです。ほとんど友人などの交流もないので。むしろ一つ下の学年に犯罪者紛いの問題児がいるので助かります。狐神、とかいったかし『こ、個人名は不味いかと!!』』
映像はそこで終わった。
「あなたの発言が地上波生放送で流れ、俺は学校だけでなく外の世界でも全ての人間に怯える日々ですよ。ほとんどの人が明日には忘れるであろうことでも、俺は常に睨まれながら、他愛のない会話の笑い声でさえ、全てが俺に向けられていると思うほど。」
「......なるほど。あなたの恨みは尤もね。」
「少なくてもあなたの作ったパンケーキに惚れ込んでここにいることは本当です。きっと他の人からしたら『10ヶ月近く前のこと引きづってんなよ』って思われるかもですけど、今だいぶ複雑です。」
表情を伺うに、鉄皮面だと思っていた顔はだいぶ弱々しくなっていた。人間として腐っている訳ではなく、きちんと罪悪感などは感じているらしい。
「ごめんね、狐神君。今日のところは......」
帰れと、まぁそれはそうか。これ以上精神的に追い込もうとしたら、それこそお店の存続にも関わりかねない。別に俺はそんなこと望んでないし、少なくてもあのパンケーキが食べられなくなるのは嫌だ。
「今日はお時間頂きありがとうございました。」
一応礼をしてお店を去ったが、俺の不採用は確実だろう。不安要素しかないし、使えない可能性が高い、それに何よりあのお店のエースを潰す訳にはいかないだろう。元々受かればラッキーくらいにしか考えてなかったんだ。勝手に期待して裏切られるのはもういい。
「幸せなんて、期待せず漠然と憧れるくらいで十分だ。」
家に帰りネットで少し根元先輩について調べてみた。軽く検索をかけただけだが、その情報量は凄いものだった。記事によっては海外のものもある。しかしその全てがいいものではなく、批判、反感の言葉も見られた。きっとあの性格なども大いにあるだろう。そこから人間不信に繋がってもおかしくは無いのか。
そんな時、携帯が震えた。誰からかは書いていなかったが、確かあの店の電話番号だった気がする。わざわざお祈りを電話でしてこなくていいのに。
「はい。狐神です。」
翌日、少し遅くなってしまったが店長に呼ぼれたためお店に向かった。既に閉店時間らしく、裏口から入るようにお達しがあった。わざわざ中に招いてまで不採用を言わんでも。もしくはあれか?根元先輩を傷つけたとかでぼこされんのか?あのひと
若干過保護な気したもんな。
「すみません、この時間に来る約束をした狐神ですけれども。」
「あっ、ありがとうね。来てもらって。ちょっと待っててね。」
椅子に案内されたが、目の前で片付けている人を見ながら呑気にコーヒーなんて飲みづらいので、簡単な作業を手伝った。多分普通の男子高校生よか家事はやっているからそれが活きた。
片付けが終わった後、温め直してくれたコーヒーと店長得意のシフォンケーキを出してくれた。そしてコホン、と咳をすると話し始めた。
「私はあくまであの件を第三者的立場で話をさせてもらうね。まず、あの件に関しては彼女が100%悪いと思う。そしてそれは昨日彼女も言っていた。『弁解の余地もない』とも。」
少し気の弱そうに見えるこの人が100%で言うなんて少し以外だった。てっきり「彼女にも非はあるが」とか言うと思っていた。
「今日はまだ部屋からは出れていないが、後日必ず君に謝らせるよ。それまで、少しだけ待って欲しいんだ。その間は僕が仕事を教えるから。」
「分かりました。......あ、採用なんですか?」
「うん、是非ここで働いて欲しいな。」
俺としては嬉しい限りではあるが、やはり根元先輩とは1度話し合いをしないと流石に気まずいな。しかし部屋に籠ってしまっている以上今は何も出来ないか。
「......差し支えない範囲でいいので、あの人のことを教えて貰えないですか?何で留学したのに今日本にいるのかとか。」
店長は少し考える様子ではあったが、それは俺が聞くべきだと判断してくれたようで、ゆっくりと話してくれた。
「日本で高い評価を得た彼女は、海外でもその腕を買われた。留学先では常に最高を求められていたね。けれど異国の地で最高のパフォーマンスなんて大人でもまず出来ない。それ故に随分と言葉を浴びせられたそうだよ。あの子は見ての通り、受けのいい性格では無いから、それも拍車がかかった原因かな。留学は途中で耐えきれなくなり帰国、元々親は反対していて『恥知らず』と家を追い出されてしまい、行き場のない彼女をここで拾う形で雇っているんだよ。」
前にネットの記事で見た。確か根元先輩の親は和風料理の重鎮だ。和と洋では大きく道が異なり、だいぶ家族間の仲が悪いと、面白おかしく書いてあった。あのレベルの料理を認めず追い出すとは相当らしい。
「期待されないのもきついけれど、期待されすぎるのもきついですね。」
「そうだね、でもきちんと彼女を助けてくれた人もいたんだよ。」
はぁ、世の中色んな人がいるんだな。根元先輩を助けられるとは相当の料理の腕を持っているんだろう。捨てる神あれば拾う神ありではないけれど、世の中様々な人がいるもんだ。
