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魔力というものが明確に何かはわからない。少なくとも公也が暴食にて喰らうことで得る生命力とはまた別物であるのは間違いないだろう。増えるのも保有量ではなく貯蔵できる最大値の増加であり、そういう点でもやはり判断は難しい。公也の場合暴食で魔力そのものを食らうことができれば少しは理解できるかもしれないが、残念ながらそれは現状の公也では不可能である。
さて、重要なのはそこではない。魔法とは何か、だ。魔法とは魔力を使い世界あるいは法則の改変を起こし、魔法を使う者が望む現象を引き起こす力である。分かりやすい例でいえば、公也が起こした火の魔法。そもそも火というものは燃える物質、物が燃えるのに必要な熱量、燃焼を起こすのに必要な酸素がなければならないという現象である。それが空中に起こるということは基本的に……ありえないとは言わないが、普通は起こり得ない。何故ならば燃える物がそこに存在しないから。そもそも魔法を使う上で火を発生させるための熱量はいったいどこから来たのか? そういう点で色々と疑問点が出ることだろう。
魔法は魔力を必要な要素の代替として扱う。火ならば、熱量、燃える物質、酸素の代替としてその炎を生み出す際に魔力を代替にできる。ゆえに魔法の炎を使う場合、使い方次第では周囲の酸素を消費しないこともできる。これは閉鎖的な空間で二酸化炭素の発生を起こさず明かりとして炎を使えるという利点があるだろう。燃える物質がなくとも炎を使える、これは発生場所を選ばないという利点もある。やり方次第では、火を無造作に物質の上に置き熱量を発生させるだけのものとして扱うこともできる……まあ、その場合熱量で自然に発火してしまうかもしれない。
そういった要素を持つが、魔法が触れた際、魔力で代替していた内容はその触れた内容に移ることもある。火ならば分かりやすい。完全に魔力で生み出したが、酸素の供給を魔力で代替すると常に魔力を消費する、燃焼物も、熱量もまたそうだ。しかし物に触れると……例えば木々に触れると魔力を使わずとも木を燃焼物にし、そこから生まれた熱量が炎を維持するだろう。酸素も常に周りに存在する。そもそも魔法として放たれ魔法を使っている人間から大きく離れた時点で殆どの場合魔力が届かず供給が成されない。ゆえにその魔法が効果を発揮する時点で魔力が代替としていた要素を補えるようにならなければ魔法は消えてしまう……いや、仮に魔法が使われた後、その効果が代替となっていたものを補った場合、それは既に魔法ではなく、魔法で起こした現象そのものとなるだろう。つまり魔法とは魔力で構築した現象であり、それにより実際の現象を起こすための代物である、ということになる。
もっともこれは火だからわかりやすい事例となるだけで、物質的な水や土となると難しくなるだろう。魔力で水を生み出した場合、それは一時的に水として存在するが魔力が物質の代替となっており、水を構成し維持するための魔力がなくなれば消えてしまう。だが、火を消すための一時的な使用はできるし、空気中の水分を集めることで出来た水は消えない。ほかにも水ではなくその水による熱量を奪う効果、あるいは氷などの冷気をもたらす効果……まあ、こちらも厳密には熱量を奪うといってもいいかもしれないが、そういった効果は残る。土も作るのではなく集める形にすれば、それは形として残る。そもそも土の場合は物理的な効果をもたらすほうが強く要求されることだろう。
「……複雑な魔法ほど、魔法への理解はいる。だけど理解せずとも、魔力さえあれば無理やり変換はできるわけか。だから魔力総量が多ければそれほど気にせず魔法を使える……生物すべてが魔力を持ち得るが、魔法を使える人間とそうでない人間がいるのはそういう理由から、か」
一般的に魔法使いが使っている魔法ですら魔力効率は決していいと言えるものではない。そのため魔力が少ない人間……つまりは大多数の人間は魔法を学んでも魔法を使えないこともある。簡単な魔法ならばまだしも、多くの魔法使いに望まれるような規模の大きい強力な魔法、重大な効果をもたらす魔法はまず扱えない。せいぜい簡単に明かりを作ったりする程度だろう。
逆に、魔力総量が大きい人間ならば、魔法を学ばずとも魔法を使うことができる。魔力さえ高ければ望む現象を引き起こすために、必要な魔力を必要なだけ流し込めばいい。変換も、物質も、現象も、必要なすべての要素を魔力で補えるからだ。ゆえにそういった魔力総量の大きい子供は幼いころから無意識的に周囲へ被害をもたらすような魔法を使用することもある。大人でも、感情が高ぶった時に漏れ出る反応となり得ることがある。特に魔法を学んだ人間の場合、感情的に動けばより被害は甚大となり得るくらいに周囲に影響が出るだろう。
公也の魔力総量はそれなりに大きく、まだ魔法使いとしてかなり上の方にいるが度を外れて極端に大きい、というわけではない。ゆえに公也が魔法を使う場合は魔法をきちんと学んでいるほうがいい。それでも、ある程度は無理やり魔力で引き起こせる。一度はできてもその後別の魔法を、とはいかないかもしれないが。きちんと学べば無理やり使う必要性はない。まあ、学ぶといっても経験的にやり方を模索していくのが主題となる。今ここに公也に魔法を教える人間はいない。彼の魔法は最初に食らった魔法使いの女性の知識を参考にしているに過ぎない。彼女の魔法を参考にしているに過ぎない。個々の適正、向き不向き、使い方の最適化、様々な点を考えると教師がいた方が都合がいいのだが、残念ながらそのような者はいないのが現実である。
「魔法、もう少しどうにかうまく使いたいな……」
火の魔法、風の魔法、水の魔法、土の魔法、雷の魔法、光の魔法、闇の魔法、木の魔法、時の魔法、空の魔法。様々な現象、概念、法則、色々な自分の知識を参考に魔法を試す。この世界に存在する様々な現象は魔法にて発生させることができる。問題はそれに必要な力、必要な魔法の情報、そういったものを試しながら確かめていく。知識にはないものも、試す。様々な可能性を創作から持ち出して、試す。できないこともあるし、出来ることもある。そういった全ての要素を公也は確かめていく……まあ、そのすべてを一度に試すことはできないが。
いくら公也の魔力総量が高いといっても、一度に何でもかんでもすべてを試して把握できるほどのものはない。そもそも、研究というものはたった一日ですべてを終えられるほど楽なものではない。
「ふう……やっぱり、きついな」
魔力の消費は公也と言えども、結構な苦労はある。そしてそういった精神的な消耗はやはり本人に対して影響を与える。一応もはや様々な要素で人外じみているものの、彼もまた普通の人間……だった存在だ。肉体はともかく、その精神を補うものは流石にない。精神力は他者を食らっても変わらない。暴食とてすべての要素を育てるわけではない。なんだかんだで、利便性は高いが同時に不便であるものであり、万能なものではない、ということだ。
※魔力の万能性チート。魔力さえあれば大体何でもできる。ただし生命に取り込まれている前提はあるかもしれない。ある意味大本の世界設定、生霊力、希世力の大本の世界の元となる力が関係している……のだろうか? 少なくとも存在力とは別ベクトル。この世界では大本の世界を構築するはずの力に立ち戻るということだろうか? 設定に関する疑問はともかく魔力は万能性の高い燃料である。
※魔法で起こす現象に対する理解の度合いによって消費魔力が変わる。変換する内容への認識の差。それ以外にも魔法への慣れ、変換式の効率、相性、様々な要素で魔法の威力や消費魔力の変化が起こる。それでも魔力総量が大きくないと魔法は使えない。