Lv37 ▼佐々木聖月
最終章です。
前世の私───佐々木聖月は母と二人暮しだった。
父親の顔は知らない。母が私を産んだ頃には外に複数人の女を作っており、その内の一人の元に行くと出ていったのだとか。
母はそんな状況に陥ってもがむしゃらに働いて、私を養ってくれた。子育てをしながらも仕事で成果を上げて出世もした母は、私の憧れだった。私は母の力になりたかったのだ。
「あなたは勉強をたくさんして大企業に就職して、立派な大人になるのよ? 早くお母さんを安心させてちょうだいね」
幼少期から母に言い聞かせられてきた言葉。勉強ばかりで友達ができないのは少し寂しかったけれど、それだけ母が私に期待してくれているのだと思うと嬉しくて、私はいくらでも頑張れた。
テストで100点をとることは当たり前のこと。小学生の模試でも絶対に10番以内。母がやらせてくれた様々な習いごとで賞を取り、コンクールやコンテストと名のつくものでは全て優勝した。
頑張れば頑張るほど母に認めてもらえると信じていた。
「おかあさん! 今回の模試で私は3番でした!」
「おかあさん! ピアノコンクールで金賞をとりました!」
世間からの評価が上がるたびに、私は母へと報告した。母の「すごいわ聖月!」という言葉がどうしてもほしかった。
「模試で1位も取れないのに、なにを自慢しているの?」
「金賞? だからなによ? あの男と同じ顔で話しかけないでよ。虫唾が走るから」
報告すれば喜んでくれていた母は、私の顔立ちが父親と似てくるにつれてだんだん褒めてくれなくなっていった。
「このテストはなに? なんで98点なんてとってくるのよ!? この出来損ないがっ!!」
テストの点が少しでも下がると、母は激高した。ときには手を上げて、私を罵倒した。
「私の役にも立てないあなたに存在意味なんてないんだから! あなたがいなければ私はもっと仕事もできたのに! 『男に遊ばれてシングルマザーだなんて可哀想』そんな陰口を叩かれる私の気持ちがわかる!?」
「ご、ごめんなさい。おかあさ──」
「あいつみたいな顔でおかあさんって呼ばないで!!」
母は私を嫌悪する表情を浮かべて、何度も何度も同じ話を繰り返した。私はそのたびにつらそうな母を救えない自分を恨み、父に似ていく顔を恨み、それでももっと努力すれば母も認めてくれるのではないかと考え続けた。
小学校高学年になると、母は夕食代を置いて仕事に没頭するようになった。私はそんな多忙な母を支えたくて、勉学や習いごとと両立して家事にも力を入れ始めた。
放課後の習いごとから帰ると、掃除や洗濯をし、母が好きそうな料理を作り、勉強しながら母の帰りを待つ毎日だった。料理も家事も最初は試行錯誤しながらだったけれど、中学生になる頃にはそれなりにこなせるようになった。
しかし夕飯の時間に母が帰ってくることはほとんどなく、帰ってきてもすでに夕飯を食べているか取引先とお酒を飲んでいるかで「いらない」と言われてしまう。それでも夕食の準備をしていないと、もし母がお腹を空かせて帰ってきたときに困るだろうと思い、毎日欠かさず作っていた。結局、最後まで食べてはもらえなかったけれど。
高校生になったとき、私は都内随一の進学校に進み、そこでも最善を尽くした。成績は常に学年トップ。色々な賞を獲得し、将来は難関国公立大学に合格できるだろうとも言われるようになった。そして、家事もできる限りのことは全てやり続けていた。
全ては母を『女手一つで娘を立派に育てあげた完璧な母親』にするために。
母は世間体を気にするタイプだったので、周囲からそのような評価を受ければ、私に存在意義を見出してくれるのではないかという思いもあった。
それでも、母は帰ってこなかった。
まだ私の努力が足りないからだ。褒めてもらえるほどのことをできていないからだ。
もっともっと、もっと頑張らないと。
お母さんに認めてもらえるように。
お母さんに『産んでよかった』と思ってもらえるように。
役に立たない子は愛してもらえないから。
なにもできない子に存在価値はないから。
私の願いはお母さんに必要とされる、それだけだから。
*****
それは、とある冬の日のことだった。
受験勉強が大詰めとなり、習いごとも辞め、学校と塾と家との往復だけの生活をしていた時期。
学校が午前で終わり、塾に行くまでに結構時間があったので、先に今日の家事を済ませようと思い帰路についた。イヤホンをつけて英文を流し聞きながら歩いていると、私の家のある方角に向かって、多くの人が歩いていくのが見えた。イヤホン越しにでもわかる程のざわめき。それは、日常とはなにかが違うと私が思うには十分な状況だった。
私は嫌な胸騒ぎがして、慌ててイヤホンを外し、家まで走る。家が近づいていくにつれて、喉にくる煙たさと焦げ臭い匂いが辺りに漂ってくる。
