12
ガンガンガン、と力強く扉が叩かれる。ノックにしてももう少し静かにできないのか、という音だ。その音にフズが鳴く。
「カアッ!」
「何すか……もう、少しうるさいっすよー」
フズの鳴き声は警戒音ではない。少なくとも危険な存在、敵であったり害意のある存在ではないのだろう。なのでフーマルは外にいるのが誰か気にせず扉を開ける。目の前に小さな人影が現れる。
「フーマル」
「ヴィローサさん? えっと、何の用っすか?」
そこにいたのはヴィローサである。ただ、ヴィローサだけという珍しい光景だ。
「あれ? 師匠は?」
「キイ様なら今はいないわ。少し用事があると言って出かけて行ったの。特に決めてはいなかったけど、キイ様が出かけるから冒険者ギルドに言ってお仕事はお預け、お休みですって。わかった?」
「ああ、そうなんすか……」
どうやら公也は外へ出かけて行ったらしい。そのため本日のお仕事はなし。こちらに来てちまちまと休みをとったり仕事と休日のバランスを探っていたが、珍しく公也がいないという形で休日になったようだ。しかし、フーマルは違和感に気づく。
「……あれ? ヴィローサさんは師匠についていかなかったっすか?」
普段ヴィローサは公也の行動、行き先を気にしてついていく。離れることはせず、ずっと一緒、そういってもいいくらいに常に側にいる。まあ、本当にずっとそばにいるというわけではないが、それでも可能な限り側にいるようにしている。
「キイ様はね、今日はついてきたら駄目だ、って言ってたのよ。私だって行けるものならついていくわ。こんなふうにフーマルにわざわざキイ様がいないって伝えに来るようなことなんかせずにね。なんでフーマルの相手をしてないといけないの? ねえ?」
「い、いや、それを俺に聞かれても……っていうか来ちゃダメって言われてなかったら俺ここに何も知らず置いてかれたっすか!?」
「キイ様が何をするかくらい知ってなさいよ。ああ、いや、知らなくていいわ。キイ様のことは私だけが知っていればそれでいいし」
「……えっと、それで師匠はどこに?」
「さあ。知らないけど……でもあまり長くはかからないと思うわ。勘だけど」
「はあ……」
「私は部屋にいるから。用事なんてないだろうけど、何かあるなら呼びかけなさい。流石に一人で外に出ると面倒ごとが多いしね」
ヴィローサは妖精であるため一人で外に出ると捕えて売り払おうという人間がいないでもない。妖精は種族的には微妙な扱いで、誰かの所有物という扱いになっていない場合そうやってペットか何かとして売り払うような形で売買するために捕まえようという動きが珍しくない。一応冒険者という形で身分の保証はあるがそれもあまり決定的なものではなく、冒険者という存在であるためいつ消えてもおかしくないということでもある。そのため今のヴィローサはそれなりに狙いやすい相手でもある。まあ、公也との行動で公の社会にしっかりと姿を見せその存在アピールしているので逆に捕まえたりと裏向きの行動はしづらい部分もないわけではない。とはいえ、やはり一人で行動すると狙われやすくなるのは事実だろう。ゆえに公也と一緒でない今は部屋で面倒なことにならないようにおとなしくしている……こういった事情を踏まえるともしかしたら普段公也と一緒にいるのはその公也への狂気的で偏執的な愛情だけではなく、普段の面倒を減らす意図もあるのかもしれない。
そんな宿での一幕はともかく、公也は街から少し離れた森の中にいた。
「………………」
無言で、周囲を睨むように見ている。
「………………」
がつん、と音は出ていないが、そんな感じに周囲にあった物が消えた。
「………………」
ばつん、と木々の真ん中が消えた。食われて消えた。
「………………」
がりっ、と大地が抉れる。がりがりと一気に削れて何もなくなる。
「………………………………」
がりっ、ぼりっ、ばりっ、と周囲が消えていく。食われる。暴食に食われていく。
「………………………………………………」
がりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりと。周囲にある物が暴食によって食われ食われ食われて消える。
公也はその力を自由に操ることができる。決してその力に溺れその力に負け、その力を暴走させるようなことは有り得ない。これを行っているのは即ち公也の意思によるものである。だが、それは決して公也の望み、欲求が主にあるものではない。
「………………はあっ」
大きく息を吐く。公也は常に足りていない。飢え、渇き、欲を満たすための暴食。暴食は決して物を食べるための力ではない。それは己を満たすための力。暴食の力は世界を削り取りそこにある物質を糧にし宿る知を己のものとする。公也は常に何かを満たさなければいけない。それはまるで炎のようだ、とも考えることがある。