世間では日本が誇る若き天才なんて仰々しい命名を頂いたけれど、周りの人はそんな風に私を見ることはなかった。『図に乗るな』『たまたま上手くいっただけ』『どんな汚い手を使ってのし上がった』『恥ずかしくないのか』そんなやりとりが私と両親の会話だった。絶対に相容れない。そう思うのと同時に海外から留学の案内が来た。ちょうどいい機会だった。世界の実力も知りたかったし、あんな人のところから去れるのであれば。
そうして行った海外。でも環境はさして変わらなかったどころか寧ろ悪化した。大きな言葉の壁、一般に使う言葉は学校や受験で習ったが、料理の専門用語、ましてや化学用語なんて全く知らなかった。最初は嫌々でも親切に教えようとしてくれる人もいた。けれど私のどんくささ、そしてそっけない態度に耐え切れず敵に回った人も多くいた。しかしこれに関しては私が悪い。頑張って愛想を良くし、勉強も頑張り、向こうの生活にも慣れようとして、嫌なことがあっても笑顔で努めた。相手がこちらに通じてないと思って話していた差別や軽侮の言葉も分からないふりをした。
結果、だめだった。心が持たなかった。気付いた時には帰国手続きを済ませ、日本に情けなく帰っていた。当然親からは凄まじいまでの言葉を浴びせられた。到底娘に掛ける言葉ではない言葉をたっぷり1日。夜明けにはそれが終わると同時に、まるで生ごみを捨てるように敷地から追い出された。そしてお世話になるこのお店の前に倒れ、ここで働かせてもらった。
店長は働かなくていいと言ってくれたが、穀潰しになんてなりたくなかった。私にできることはせいぜい洋菓子を少し上手く作れるだけ。店長は私の料理を褒めてくれてが、そうとしか言えないという先入観が、その言葉を打ち消していった。
店長に変わって初めてパンケーキを出してみた。心のどこかでこのパンケーキの不平不満を望んでいた。お客さんは正直だから、一言この料理を『不味い』と言ってくれれば諦めがつく。両親が正義にはなるけれど、そしたら私が謝ればいいだけのこと。『美味しい洋菓子を作って、みんなを幸せにする』なんて子どもでももう考えないような、そんな馬鹿げた夢から覚めることができる。
注文したのはうちの制服を着た男子高校生。きっと味のことなんてろくにわからない。お願い......私を夢から目覚めさせて。
あの男子高校生に料理が渡る前、火を消し忘れていたことを思い出して少しの時間厨房に少し戻った。料理は既に運ばれ、その一口目を食べるところだった。さて、どんな罵詈雑言を浴びせてくれるかしら。
「よく味覚もないのにそんな美味しい顔できるな。」
味覚がない?......じゃあ何も言葉はないかしら。
「いや、香りの食感からもう味までわかる気がする。絶対美味い。」
......何を言っているの?味覚がないのでしょ?そんなもの分かるわけないじゃない。
「調味料とかは多分たくさん組み合わせてるんだけど、お互いが喧嘩せずに中和してる感じ。」
何それっぽいこと言ってるのかしら。確かに味に深みは欲しいから調味料は他の人より多いけれど。どうせ味わうのであれば色んな風味を感じられるといいし。
「蜂蜜も美味しそうにかかってるけどベタベタ感が全然ない。透明感が普通の蜂蜜よりもあるからか、重そうって感じもさせない。見た目もすごい大切なんだなって気付かされる。」
......料理は見た目も大切だからそのくらいは当然でしょ。そっか、今までそれが当たり前として扱われていたけれど、普通の料理はそこまで見た目は注視しないのね。
「温度も多分これ以上冷えたら固くなるけど、でも熱すぎると嫌がる人もいる、そういうのも考えられてるのかな。」
......そうね、私が子供の頃、熱いから食べられないって駄々こねたことがあって、それを見た料理人が味は落とさず、でも私が食べやすい温度に調節してくれた。そんな優しさに私も憧れた。
「味変とかも今は普通にあるけど、それらをしなくてもこんなに食べられるとか天才かよ。結論美味すぎんだろ......。後で店員さんにレシピ訊きに行く。なんなら働いて弟子入りするわ。」
......なんなのこの人、馬鹿じゃないの。料理一つ一つにこんなに感想述べてるの?普通に他の人引くわよ、そんなことしてたら。ほんとに......なんなの、なんなの馬鹿でしょ。
「深月さ……良かったね。あの男の子。今とても幸せそうにしてるよ。」
「......バカ......うっ......折角、夢を......諦められると思った......のに......なんなのっ......ほんと......」
「君だよ、狐神君。君が彼女を救ってくれたんだ。」
「店長は俺の全肯定botですか?それも嘘をついてまで。」
「本当だよ。」
店長は在りし日を噛み締めるように呟いた。
「君が初めてここに来て、彼女のパンケーキをべた褒めしてくれた。その時に君のくれた賛美の言葉、それだけでなくここで教えて欲しいとまで来てくれた。長らく否定しかされてこなかった彼女とってそれがどんなに嬉しいことだったか。君にとっては些細なことかもしれない。でもその些細なことがきっかけで人生は大きく変わることもある。少なくても彼女がもう一度戦う種火を君はくれたんだ。」




