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暴食の能力は極めて脅威的であり、有用的であり、そして際限がない。
現在公也は食事をとっていない。しかし、彼は空腹を感じていない。これは暴食により食事を行ったと本人が認識している……いや、暴食により実際食事を行ったということになるのだろう。生物が食事を行うのは、外部からエネルギーや物質を取り込むためだ。公也の場合は暴食の能力により自分の口で食事をする代わりに自分自身にエネルギーや物質を取り込み還元している。その物質に関しては公也自身に完璧に還元されていないが、それはある意味仕方がない。彼が人の肉体を持ち、その状態を維持する限りは還元しきることはできないだろう。しかし、例えば腕がなくなったりすれば今まで食事した物質が代わりとなる腕を生み出す。また、それは物質的な意味合いだけではなく生命的な物もまたそうなる。生命エネルギーあるいは生命力、そう呼ばれるものを生存する生命を食することで自分自身に取り込み、有する状態となっている。エネルギーは保有するだけではなく、最大総量も今まで食したエネルギーを有する存在から反映する。これは総量的な蓄積するエネルギーの方面ではなく、特殊な力として扱うエネルギー……例えば魔法を使うための力、魔力的なもののことになる。生命力は消費すれば戻ることはない、ため込むタイプになるが、魔力などは最大値を増やし、休息により最大値まで回復するタイプとなる。これは元々のエネルギーとしての取り扱い方の違いが影響するのだろう。
ちなみに、取り込んだものは取り込んだものそのままで反映されるものとそうでないものがある。例えば知識などは基本的にそのまま取り込む形となる。もっとも、その知識の取り扱いは公也自身の扱い方次第になる。逆に経験的なものは経験を知識として取り込む形になり、経験をそのまま自身に反映させることはない。例えば魔法はその使い方を知ることができるが、どのように魔力を取り扱い、どのように使用するかまではわからない。一応経験を知識として取り込んでいるためその知識を参考にした取り扱い方はできるが、経験からの反射的使用などはできない。これは暴食がそのまま食事に近い取り込み方をすることが影響している。食事は単に取り込んだものを取り込んだまま使うのではなく、分解消化を行い物質を変化させその変化させた物質を取り込みに肉体に反映する。暴食も同じような反応をし、取り込んだものをそのまま反映させるわけではないということになる。まあ、知識のように分解や消化などを行えない性質のものはそのまま取り込む形となるが。
そして、こういった暴食で取り込める内容に関して、限度はなく、限界はなく、制限がない。暴食はこの世界のものであるあらゆる全てを取り込むことができる極めて脅威的な力である、と公也はいろいろと試し結論付けた。先日どこまでできるかと試した結果、山一つを丸ごと取り込むことができた。しかしそこまでやったというのに、容易にまだまだ取り込むことが可能だろうと彼は感じている。自分の力も相当な量を取り込んだためかなり上がっているのはなんとなく実感している。まあ、実感とは言っても彼自身はそこまで実感できるほど自分の中に存在する力を感知できる能力は高くない。経験的なものを知識として獲得しているからある程度認識できるだけであり、まだまだ彼自身の力量が足りていない。しかし、それほどまでの力を取り込んだ以上、彼は簡単に死ぬことはない。即死級の攻撃を受けても確実に死ぬことはないと言えるくらいの強さを有していることだろう。彼を殺すには、山一つを滅ぼすくらいの力が必要になる。彼自身を一撃で消し飛ばすやり方ではだめで、彼自身を何度も、山一つが滅びきるまで殺し続けるやり方で殺し続けなければならない……単純に生命を奪うというだけではだめで、肉体を消し飛ばすのを何度もやらなければいけない。彼は死なないゆえに、致命傷に至るような攻撃でも傷の回復で済ませられてしまう。暴食の能力による蓄積された生命力の存在と肉体への還元の超性能による影響である。現状単なる戦いなら、実質的な不死に近い強さを持つといってもいい。彼をどうにかするならば暴食の能力を封じたうえで拘束し、海や火山など常に死に続けさせることができる場所に封じるしか対処手段はない。そして、それは彼の持つ暴食が邪神という世界においてほぼ最上位の存在に与えられた力ゆえに、不可能に近い。実質的には彼の倫理観と善性に頼るしかない……まあ、邪神に力を与えられるような存在であるためそこまで期待できないだろうと思うところだ。
「際限がないからちょっと使いすぎると危険だな……まあ、あまり使いたくはない、か? 必要なら使わざるを得ないけど」
もっとも、彼自身は暴食の悪徳に在るものだが、別に悪人とはいいがたい。倫理観は基本的に大本の世界での性質を有し、必要ならばそれを欠如させることはできるが元々の世界で普通に生きる事の出来ていた存在だ。そもそも、彼はただ食らいたいと思う存在ではない。彼の満足のために、彼の充実のため、喰らうという行いはあらゆるすべてを取り込むためではなく、生きる意味に近いものだ。世界を滅ぼすことに価値はない。滅ぼすために喰らい取り込んだら彼に待つのは生の終り。
常に求め続けなければならない。常に自分を維持するための燃料を供給し続けなければならない。それが彼にとって喰らうという行為であり、それで求められるものは知識や娯楽、あらゆるすべて。ゆえに、他の存在がいなければそれは成立し得ない。あらゆる全てを食らうのは彼にとって悪手でもある。それができてしまうがゆえに、それをしないように自制しなければならない。
「まあ、とりあえずあまりそっちの力に頼りすぎてもよくないし、魔法とやらを使えるようになるか……知識はある。あとは学んで、慣れて、扱えるようになるだけだな。これもいずれは新しい方面に発展させたい……発想の柔軟性が欲しいところだけど、限界がありそうかな? そうなったらまたどこかの魔法使いからいろいろと学ぶだけか」
ただし、暴食はできるだけ使わない方向で。一応彼が魔法使いの女性に暴食を使ったのは、この世界の知識が欲しいのと魔法の力を得たいがためであり、初期の緊急的な対応ともいえる。彼は別に無駄に人殺しをしたいわけではない。殺人者の気持ちとは何か、虐殺者の気持ちとは何か、そういった知を求めないわけでもないが、別にそれは彼にとっていいものであるとは限らない。あらゆる全てを求めるとはいっても、そのあらゆる全てが自分にとっていいものばかりではない。ただ、悪い物でもそれを知ることには意味があり、それを学ぶことには価値がある。新しいものゆえに、それは自分自身への波紋となる。常に求め続けなければならない。生きるために、常に行動し続けなければならない。求めるということは生きるということであり、求めるということは食らうということであり、生きるということはすなわち食らうということである。食べ続けなければ生きられない。ゆえに彼は暴食者、邪神に目を付けられるような暴食性を持っている。それを、彼は行使し続ける。その能力ではなく、生き方として。
※暴食の能力はそのまま食に通じる。書いてある通り暴食により取り込むことで食事の代わりとなり通常の食事は必要ない。書いてある通り暴食を使っている状況では食する必要がなければ食事は必要ない。もっとも本能的な欲求、生物としての在り方では必要ないからと切り捨てられるだろうか。
※生命力は生命が持ち得る力。魔力は世界に満ちる力であり魔力総量はそれを保有する器の大きさ。生命力は蓄積できるが魔力は蓄積できない。代わりに魔力総量が蓄積して増えるのはそういう理屈。
※取り込んだものの反映は取り込む側が取捨選択できる。でなければすべての存在の記憶で流石に記憶量がパンクする。そのため完全にすべての物事を知り得ることは無理。ただ知識として己の中に蓄積はされている。それを取り扱えるかどうかは能力使用者の成長による。