喪失第一号(Lost No. 1) 10:終
クラウスは事態を素直に飲み込めず、絶句していた。
先ほどまでエリーゼを名乗っていた女性は執務机に腰かけた。
「二人とも座ったら?」
適当に席を勧められ、ひとまず座る。レールネは立ったままだ。
「あなたがヴェッティン伯?」
「そうだよ。僕がヴェッティン伯だ。驚かせてごめんなさいね。少し君たちをからかってみたんだけど、お気に召さなかったみたいね」
ようやく事態を把握し、クラウスは少し余裕を取り戻した。
「あのSS将校はいったい誰だったのですか」
「ああ、あれはそうだな。いわば私の身代わりのようなものさ」
「なるほど。彼には気の毒なことをしました。しかし、どうかご容赦を。レールネは我々人類と異なる習慣で生きているのです」
口先で謝りつつも、声に感情はこもっていなかった。その悪びれもしない態度をかえってヴェッティン伯は気に入ったらしい。
「我々人類と異なるねえ……確かに、少し気難しいみたいだね。ああ彼の気にしなくていいよ、人が死ぬなんて珍しくもないことでしょ? 特に今のご時世はね」
平然とヴェッティン伯は言い放った。
「レールネちゃん、そろそろお座りなさいよ」
レールネは無言のまま少し離れた椅子に座った。エリーゼの豹変ぶりに警戒しているようだった。クラウスも同様とまではないが、気を許すことはできなかった。
ヴェッティン伯は机のベルを鳴らすと、外に控えていた侍従が入ってきた。
「コーヒーを。クラウス君は何か強いものがいいかな。シュナップスならあるよ」
「私もコーヒーで」
「遠慮はいらないのに。まあいいや。レールネちゃんは?」
無言のレールネに代わりクラウスが答える。
「彼女は何か甘いものがあれば、それで満足です」
レールネに睨まれたが、いつものことだったので無視した。ほどなくして焼き菓子と飲み物が運ばれてくる。
「今日二人に来てもらったのはほかでもない。僕は月鬼がほしい」
レールネをまっすぐ見ながらヴェッティン伯は言った。
「閣下、それは出来ない相談ですね」
思わず苦笑が混じる。内心では何かの冗談かと思っていた。
「そうかな。僕はヒムラー君の許可を得ているのだけど?」
「それは──」
さすがに苦笑を消さざるを得なかった。
ヒムラーは親衛隊の全国指導者で、クラウスにとって最上級の上官にあたる。かつてヒトラー政権下では側近として圧倒的な権勢を誇っていた。しかしBM出現後の混乱期に精神が衰弱し、最近はもっぱら片田舎の古城で怪しげな儀式に没頭している。
今や親衛隊の実権はヒムラーからラインハルト・ハイドリヒに移っているが、無視できない名前ではあった。
「そんな顔をするなよ。レールネちゃんがほしいってわけじゃないのさ。僕は君らに新しい月鬼を手に入れてほしいんだ」
話の主旨がわかり、クラウスは警戒度を少し下げた。
「我々に、その協力を?」
「そう、その通り。君らは苦しい立場にいるって聞いたよ」
いったいから聞いたのだろうか。名前の候補がいくつか挙がる。事実としてクラウスとレールネは謹慎状態におかれていた。原因は地中海の戦闘行為について、ドイツ海軍から抗議を受けたからだ。
極秘任務のため二人はUボートに乗艦、<宵月>を追っていた。しかし途中でレールネが暴走し、友軍のUボートを乗員もろとも吸収してしまった。その後レールネは<宵月>とネシスに戦闘を仕掛けるも敗れ、クラウスはレールネともども脱出せざるを得なかった。
帰還後Uボートの喪失を巡り、親衛隊はクラウスに責任を押し付けた。同時にレールネの存在を快く思っていないグループによって糾弾され、今日まで二人とも軟禁状態に置かれていた。
「君らの窮地を僕が救ってあげるよ。必要な装備と人員は用意する。だから、レールネちゃんのお友達を一体見繕ってきてくれないかしら?」
「友達ですって?」
レールネがいやそうな顔で何かを言いかけたが、クラウスが目で制止する。
「それは魅力的な提案ですね」
「そうでしょう?」