炎は炎として世界にあるためにその炎を維持するための燃料が必要になる。燃料が供給されなければ炎は弱まりいずれは消える。公也のそれはその炎の維持のためのものに近いだろう。暴食によって物を食らい、その知識を得るのはその足りない部分を満たすためには大きな作用だ。普段はそれらの力を使わず、冒険者として多種多様な仕事をして新しい知と経験で満たすが、それでもやはり足らなくなる時はある。自身の奥底から、本能的な飢えが襲う。そういった時、公也は暴食の力を開放して己を満たさなければいけない。そうでなければ、衝動に駆られてどのようなことになるかわからない。事前にそうならないように対策をしておいた方がいい。
そのため一人で出てきて己の力を暴走させるかのように周囲にまき散らす。まき散らすと言っても、暴食の力は食らう力であり、そのため周囲の存在を思いっきり削り取るような状況にしてしまっているのだが。
「……ふう。今だとこんな力を有しているからあまりこういう状況を作りたくないな」
公也の飢えは以前からあったものだ。普段はがりがりと世界を削り取るような、喰らうイメージしか生まない精神的な想像、心の飢えでしかなかった。だが今では暴食という力を有したからか、本能的な、何もかもを食らいたくなるような飢えに成長している。知や経験でも十分満たせるが、それが足りなければ飢えが襲ってくる。ヴィローサやフーマルなどは巻き込みたくない。ゆえにこうして一人で行動して飢えを満たす。
暴食の力を手に入れたのは邪神の手によるものだがそれは公也のそういう部分を見越してなのかもしれない……いや、公也にそういう部分があるからこそ、邪神の方が惹かれたというのもあるのだろう。抱える悪、七つの大罪の暴食がその在り方、精神性に反応したといった感じで。
「これを使うと少し不安になるな……とはいえ、全く使わずにいられるわけでもないが。できるだけ普段は抑えるようにはしておきたいんだが」
暴食は世界を削り取る。問題があるとすればそれを自分の外へと排出できないこと。元の世界へと還元できないことだ。公也が死ねばまだわからない話だが、公也が生きている限りは食らった全ては公也の中にあり続ける。つまり世界は公也の暴食の影響を受けると喰われた部分が永遠に消失する。それは世界というものからすれば大きな問題になるだろう。
この世界に神がいればまだある程度その力への干渉や世界への影響の調整、食われた世界の修繕や補完を行うこともできたがこの世界にそういった世界を管理する神はいない。失われれば失われたまま、世界は公也の手によってわずかながらではあるが少しずつ削り取られ小さくなる。公也はそれを理解しており、だからこそ己の力を使いたくない。
しかし本能的な衝動、飢え、渇望、それへの対処に己の力を使わなければ、開放しなければいかず……全く使わずにいることもできないというまた厄介な状況でもある。
「まあ、なんとかできるように考えておこう……」
神から力をもらい異世界という何もかもが知らず新しい場所に来た。だがそこで何もかも自由で好き勝手してもいいというわけではなく、神によって背負わされたものもある。まあ、公也をこの世界に送り込んだのは邪神でありその行いの裏にある意図はいろいろとあるのだろう。
そうして己の力を開放し衝動を解消し飢えを満たした公也は宿に戻る。ちなみにもちろんだが公也のそれは誰にも見つからないように行っている。気配を探り、周囲に誰かいないか事前に確認し、あまり見られない位置でばれないように行った。後々その場所を誰かに発見される可能性はあるがいったい何がどうなってその場所の状況を作り上げたかはわからないだろう。
その日は冒険者ギルドにはいかない休日となったので宿に戻った公也はヴィローサにせっつかれて一緒に街を見回ることになった。ついでに、旅の準備も兼ねた買い物も公也は行った。そろそろ受けたい、受けられるような依頼がなくなっている。街を出るにはいい頃合いだった。
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がりがり
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※邪神に与えられた暴食の能力における最大の危険はそれ自体が一つの衝動であること。元々主人公の性質にその衝動があるからこその能力の付与であるがその衝動は抑えられるものではない。世界のすべてを食らいたい、世界のすべてを貪りたい、あらゆるすべてを食らいたい。それは狂気に等しく、また世界にとって脅威である衝動。いずれは世界のすべてを貪りつくしてしまうもの。これが存在するかぎりこの世界はいずれ終焉を迎える。常に足りていない、それこそが暴食であるゆえに。




