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ワイバーンの谷はその名前の通りワイバーンが住まう谷である。ワイバーンの巣となる場所でありそれゆえに少々特殊な環境ができている。そもそもこの世界において魔物と呼ばれる存在はその発生から特殊な場合が多い。ワイバーンなどは有名でわかりやすい存在ではあるもののその起源までは解明されていない。それが巣をつくる特定の環境というのはかなり珍しく、ワイバーンの谷はワイバーンという存在にとって途轍もなく重要な何かがある……例えば他の場所でワイバーンはワイバーンの谷ほど増えない。人間が飼い繁殖させるのならばともかく、自然に増えることはない。これは魔物の縄張りの問題なども理由の一環かもしれないが根本的に他の場所でワイバーンが住むことを選択しないのが要因にあるだろう。つまりどれだけ環境が良くともその場所にワイバーンが住むのには向かない。
だからワイバーンの谷にはワイバーンが住まう……と、そんな感じの場所がワイバーンの谷である。そのワイバーンの谷はワイバーンたちが住まうことにより他種の生物が近づき難い特殊な環境を作り上げている。まあワイバーンは竜……本当の意味での竜種とは少し違う亜種の竜であるが竜の一種であることには変わりない。竜は生物として強大な種である。そんなワイバーンが無数に住む谷に普通の生き物が住まうのはかなり難しい……というよりは普通はできない。住まうことができる生き物は一部の特殊な事例だろう。ワイバーンが食らうことを嫌う生物、あるいはワイバーンが襲うに値しない圧倒的な弱小、あるいは極小な生き物、自然物としてそこに存在する植物など。基本的には特にこれと言って価値も意味もない多くの者にとっては必要のないものだろう。
それとは別にワイバーンが住まうことで竜種の性質を持つ谷には竜の影響下にあることで成長する者が育つ。竜種は特殊な存在であるゆえにその特殊な生物の糞、鱗、体液に死骸など様々な要素を受け育つものもある。それらが希少植物としてワイバーンの谷に生えており、それを求め時折人種の生き物がワイバーンの谷に来る。もっともそのほぼすべてがワイバーンに追い返されるか殺されるかするはめになるが。
だがそんなワイバーンの谷に住んでいて一人殺されない特殊な存在がいる。
「ああ、体調はどうだい? 今日も元気かな?」
オーガンである。オーガンは自称竜好き……まあ、実際に竜が好きなのは事実だろう。彼はそもそも竜以外の生物も好きである。オーガンは生まれつき特殊能力を持っている。その能力は生物に好かれやすいこと。生物と言っても基本的には人種以外の野生生物、魔物や獣に好かれやすいと言うことだが。ともかく多くの生物に好かれやすい。他の人は近づけない生物でも彼は近づけそれを愛でることができる。常に身近に多くの生物がいて、彼らに好かれ好意を向けられていた。そういうことから彼はそういった生物のことを好きになった。彼自身嫌われにくい、好かれ近づきやすく共に生きることができるからこそそういう風な精神を持つに至ったのだろう。
そして竜好きになるに至っては竜という存在が他の多くが近づかない近づけない強大な種であるからというのが理由の一端にある。竜という存在はその強さゆえに倒す側、冒険譚の敵としても描かれることも多いが、そういった冒険譚の中には従える例もある。竜乗り、竜繰り、竜騎士と呼ばれるような冒険譚の主人公。トルメリリンと呼ばれる国、彼の住む国はある時期からワイバーンたちを従えてそういった竜乗りの部隊を作っていた。オーガンはそういった戦闘のために竜を使うという気概は持てず結果ワイバーン部隊に所属すると言うことはなかったが、そういった存在を幼いころから知っていたからこそ竜という存在にあこがれ竜という存在を好きになるに至った……のかもしれない。