ヴェッティン伯は無邪気な笑みで肯いた。もともと器量の良い顔立ちだったため、独特の魅力を放つことになった。しかし不思議なことに女性的な魅力とは異なっていた。街角の子どもから微笑みかけられたような、安心感に似ている。
「では早速だけど準備が出来次第、あなたたちは南欧に行ってくれないかしら?」
「南欧、そこに月鬼の手がかりが?」
「手がかりも何もあそこにはいっぱい実がなっているでしょう。黒くて大きな、空に浮かんだ実がね」
遠回しな言い方だが、クラウスには何を指しているかわかった。
「BM、確かにバルカン半島にはいくつかありますが……」
バルカン半島には複数のBMが浮かんでいた。それらは北米のBMよりも規模は小さく、活動も不活発だった。
「そうでしょ。どれでもいからBMから月鬼を採取してきてほしいの。もちろん生きたままで。どう、引き受けてくれるかしら?」
答える前にクラウスはレールネを見た。そっぽを向いている。
「一度、ベルリンに戻ったうえで上官と相談しても?」
失望するかと思ったが、エリーゼの表情は変わらず明るさを保っていた。
「もちろん、いいよ。だけど、あまり無駄なことはしないほうが良いんじゃないかな」
「それはどういう意味ですか?」
「だってハイドリヒ君とスコルツェニー君には既に話は通しているからね」
「それは──」
なるほど初めから選択肢はなかったのだ。クラウスは少し徒労感を覚えた。何のために自分はこんな田舎まで来たのだろうか。彼の無言の不満に対して、エリーゼは回答を寄越した。
「君らをここに呼んだのはレールネちゃんに会いたかったのと、私のお願いを聞いてもらえそうか確かめたかったからだよ。僕は何事も自分の目で確かめないと気が済まないんだ。ちゃんと良い仕事をしてくれるか、本物かどうかをね」
ヴェッティン伯は執務机の磁器を指ではじいた。硬質で済んだ音が室内に響き渡った。
「それで、受けてくれるよね?」
◇
アルブレヒト城を去った時、クラウスは抱えきれないほどのお土産を持たされていた。それらを迎えのワゴンに詰め込み、夕暮れのマイセン市街を走り抜けていく。
後部座席の隣でレールネがビスケットの缶を大事そうに抱えていた。
「よく我慢できたね」
クラウスに褒められ、レールネは怪訝そうに首を傾げた。
「どういう意味?」
「てっきり本物のヴェッティン伯も食べてしまうんじゃないかと思っていたよ」
「あのときは、おなかいっぱいだったの」
「へえ、そうなんだ」
出された焼き菓子を全て平らげていたが、触れないことにした。
「それに、あんなの食べたらおなかを壊してしまうわ」
嫌悪感を露わにしていた。何がそんなに気に食わないのか、クラウスにはわからなかった。
「あなた、あの人に従うの」
問われてクラウスは心の中で身構えた。
「そうだけど君は嫌なのかな?」
探るように顔を覗き込むが、先ほどの険しい表情は消えていた。
「別に。暇つぶしにちょうどいいじゃない」
レールネはあっけないほどに了承してくれた。思わずじっと見ていると再び険しい顔で睨み返してくる。
「なに?」
「いや、意外だと思ってね。君のことだからネシスを追いかけたがるんじゃないかと思ったんだ」
「無理よ。あの戦いで私も疲れたの。それに、今ネシスはどこにいるかわからないじゃない」
「おや、この前話さなかったかな。彼女ならアレキサンドリアにいると報告を受けたよ。<宵月>が停泊しているらしい」
「知っているわ。だけど、そういうことじゃないの」
それだけ言うとレールネはつまらなそうに窓の外へ視線を移した。
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月一で不定期連載中。
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
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