違う。私は関係ない。きっと、どこかのご近所さんが小火を起こしたかなにかだろう。
だっていつも火の用心はきちんとしているし、お母さんだってこの時間は家にいないもん。それに火事だとも限らないよね。お鍋を焦がしちゃったから換気をしているのかも。
火事、と浮かんだ二文字と嫌な想像をすぐに消して、私は家路へと急ぐ。
「危ないですから、近づかないでください!!」
そう叫ぶ男性の声が聞こえる。声の方向を見ると、その人は消防服を着ていた。
やっぱり火事だったんだ。近所で火事が起こるのはちょっと怖いなあ。
そう思いながら、赤い光を放っている家の方を見て、私は愕然とした。
「な、なんで?」
今燃え上がっている家は、まぎれもなく私と母が暮らす家だったのだ。
私は野次馬をかき分けて前に出る。目の前に広がる光景は、あまりにもむごたらしいものだった。バチバチと燃え上がる炎、黒く変色した白い壁。母が気に入っていた玄関の扉も、焼け落ちてしまっていた。
「そこの君! 危ないから帰りなさい!!」
消防士の男性が一人、私の元へとやってきた。私を野次馬だと思って、注意しに来たのだろう。他の消防隊員は、懸命にホースを抱えて放水している。
「違うっ! ここは私たちのお家なんです!!」
「…………!? 君、ここの家の子なのかい?」
「はい、ここは私とお母さんの大切な」
消防士の男性にそこまで言いかけて、私ははっとする。
――お母さんの、大切な?
「待ってろ、今向こうにいる警察官に声をかけて……って、おい君!!」
瞬間、私は無意識のうちに足を動かして、消火活動が行われている家に向かって走り出した。
そうだ! 今朝お母さんが言っていたんだ。今度、自分にとってとても大事な会議があるって。そのために必要な資料を部屋に置いているから絶対に入るなって!!
早く、早くあの家から持ってこないと! そうしないとお母さんが困っちゃう!!
それに、もし私が資料を持ち出せたら『聖月は必要な子』だって思って、愛してもらえるかもしれない!!
私は燃え盛る家へと突撃しようとした。しかし、ガタイのいい消防士に捕まってしまう。
「おい! なにをやっているんだ!!」
「離して!! お母さんの大切なものなの! 早く取りに行かないといけないのっ!」
「危ないからもう諦めなさい!」
私の伸ばした腕を遮り、彼は叫ぶ。私を行かせまいと強い力で肩を掴まれる。私は涙をあふれさせながら、必死で彼から逃れようとしたが、非力な女の腕ではかなわない。
「お願い、行かせて!」
そのとき、ガタンとなにかが倒れる音がした。その拍子に緩んだ腕をすり抜けて、手を伸ばす。
「待ってて、あと少しだから」
私は火の中へ飛び込んでいく。命なんて惜しくない。──それでお母さんからの愛が得られるのならば。
*****
「このっ! 役立たずが!!」
パアン、という乾いた音とともに、私の頬が熱を帯びる。母に打たれたからだと認識したのは、それから数秒後のことだった。
「ただでさえ出来損ないの足手まといなのに、こんなときに役に立つこともできないの!?」
「お、お母さん……」
「私の人生をめちゃくちゃにしたくせに! あんたはその顔で優秀な子だなんてちやほやされて! どれだけ私のプライドをズタズタにすれば気が済むの!? どれだけ私の人生を食い潰すの!!」
「ちょっと、お母さん! 娘さんになんてことを」
火の中に入ろうとして気を失い保護された私は、念のためにと病院へ搬送された。私の生徒手帳から母にも連絡がいったようだった。迎えに来た母の顔は憎悪と怒りに満ちあふれており、病室に来てすぐに私を罵倒し始める。
傍にいてくれた看護師さんが母を止めようとするが、母のあふれる言葉は止められない。そして、母は私が一番聞きたくなかった言葉を口にする。
「あんたなんか愛してない。ほんっと、こんな子供、産まなきゃよかった」
その一言で、私の中のなにかが弾ける音がした。
「佐々木さん!?」
看護師さんが私を呼ぶ声がするが、そんなことどうでもいい。私は病室を飛び出し、寒空の下へと駆け出した。
お母さんは、私を産んだことを後悔していた。愛してくれてなんていなかった。その事実が頭の中をぐるぐると回り、私はあてもなく走り続ける。
どうしよう、どうすればいい? お母さんに認められたくて、愛してほしくてここまで生きてきたのに、それがもう報われないとわかってしまった。これから私はどうやって生きればいいのだろう?
ひたすら私は走る、走る、走る。行き着く先なんてわからない。もうなにも、わからない。
キー! パッパー!!
大きな音と、ヘッドライトの光。空中に浮く私の身体。
トラックとの衝突。そんな理由で、あっけなく私の十八年の人生は幕を閉じた。
お読みいただきありがとうございます!




