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幕間(interlude) 6

【アテネ】

 1946年7月2日


 いくつかの誤解と油断の果てに、破局は突然訪れた。ドイツ軍側は兆候こそ掴んでいたが、確信をいだいたものは少なかった。


 英国がエジプトの駐留戦力を増強しているのは、かなり前からドイツ側で把握していた。問題は目的と目標だった。中近東をBMの脅威から守るためか、あるいは欧州へ進出が狙いか、確定できずにいた。


 ドイツ軍はクレタ島を占領下に置いていたが、駐留戦力は限定的だった。特に空軍で稼働できる哨戒機は少なかった。国防軍情報部(アプヴェア)の諜報員はアレクサンドリアにも潜入していた。しかし彼らの大半は、停泊中の英国艦隊について情報を断片的にしか得られなかった。


 その結果、英国軍の目標について最後まで確定できず、運命の日を迎える。


 早朝、英国艦隊の接近を初めに察知したのはアテネの漁師たちだった。



 ディオニソス・ホテルのバーの窓際で、オロチは朝の珈琲を手に地中海を眺めていた。港の方から、漁師たちの叫び声が響いてくる。


「英国の船だ! 軍艦が来てるぞ!」


 速すぎる。そう思い、オロチの視線が鋭く海の方へ向いた。地平線に灰色の艦影がいくつも浮かんでいる。すぐさま会計を済ませると、オロチは自室へ向かい、アタッシュケースから双眼鏡を取り出した。


 エーゲ海の水平線に最大倍率で焦点を合わせると、大小無数のマストが浮かび上がった。漁師たちの叫びは真実だった。


 きっと英国軍はクレタ島を大きく迂回し、ギリシャ本土へ接近したのだろう。予想通り、英国軍は大胆な一手を打ってきた。


「潮時だな」


 オロチは小さく呟くと、双眼鏡をアタッシュケースに戻した。すでに荷物は整えている。部屋を後にして、ホテルのロビーを抜けた。そのまま街路に出ると、市民たちが海岸へ向かって走っていくのが見えた。アテネの街がざわめき始めている。


 彼は冷静に状況を分析した。英国軍の目的は明白だ。ギリシャを足がかりに、バルカン半島への進出を狙っている。ドイツに対するささやかな(・・・・・)牽制だろう。


 だがBMと魔獣が跋扈するこの地で、そんな作戦が簡単に成功するとは思えない。ドイツ軍はすでに東方へ戦力をシフトさせ、武装SSがバルカンに配備されつつある。英国軍の上陸は、火薬庫に火を投じるようなものだ。


 オロチの瞳に哀悼の色が浮かんだ。美しいアテネの街並みが、これから戦火に飲み込まれる。グレイとの取引を終えた今、彼のギリシャでの任務は終わりだ。ここで得た最後の情報をドイツ側に送る必要がある。それも速やかに。


「美しいままで遺ってほしい、か……」


 言霊となるよう、オロチは願った。


【ピレウス港付近】

 1946年7月2日


 儀堂衛士は<宵月>の艦橋で、ピレウス港の岸壁を見据えていた。先日まで荒れていた海は嘘のように凪いでいた。


 その海とは対称的に陸では緊張が満ちている。


 英国軍が一斉に上陸を開始していた。輸送船から英連邦の兵士たちが次々と降りてくる。戦車や装甲車が岸壁に並び、整然と進駐(・・)の準備が進められていた。


 進攻ではなく進駐だった。


 ギリシャ軍は混乱し、迎撃態勢を取れずにいた。半ば取れなかったと言うべきかもしれない。今朝がた、政府より「魔獣を例外としてのいかなる軍事行動も許可せず」と通達が来ていた。現場の将兵は、直前までその意味するところが理解できなかった。


 大半はラジオから流れてくるBBCの臨時ニュースで真実を知ることになった。英国とギリシャとの同盟締結を報じていた。


「やはり負傷者が出たようです」


 興津が報告書を手に淡々と伝える。


 ギリシャ政府は英国軍の進駐を受け入れるために、高度な情報統制を敷いていた。それは味方のギリシャ軍にすら、一部の高官を除いて全容を明かさないほどに神経質でリスクに溢れたものだった。