そうして大人になり彼はその能力を駆使しワイバーンの谷に入るに至る。竜にすら好かれる彼の特殊能力は強力な物である。ただ、それは彼以外には作用しない。トルメリリンの持つワイバーン部隊にワイバーンを卸すためワイバーンに指示を出してもらえないか、とトルメリリン側は一度は考えたがワイバーンたちはオーガンに好意を持つことはあってもその命令に従うと言うわけではない。オーガン以外には一切普通のワイバーンとしての顔しか見せず、オーガンが頼んでも聞いてくれることはなかった。そのためオーガンは特にそういったトルメリリンのワイバーン部隊に関わることなくワイバーンの谷に住んでいる。
「む……? 大丈夫か? 体調は?」
その日ワイバーンの谷では一部のワイバーンが不調に陥っていた。またオーガンを襲うことのない彼らの一部が暴れオーガンに向かってきたりもした。死に物狂いで逃げなんとか無事だったが一体どうしたことだ、と彼は思った。
もともとオーガンの能力は万能な物ではない。あらゆる魔物や獣に好意を持たれる、といってもその度合いは種によっても変わるし個体差もある。極一部はその能力を持つオーガンを敵視したり嫌ったりすることもある。好意を持たせる特殊能力を持つがゆえに逆に嫌う、という形になる事例もある……まああらゆる魔物や獣に好かれると言うのは少々現実的ではないあり得ない事象、一種の洗脳能力みたいなものだと考えた結果その能力を持つ者を嫌うことになるのは変な話ではないのかもしれないが……しかし他の好意を持つ仲間の手前、嫌ってはいるが手は出さないと言うことが多い。
しかしその日のそれは違った。そしてそれ以外にもオーガンに関わらず暴れているワイバーン、体調不調で臥せっているワイバーン、様々なそれまでにない状況の変化がワイバーンの谷では起きていた。
「これはいったい……病気でも流行ったか?」
そう思いながらオーガンはワイバーンたちの様子を見る。倒れているワイバーンたちを。しかしその様子に病気などの影響は特にみられない……では何が原因なのか。そんなことを考えつつもその日は普通に過ごした。暴れるワイバーンたちをどうにかしたいが彼は好かれることしかできず言葉がわかるわけでも宥める能力を持つわけでもない。
そして翌日。事態は悪化していた。
「これは……私ではどうしようもない。いったいどうしてこんなことに!?」
暴れるワイバーンの数は増え、倒れているワイバーンの数も増え、ワイバーン以外にも影響が出ていた……オーガン自身も若干の不調を感じていた。そして枯れている植物なども見られる。これは明らかにワイバーンの谷という場所自体に起きている異常事態と言える。
「誰かに解決を頼むしかない。だが、トルメリリンはこういった事態に対処してくれそうにはない……そもそも頼りにならない」
トルメリリンはこの谷からワイバーンを引っ張ってきて戦力としているがそれ自体はそれができる人間に一任してワイバーンの谷にほとんど関わらないようにしている。国の治める範囲としてこの谷も含めているがこの谷そのものはトルメリリンが支配できていない場所である。そんなトルメリリンを頼ってもどうにもできないだろう。
「…………いや、もしかしたら彼ならなんとかできるのかもしれない」
どうするべきかと考えたところ、オーガンは先日であった一人の男のことを思い出す。ワイバーンの谷に訪れた一人のワイバーン乗り、ワイバーンに囲まれながらも動じず、ワイバーンたちに襲われることのなかった人物。公也・アンデール。オーガンは彼を頼りにすることを思いついた。
そして彼はワイバーンに乗りアンデール領、アンデルク城へと一直線に向かった。それが今回の出来事の発端である。
※ワイバーンの谷にワイバーンが住まうことになった理由は不明。しかしワイバーンが生息するという事実は割と重要なもの。少なくとも同大陸で同じような環境は他に見られない。
※ワイバーンなど強力な魔物はプライドがあるからか相手が自分より強いとか御せるだけの能力を持ち得ない場合中々従わない。トルメリリンのワイバーン部隊も場合によってはワイバーンたちが制御から外れ暴れて周囲に被害をもたらしたり逃げたりする可能性を有する。




