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海獣(cetus) 13


 落下まで数秒しかなかった。視界が鮮明になったことに儀堂は気づいていた。<ターター>の衝撃で<宵月>のBMが解かれたのだ。


 直感で、儀堂はネシスの危機を悟った。恐らく意識を失っている。。


「ネシス!」


 あらん限りの声で、儀堂は叫んだ。


「ネシス!! <宵月>を守れ!」


 禍津竜の顎が、すぐそこまで迫っている。砂地獄のような食堂が見えた。


「ネェエエエシィイイイスゥウウウウウ!!!」


 怒鳴り声が艦橋内に響き渡り、誰もが耳を塞ぐ、


 直後、間一髪で<宵月(ネシス)>がBMを展開し、鋼鉄の月は舞い上がろうとした。


 しかしながら、僅かに遅すぎた。


 禍津竜は鯨のごとく海上から身をせり出し、<宵月>を丸ごと飲み込んでしまった。



 <宵月>の姿が竜に消えた時、海上でにいる誰もが然るべきを言葉を見つけられずにいた。海に浮かぶ五芒星の方陣上を、爆音がフライパスしていく。


 戸張は烈風を駆りながら、一部始終を見ていた。


 一面を覆っていた禍津竜の黒い影が、どんどん小さくなっていくのがわかる。恐らく海底へ向けて沈降しているのだろう。


「いやぁ、えらいことになっちまった……」


 一部始終を見ていた戸張が的確な感想を添えた。



 禍津竜に飲まれた<宵月>は、青白い回廊を一気に抜けていった。誰もわからなかっただろうが、そこは禍津竜の食道にあたる。その先に進み、たどり着いたのは胃袋だった。


 <宵月>は禍津竜の腹に収まると、そのまま空中待機(ホバリング)を保った。どうやら禍津竜の胃袋は規格外らしい。<宵月>が飛行できるほどの大きさだった。


 すぐさま儀堂は興津に被害状況の確認を行わせた。不幸中の幸いと言うべきか。ネシスがBMを展開していたおかげで、<宵月>は大したダメージを食らわずに済んでいた。海上に放り上げられた衝撃で何名かが海に放り出さていたようだが、戦闘に支障はない。


 だが、控えめに見ても状況は悪化している。


『ギドーよ……』


 ネシスのかすれ声が鼓膜を震わせた。明らかに弱っているのが分かった。自然と儀堂は覚悟を固めて尋ねた。


「ネシス、状況は分かっているな。俺たちは、あのクソ這い虫の腹の中にいる。どうにかして外に出たい」


 答えの代わりに、荒い息づかいが耳当て(レシーバー)から漏れてくる。


『それは、ちと難しいやもしれぬ。こやつ、妾の霊気を吸うておるのじゃ』


 大祓でため込んだ魂を解放され、禍津竜は飢えていた。空腹の帳尻を合わせるために、ネシスから力を吸収しているらしい。


『妾も……長居は、したくない。さりとて、このまま……奴の口を突いてでるほど力は出ぬ……』


 ネシスは息も絶え絶えになってきた。このまま手をこまねいているわけにもいかない。儀堂の決断は早かった。


「ネシス、無線ではなく念話に切り替えろ」


『承知した……』


 頭蓋にネシスの声が響く。


「俺の血を飲め。シカゴのときのように、お前は力を得ることができるだろう」


 シカゴで月獣と戦ったとき、ネシスは儀堂の血を得て、大規模な魔導を行使することが出来た。


『はっ、なるほど』


 儀堂の企みに気づき、ネシスは微笑した。


『御調に聞かれぬためかや。あの生娘(むすめ)、小うるさいからのう』


 儀堂の意向を知ったのならば、御調少尉はたちまち反対するだろう。月鬼に血をやるのは、あまりにもリスクが大きすぎた。


 月鬼(ネシス)に吸血されることで、自我の境界があやふやになるらしい。最終的には、ただの繰り人形になってしまう。


「お前に噛まれずとも、注射やナイフで手を切るなりして採血はできるだろう』


『駄目じゃ……』


 ため息交じりにネシスは否定した。


「なぜだ? 今は四の五の言っている場合じゃないんだ。ここを──」


『とにかく、おぬしの血を飲むことは出来ん。それに飲んだところで無駄じゃ。すぐに禍津のやに吸われてなくなるぞ』


「……わかった」


 引き下がったものの、儀堂は諦めるわけにはいかなかった。こんなところでくたばるなんて真っ平ごめんだった。


「いっそのこと<宵月>の兵装を全力でぶち込んで、どこかに穴を開けるか」


 呟いた後で、儀堂は首を振った。俺はいったい何を言っている。これじゃまるで戸張みたいじゃないか。


『司令、意見具申をよろしいでしょうか』


 耳当て(レシーバー)から御調が問いかけてきた。


「許可する」


 儀堂は先ほどの企みがばれたかと思ったが、御調は凛とした声のまま続けた。


『ネシスのBMを解除してはいかがでしょうか。私の見立てでは、BMが原因で彼女の霊気が吸い取られています』


「なに? ネシス、それは本当──」


『そやつの言う通りよ』


 儀堂に聞かれる前に、ネシスは肯定した。


『禍津め、妾の術式から霊気を吸うておるのよ』


「なぜ、黙っていた?」


『良いのか? 妾が結界を解くや、おぬしらは瘴気に侵されることになるぞ』


 BMの外は有毒ガスに満たされているらしい。


「瘴気……魔獣どもを生み殺していたやつか」


 酸鼻極まる光景がフラッシュバックする。禍津竜の体内で産み出され、溶かされた魔獣たちの残骸が網膜に焼き付いていた。


それだけではない(・・・・・・・)。とかく、ここの気は生けるものを障り、祟るのじゃ。妾が結界(BM)を解くや、おぬしらを犯すであろう』


「窓を閉め切っていてもか?」


『それは……』


 ネシスは口ごもった。


『多少は持つかもしれんが──』


「解け」


『しかし──』


「いいから、やれ。人間を舐めるな」


 念を押す儀堂に、ネシスは弱弱しく微笑んだ。


『はは、駄々っ子のような言い草じゃ』


「俺の命令まで待てよ」


 儀堂は喉頭式マイクのスイッチを入れた。


「各員へ告げる。気密を保つため、外気を徹底的に遮断せよ。外へ続く扉、窓も通風口も全て塞げ。念のため水密扉を閉じておけ。これからBMを解除する」


◇========◇

毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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