幕間(interlude) 1
【ギリシャ】
1941年より現在
ギリシャは夏へ向けて助走していた。乾いた熱風が地中海から撫でつけ、オリーブとブドウを追い立てるように実らせている。やがて収穫され、油やワインとして市場を賑わせることになるだろう。
BC世紀ならばオリュンポスの神々へ捧げられた供物だが、今は十字架のイコンへ集約されている。いずれにしろ有史以来、数千年にわたり再生されてきた信仰の情景、培われてきた風習だった。
もっとも、その手の風習はここ数年は途絶えがちになっていた。理由は単純でBMと魔獣により、それどころではなかったからだ。
ただ一つ断るのならば、中東欧諸国の中でもギリシャは恵まれていた方だった。出現したBMの大半はバルカン山脈沿いで、ギリシャ本国から遠く離れていた。そのため魔獣の被害も比較的少なかった。
ギリシャにとっての問題はむしろ人間の方にあった。
BMが出現した当時、1941年のときギリシャはイタリアとドイツの占領下にあったのだ。
そもそも始まりは1940年だった。統領ムッソリーニの命でイタリア軍がアルバニア経由でギリシャへ侵攻した。ムッソリーニはそれらしい大義を打ち立ていていたが、つまるところヒトラーに対する当てつけであり嫉妬心からだった。
ムッソリーニの認識では自身はファシズムの開拓者であり、旗手として率いる側にいるはずだった。そしてイタリアは自立した国家であり、ドイツの介護を必要としない。
前者に関しては部分的に真実だった。ヒトラーがドイツの政権を掌握するまで、確かにその通りだ。
後者に関しては著しい誤解があった。イタリアは独立こそしていたが、自立ははなはだ困難だった。鉱物資源に乏しく石油とは縁のない植民地、満足に自足できるのは食料ぐらいだった。その食料も外国からの化学肥料に頼らなければ心もとない。
あるいは平和な世の中ならば取るに足らない妄想で済んだかもしれない。
しかしムッソリーニは戦争を望み、バルカン半島を戦火に晒した。
イタリア軍のギリシャ侵攻は41年の10月に始まった。占領下のアルバニアより10万のイタリア軍が雪崩れ込んだ。対するギリシャ軍の兵力は5万に過ぎない。
結果、イタリア軍は苦戦した。圧倒的な兵力差を鑑みれば、敗北と呼んでいいのかもしれない。
いくつか原因はある。投入した兵士の大半が新兵だったこと。アルバニア―ギリシャ間の地形が山岳部中心で進攻に不利かつ防戦に有利だったこと。そもそもイタリア軍の準備が不足していた。時期的に冬の到来が間近だったのにも関わらず、彼らは十分な防寒装備をもたなかった。
加えて誰よりもムッソリーニは戦争を舐めていた。近代国家を滅ぼすために必要な頭脳と組織、そして装備も彼の手元にはなかった。
彼の地図上では線を引くようにイタリア軍の剣先がアテネを突く筈だった。しかしそれは年を超えても実現できそうになく、完全な妄想だった。
最終的にイタリアはドイツの介助を必要とした。近代戦においてイタリアは自立して軍事行動をとることはできなかった。
ただ敢えて弁護するならば、軍に求められる最低限の能力は彼らも有していた。同じく41年にローマの近くに黒い月が現れたとき、大きな犠牲と引き換えに撃ち落としている。国防の使命に殉じ、彼らは最高の戦果をあげた。
40年のイタリア軍が対峙したギリシャ軍も同様だった。寡兵にも関わらず彼らは守り、戦い、生き延びた。
しかしギリシャ軍の防衛線もついに抜かれてしまった。ドイツ軍はギリシャ北部と東部の二方面から侵攻してきた。イタリア軍よりも充実した装備と数十万の兵力、卓越した練度と士気を保っていた。
決定的な違いとしてドイツは他国を滅ぼすことに手慣れていた。恐らく同時代において、同様の経験を豊富に有していたのはドイツのほかにソ連ぐらいだろう。
イタリア相手に善戦したギリシャ軍も戦車と爆撃機の前には無力だった。同地には数万のイギリス軍も駐留していたが、彼らは戦いの主導権を握ることはできなかった。
41年の4月には完全に防衛線が崩壊し、同年6月にギリシャは地図上から消滅した。ムッソリーニが望んだ結果だが、その地図は一色ではなく二色に塗られることになった。ギリシャ東部はイタリア、西部はドイツに彩られた。
ギリシャはオスマントルコに続き、イタリアとドイツによって滅ぼされた。ギリシャ人たちは少なからず天を仰いだ。トルコの時は解放まで数百年かかった。次はいつになるのだろうか。
さてそれから6年後、ギリシャは復活した。
皮肉なことにギリシャの復活を助けたのは、41年末に出現したBMと魔獣だった。ギリシャは両者の惨禍を比較的免れることができた。先述した通りバルカン山脈に現れたBMはギリシャ本土から遠く離れていた。
対称的だったのはドイツとイタリアだった。それぞれ本国にBMが現れ、無数の魔獣によって蹂躙されていた。
特にドイツは数年にわたり、苦難の道を歩むことになった。ドイツ軍の主力は対ソ連戦に投入され、容易に呼び戻すことができなかった。追い打ちをかけるようにヒトラーが亡くなり、政府中枢は混乱した。
イタリアはローマBMを倒したことで早期に混乱を収束できたが、占領地まで手が回らなかった。ギリシャに駐留していたイタリア軍はバルカン山脈から漏れ出た魔獣への対処を迫られた。彼らは小火器しか持たず、自分の身を守るだけで精一杯だった。
42年、ついにギリシャを占領していたイタリア軍は逃げるように自主的に本国へ戻っていった。ドイツ軍はかろうじて踏みとどまったが、同年末にはギリシャ西部からブルガリアへ撤退を完了させた。両国とも自国の防衛を優先しなければいけなかった。
ほどなくしてギリシャでは臨時政府が立ち上がり、地図上にギリシャが蘇った。
46年の今、ギリシャは新たな岐路にされつつあった。
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弐進座
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