 案の定、混乱したギリシャの守備隊と英国軍の一部が交戦、幸い死者は出なかったが危うく同盟国同士で砲火を交えるところだった。


「予定よりも遅れていますが、兵員と物資の搬入は進んでいます」


 儀堂は頷き、双眼鏡で港の奥を観察した。ギリシャ軍は混乱していたが、英国軍にとって織り込み済みの事態だった。この日のために、彼らはギリシャ語に堪能な士官を各部隊に配備していた。


 艦橋の鉄扉が軋む音を立てて開き、アルフレッド・ローン大尉が姿を現した。彼は軽い足取りで奥へ進み、儀堂の隣に立った。


「司令、お疲れ様です。上陸作戦は比較的順調(・・・・・)に進んでいますよ」


 彼の声は落ち着いており、相変わらず流暢な日本語が艦橋に響いた。


 クララはこの場にいなかった。彼女は船酔いに悩まされた挙句、艦橋に上がるどころか自室で横になっている。


 先日の荒波で体力を消耗し、青白い顔でげろ袋を握りしめていた姿が儀堂の脳裏に浮かんだ。船酔いを解消する魔導はないようだ。彼女もまた人間ということなのだろう。


 ローンは視線を港の方へ向けながら、ふと口を開いた。


「ところで、儀堂司令。我らがクララはどうですか?」


 儀堂は一瞥すると首を少し傾げた。


「どうとは?」


「彼女の働きぶりについて、その率直な評価を伺いたいのです。今後、協同する上での参考のためにね。なにしろ、我ら魔導士が軍と協同した前例は少ないので。その一方で、今後このようなケースが増えるでしょうから」


 彼の口調は軽やかだったが、瞳には真剣な光が宿っていた。クララを推薦した責任者として、彼女の活躍が気になっているのだろう。


 儀堂は静かにローンを見据えた。


「まだこれからだ。良くも悪くもない。可もなく不可もなし、といったところだ」


 一呼吸置いて、彼は淡々と続けた。


「ただ荒波の中でも艦橋に張り付いていたのは事実だ。恐らく彼女にとって海上勤務は初めてのことだろう。あの状況で最後まで気を失わなかったのは評価してもいい。そう思う」


 儀堂の言葉には、ほのかな賞賛が含まれていた。だが、それ以上の感情は込められていない。彼にとってクララは、まだ未知の駒に過ぎなかった。


 ローンは小さく苦笑を浮かべ、軽く頭を下げた。


「なるほど、了解しました。彼女を推薦した者として感謝申し上げます。クララにはもっと活躍の場を与えられるよう、私も尽力したいと思っています。そのためのサポートは惜しみません。ゆえに今後とも御贔屓に」


 諧謔を込めて彼は言った。その笑顔にはどこか安堵の色が混じっていた。儀堂の評価が厳しすぎなかったことに、内心でほっとしているのかもしれない。


「ところで大尉は、わざわざ部下の考課表を聞くためだけにここへ来たのかい?」


「いいえ、もちろん違いますよ。今のは世間話です」


 おもむろにローンは姿勢を正し、本題を切り出した。


「実は現場で少し混乱が生じていましてね。それが日本人がらみらしいのです」


「日本人?」


 傍にいた興津が怪しむように聞き返した。儀堂も同様に眉を寄せた。


「ええ、アテネ市内の検問で日本人を名乗る男が足止めされています。貿易商らしいのですが身元確認が難航しており、ギリシャ軍も我々も対応に困っています。ついては、どなたか責任のある方にご同行いただきたいと承っています」


「それでは自分が――」


 興津が名乗りでようとしたが、儀堂が制止した。


「いや、俺が行く」


「司令がですか?」


 興津が目をむき、ローンも意外そうな顔で応じた。


「ローン大尉、<大隅>の嘉内中佐へ報告を上げたかい?」


「ええ、部下を使いに出しています」


「それならいい。では案内してくれ」


 彼の声には、ほのかな疑念が滲んでいた。アテネが混乱に陥る中、日本人が検問に引っ掛かるのはあまりにも不自然だ。それに英国軍の依頼を無下に断る理由もない。


「副長、ここを頼む」


 興津が頷き、儀堂は静かに艦橋を降りた。


◇========◇

月一で不定期連載中。

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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