遅咲きの春 7
確かに生徒だけならまだ分かる。最初の事件の被害者である水仙の方が、俺よりも生徒の信頼は当初からあったろう。でもそんなものは多少の誤差程度。顔が可愛いとかそのくらいだろう。でも普通教師ならばそんなものを判断材料にはしないだろう。でも俺の味方をする人はほとんどいなかった。それは遠井先生が根回しをしていたからか。
「理由がわからないです。多分この写真の生徒と関係があると思うんですけど。」
「簡単な話だよ。この遠井先生は昔ね、学生時代何年間も耐え難い陵辱を受けていたんだ。それはまぁ多少同情するところはあるけど、そこから性犯罪に関してだけは被害者の絶対的な味方なんだよ。それが君を助けなかった理由。そしてそのファイルの生徒の父親が遠井先生に悪事を働いた人だよ。」
……何となく分かってきた。要は遠井先生にトラウマ植え付けた本人が今度はその子の保護者として来るわけか。それにこの人はビクついてこんなになってるわけか。……でもだから何なのだろうか。別に今更そんなのが分かったからって俺になんの得がある。
樫野校長が遠井先生の背後に周り手を回す。触っているのは勿論女性の樫野校長だが、きっと過去のトラウマを思い出してしまっているのだろう。その顔は酷く脅えている。
「つまり、君を苦しめたこの大人に、最大級の復讐ができるわけなのさ。実はね、この生徒の配属は狐神君のクラスに確定した訳じゃないんだ。もう1人転校生はいるからそっちと交換してもい。その生徒はごくごく普通の女の子。例えるなら身分違いの女の子みたいな感じかな。君が選んでいいよ、配属する生徒を。」
受験前とかは面談とかあるだろうし、勿論入学の際も担当講師の挨拶とかはするだろう。そうすれば否応でも絶対に会わなくてはならない。遠井先生とその人がどこまで関係があるのかは知らないが、遠井先生の様子を見るに、存在を知ったら何をするか分かったものじゃないのかな。……とは言っても、俺にとってこの人がどうなろうと知ったこっちゃないし、転校生の人は本当に関係ない事だし。正直どうでもいい。……でもそうだな、どうせなら苦しんでもらうとするか。
「じゃあ遠井先生がビクついてる人をうちのクラスにお願いします。」
「やったね!そう来なくちゃ!!」
「……確かに私には拒否権もないし、それが相応しい罰かもね。」
おー、見事に絶望した顔をしている。教師を生徒が見下ろすなんて滅多に拝めない景色だ。悪くない。追い討ち行きます。
「遠井先生の心が折れようが知ったことありませんし、トラウマを是非とも思い出してもらえればと思います。せいぜい頑張って下さい。」
話はこれ以上はなさそうなので俺は扉に向かった。樫野は書類を一気に進め始め、遠井は変わらず項垂れている。
「遠井先生。」
視線だけこちらに向けた。
「被害者ぶってるのはいいですけど、あなたは私を貶めようとしたんです。加害者です。そこを履き違えないでください。それに誰もあなたを助けることなんて出来ませんよ。トラウマは自分で乗り越えないと意味ないですから。……俺には義理の妹がいるんですけど、凄絶な虐待に遭ってました。俺たち家族の優しさに耐えきれず、彫刻刀で自分の首を刺すほど。でも今年から高校に通い始めました。自分を変えたいと思ったから。俺も去年の冤罪のトラウマはあなたに負ける気は全くしません。そしてそれをもう克服しました。あなたはいつまでそこにいるつもりですか?」
トラウマに立ち向かう事がどんなに辛く苦しいことかは人それぞれだし、簡単にこんな言葉を言うべきではない。そんな事分かってる。ただお生憎様、俺はこの人にどんな風に思われようが今更どうでもいいし、大人ならこんな安い挑発に乗らないだろう。
「では。」
もう遠井先生の顔は見なかった。
扉の閉まる音が響く。
「キツい言葉を言われましたね。まぁ言われて当然ですけど。で、どうします?狐神君にはああ言いましたけど、流石に生徒1人の意思でクラスを選んだりはしませんが。あなたが決めていいですよ。」
そう口にはしたが、もしここで遠井がもう片方の転校生を選んだら退職させるつもりだった。安川、五十嵐、淀川、嬬恋、三井、全員がきちんと制裁を受けた。それなのに教師という立場にありながら、直接ではないにしろ、敵となったのは罪だ。
「……私のクラスで榊原優君を見ます。」
「そうですか。分かりました。」
生徒に感化されたとはいえ、トラウマに子供も大人もない。寧ろそれと共に長く生きている分、枷はこちらの方が重いかもしれない。精神が保てばいいですけれど。
まだ早いとは思うが、榊原の親は書類の申し込みと校内見学を申し込んできた。基本的に新学年に転入する生徒は春休みに手続きを終わり、合流といった形だが、在校生のいる校舎を見ておきたいとのこと。遠井が榊原の担当をすると決まった直後にはもう机を挟み相対していた。
「……あなた……は……」
あなたは確か以前お世話になった先生ですか?用意していた言葉が出ない。
「……ンン!?あー、これはこれは、お久しぶりですねぇ!!随分とまぁたお綺麗になられて。いやぁ、あなたに見てもらえるのなら安心です。」
「……き、恐縮です。」
ある程度分かっていたが、汗が身体中から吹き出し、脳が全力でここから逃げたいと叫ぶ。そして先程まで決めていた覚悟もどこかへ行ってしまった。
「俺から2年ですかぁ。あまり長い期間ではありませんが、どうぞよろしくお願いしますねぇ、遠井先生。」
「……こ、こちらこそ。榊原先生。」
「やだなぁ。今はあなたが私の先生ですよ。どうぞ優をよろしく、よろしぃくお願いしますねぇ?」