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獣の海 (Mare bestiarum) 17

「すみません。見た奴が言うには、すぐに姿を消したらしいんです。本人は幻覚だったかもしれないと」


「いずれにしろ、問題だぞ。誰だ?」


 仮に幻覚とするなら、冗談を抜きで医者に見せる必要がある。潜航中に発狂でもされたら、たまったものではなかった。


「カールです。ただ俺には、あいつが幻覚を見たとは思えないんです。あいつは、まともです」


 フラーはむきになっているようだったが、ハインツも否定できなかった。カールはベテランで、問題を起こしたこともなかったからだ。


「他にも、あの少女に関しては不気味な話をちらほら聞いています」


 フラーの言うことに、ハインツも心当たりは合った。ただし、今はまずい。この手の話は艦長室で行うべきだった。やはり、まだフラーは青年としての一面を残していた。そう思ったところで、そもそも魚雷の話を始めたのは自分自身だとハインツは気が付いた。


──こいつは減点だぞ、ハインツ。


 自戒を込めてハインツがフラーの話を切り上げようとしたとき、聴音室のカーテンが開けられた。


「艦長……」


 青い顔をしたロットマンだった。彼もドイツ海軍に青春を捧げることになった青年の一人だった。すぐにハインツは聴音室に歩み寄った。


「どうした?」


「歌が聞こえます。自分はおかしくなったかもしれません」


 ロットマンは、かすれた声で答えた。


「歌だと……」


 ハインツは絶句しかけたが、ロットマンの正気を保たせる方が先決だった。


「ロティ、大丈夫だ」


 ハインツはロットマンの肩に手を置いた。


「いいか、お前が聞いたまま話せ。俺は信じよう」


「最初は囁き声のようで、自分の気のせいかと思っていたんです。そのうちすすり泣く様な声に変わって、そしたら今度は、その……」


 ロットマンはつばを飲み込み、ためらいがちに続けた。


「誘われたんです」


 さすがのハインツも訝し気に首を傾げざるをえなかった。


「すみません。何というか、こっちへ来いと誘われたような妖しい歌声でした。自分は、その、何をやっているのかわからなくなって、ただ歌声に引き込まれたんです。まるでセイレーンのように……そしたら、いきなりです」


 ロットマンは、かっと目を開くと額に何重もの皺を作った。


「叫び声に耳を引き裂かれ、我に返りました。唸るような、嘆くような、怒っているようにも聞こえました。とにかく、それで艦長を呼ぼうと……やはり、自分はおかしくなったのです」


 じっと話を聞いていたハインツは、ロットマンの怯えた目を正面から見据えた。


「歌は、まだ聞こえるのか」


 ロットマンは、ゆっくりとレシーバーを耳に着けた。


「……いいえ、聞こえません」


「そうか。わかった。次はすぐに知らせてくれ」


 聴音室のカーテンを閉じると、フラーがこちらに目を向けていた。


「どうします? ブルーノを呼びますか」


 暗に聴音員の交代を示唆している。妥当な措置に思えたが、ハインツは納得できなかった。ロットマンは若いが、目立ったミスはしてきていない。それに出港してから、さほど日が経っていない。疲労によって、判断能力が低下しているとも考えにくかった。


「少し待て」


 ここは魔獣の海だ。もしかしたら、未だに自分が知らない新種の仕業かもしれない。しかし、それを証明する手立てがなかった。


「この海域を離脱しよう」


 嫌な予感がする。


 あのSS大尉も目的は達したと言っていた。ならば、留まる必要もない。それに英国の船団も気になっていた。いずれ、この海域を船団が通過するだろうとハインツは考えていた。すると<U-219>は通過するまで、じっと海中に身を潜めなければならなくなる。


 実のところ、ハインツの認識は誤っていた。船団本隊は<宵月>からの電文で、とっくに針路を変えている。しかし、この時のハインツは知る由もなかったのだ。


「電池群直列。両舷機全速だ」


「ヤー」


 船体後方からモーター音が響いてきたとき、司令塔に来客が訪れた。クラウスだ。奇妙なことにレシーバーと喉頭式マイクを装着している。


「ああ。これはちょうどよかった」


 声量を抑えないクラウスに、さすがのハインツも苛立ちを覚えた。


「なにかね? 見ての通り、こっちは忙しい」


「いえ、ちょうど、この艦を動かしてほしかったのです」


「そうか。お互いの意見が一致してよかった」


「ええ、歌声の主へ向かってください」


 ハインツは我が耳を疑ったとき、再び聴音室のカーテンが開いた。


「艦長、また歌が聞こえます。いや、違う。それだけじゃない。これはアスディックです! ピンを撃たれました!


「畜生! 両舷機停止! 注水急げ」


「艦長、それはいけません」


 クラウスは、喉頭式マイクに手を当てていた。ついにハインツは我慢できなくなった。


「黙っていろ!」


 クラウスの怒鳴り声とともに、<U-219>が大きく揺さぶられた。


 爆雷攻撃を受けたのだ。



◇========◇

毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

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