表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

364/469

獣の海 (Mare bestiarum) 7

 エレナの父、オスカーと知り合ったのが、いつだったのか覚えてはいない。加えて関係性も記憶になかった。オロチの部下だったかもしれない。あるいは極めて確率は低いが、上官であっても不思議はなかった。彼女の父親は能力的に非常に優れたユダヤ人だった。


 数年前、オロチは負傷し、命の境を彷徨った。その際、彼を見捨てずに治療したのがオスカーだ。朦朧とした意識が回復したとき、オロチは一隻の船倉に横たえられていた。


「どこ……だ、ここ、は?」


 たどたどしいオロチの第一声にオスカーは答えた。左頭部を包帯に巻かれていたため、視界が半分塞がっていた。右半分の視界に無精ひげの生えた、ひどく疲れた顔の西洋人が入ってきた。それがオスカーだった。


「アーネンエルベの船だ。予定が変わったんだ。ドイツ本国へ向かう」


 オロチは、しばらく考えた後で続けた。


「あなたは、誰だ?」


 オスカーの表情が凍り付いたのがわかった。


「目が見えていないのか?」


「いいや、見えている。覚えがない」


「それは……私は、オスカーだ」


 オスカーは自身の名前を告げた。オスカーはオロチの境遇について知る限りのことを教えてくれたが、いったい何者なのか教えてくれなかった。どうやら記憶を失う前のオロチは、オスカーに対して必要最低限の情報しか伝えていなかったのだ。


 ただ、ひとつはっきりとしていることは、オスカーたち家族に対して大変な貸しを作っていたということだった。


 オロチがいなければ、オスカー家は収容所で一生を過ごすことになっていたらしい。オスカーがオロチを助けたのも、借りを返すためだった。彼はユダヤ人らしい矜持をもって、人生の帳尻を合わせようとしていた。オスカーの死後、その矜持は娘のエレナにも受け継がれている。


「ウラ、どうかしましたか」


 追想からエレナが呼び戻すと、オロチは「なんどもない」と答えた。思えば「タジウラ」という名前も、本物かどうか定かではなかった。果たして自分が本当に存在する人間なのか、オロチはときどき疑問に思うことがあった。ときどきどこかのフィクションの登場人物のように思えることすらあった。


 自分の存在を証明するものを、何一つオロチは覚えていなかった。日本人であることは確かのようだが、なぜドイツに身を寄せるようになったのか、なぜ記憶を失うことになったのか全くわからなかった。


 エレナの家で過ごしたのは、五日ほどのことだった。束の間の休暇は唐突に終わりを告げた。司令部から招集命令が下ったのだ。行先は告げられなかったが、さぞや剣呑な地なのだろうと思った。


「急なことですまない」


 荷物をまとめ、オロチは言った。


「必ず帰ってきてください。待っていますから」


「ああ、わかった」


 エレナに送り出されながら、オロチは深層部分で後ろめたい安堵を感じていた。帰る場所があることに対してではない。表立って伝えてきていないが、エレナから好意を寄せられていることはわかっていた。しかし、オロチは彼女の心に応えることができなかった。年が離れすぎていたこともあるが、何者かに対する裏切りになるように感じていた。



 アドリア海を横断し、対岸のアルバニアを視認できたのは昼頃のことだった。寄港予定の港へロレンツォは双眼鏡を向けた。


 ロレンツォの眉間にどんどん皺が寄っていくのが分かった。双眼鏡などなくともオロチには、何が見えているのか察しがついた。


 港からいくつも煙が立ち上っていたからだ。どす黒い、人工物が燃焼する煙だった。


「狼煙の類ではないだろうね」


 オロチが呟くと、ロレンツォは肯いた。


「ウラ、悪いが予定は変更だ」


「かまわないよ。どこか適当な場所で降ろしてくれ」


「いや、上陸地点は変わらない」


 ロレンツォはそう言うと、ストレージから円筒状の装備を取り出した。パンツァーファウストだった。親愛なる同盟国からの贈り物だ。


「ちょいとばかり、時間が遅れるだけだ。ところで、こいつの扱いは分かるな?」


 ロレンツォがパンツァーファウストを掲げると、そのままオロチに手渡した。


◇========◇

次回3月7日(月)に投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現のために応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「TEAPOTノベル」でも応援よろしくお願いいたします。

もし気に入っていただけましたら Twitter_logo_blue.png?nrkioytwitterへシェアいただけますと嬉しいです!

お気に入りや評価、感想等もよろしくお願い致します!

ツギクルバナー cont_access.php?citi_cont_id=681221552&s 小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