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暴食者は異世界を貪る  作者: 蒼和考雪
四十二章 終末の獣
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「杞憂を現実に、というのはちょっと私には意味が分からないのですけど……」

「わからない?」

「ええ。心配を現実に……? 何の心配?」

「…………ああ、そうか。意味は通じているけど言葉そのものが通じているわけじゃないのか」


 杞憂とは無用な心配、それをすること……ということになる。杞憂を現実に、ということはつまり無用な心配を現実にするということ……という意味に通じる。となるとその無用な心配とは何か? 裁きの魔物に対する無用な心配とは何か? そもそもそれを現実にしたところで何か意味はあるのか、そう思うところである。

 公也はそういうつもりで言ったわけではない。公也は杞憂という言葉そのものの意味、元となる物事を頭の中入れていた。忘れていけないのは公也の使う言語はこの世界の言葉ではない。公也とヴィローサ他、多くのこの世界の住人と公也は会話ができるがこれは公也がこの世界の言葉を話せるからではなく、世界がある程度の意思通訳をしているからである。この世界に他国との言語の違いというものはない。種族による違いは竜などの人外種であればまだ言語の違いがあることはあるが、それでもある程度は人と人外種との対話はできる。エルフなどの普通の人間ではない人種とは言葉が通じるし、基本的に言葉による不自由はない。不自由がある場合は意思疎通に問題のある相手、相手の知性や理性などが要因である。だから意思通訳するとしても赤ん坊と対話することはできない、などの問題がある。

 まあ、重要なのは公也の語った杞憂は意味としては通じるが、その杞憂の語源が通じるわけではないということになる。これに限って言えばこの世界に限らず公也のいた世界では他国との言語の違いがあるためそちらで意味の通じない話になる可能性もあるだろう。杞が憂いる、杞の人が憂いる、そんな言葉であるがそれがなぜ無用な心配に通じるのか。その時点で大本の話を知らなければ意味が分からない。表意文字での意味は悪も難しいものである。


 杞憂は故事成語である。故事から生まれた昔の出来事物事をもととした物であり、先に語った形通り杞憂は杞の人が憂いたこと、その内容がその意味の元となる。その内容は天が崩れてきたら住むところがなくなってしまうという心配事である。天が崩れる、空が崩れ落ちてくる、そういう意味合いになるだろうそれはあり得ない出来事であり、その心配事は無駄なこと、無意味なこと、そんな心配をすることが無用な心配であることが言葉の意味の元であるだろう。元となる故事の内容はそれだけではないようだが別にそれ以外の要素を加えずともそれだけでも十分意味合いとしては通じる。公也の行っている杞憂の現実化はその内容に値する。

 空は物質として存在するわけではない。空とは空間あるいは場所……存在はするが物理的にある物ではない。それを落とす、というのは……空に存在するものを落とすということだろうか。いや、ここは魔法があり得ない現象すら起こし得ることを考えるべきである。すなわち空を本当に落とすということ。この空は果たしてどういうものなのかは不明だが魔法であればそれ自体は不可能ではない、と思われる。


「この世界に杞憂の語源となる杞の国もその故事もないか。じゃあその内容が何なのかはわからないか」

「……どういう内容なの?」

「空を落とす」

「…………空を?」

「空は存在するが存在しないもの。ドーナツの穴と同じだな。そこに存在するが存在しない、空間……あるいは概念の存在」

「……?」

「空を落とす、空は点に存在する天蓋、地上を覆う蓋。その一部を切り取り現実化して叩きつける……魔法は頭がおかしい技術だと思う。なんでこんなものが成立するんだろうな? まあ試してみないと実際できるかどうかはわからないが……たぶんできるだろう。月を落とすよりはまだやりやすいかな」


 空を落とすそれは、大本は夢見花が使っていた月落としのイメージから来ている。夢見花の使った月落としは己の持つ<月>の資質を用いてのものであり、それでも膨大な魔力消費をして超大な月に等しいイメージの巨大な隕石を作り出し落として叩きつけるというもの。その威力の高さは想像以上であり、隕石の地表衝突を考えるととんでもない被害を生み出すものだろう。

 公也の使うつもりである空落としはその月落としよりは威力が控えめである。とはいえ、空……かなりの高所に存在する空を現実化して地面に叩きつけるというのは物理的に考えれば相当なものである。その時点で威力の高さは半端ないものとなるだろう。もちろんこれが正しく物理的に作用するかはわからない。空というものが空、空間、その場所として落とされるのであれば決してダメージを負うようなものにはならないかもしれない。あるいは空というイメージや概念が形となって落とされるものにあるかもしれない。それはそれで何が起きるかわからない。公也はある程度の魔法構築とそのイメージの付与、現実化するうえでどういう形で現実化するかは指定するものの、魔法として極めて特異なものとなるだろう空を現実のものとして作り上げて地上に落とす、というのは極めて特殊な形になってしまうためその詳しい性質がどうなるかはわからない。ある意味では魔法としての完全制御ができていない、半ば魔法以上の何かに変質してしまうものとなるだろう。


「ある日杞の国の人は思った。空が落ちてくるのではないかと」


 公也が詠唱を始める。それはただの語りでもあったかもしれない。


「それはあり得ぬことであり現実に起こるものではない。ゆえにそれは"杞憂"として無用な心配という意味を持つ」


 杞憂という言葉の意味はある程度限定された範囲……公也のいた世界でも公也のいた国の人間、あるいはその国の言語を学んでいる人間しか知り得ない者だろう。だが多くの物が知る概念、知識、要素……それはそうである、という考えはある種の信仰に近い。もちろん厳密な信仰とは違うが、多くの物がそれはそうである、と考えればそうなるものなのだ。


「しかしそれは今日、その意味を反転させる。あり得ぬ概念を、あり得ぬ出来事を。"杞憂"を逆しまに」


 多くのものがそういうものであると考えるがゆえに一つの概念として成立する。だからこそ、それをもとにしてその逆……逆転、反転、そういったことを行うことが可能である。本来ならば不可能に近くとも、魔法であるがゆえに概念の逆転を魔法として行うことができる。だからこそ、あり得ぬ空が落ちることは現実にすることができる。


「空は崩れ、空は落ちる。それは層となりて、厚みを持つ空の壁。地上を覆う大いなる天蓋、その一部を崩しこの地に降り落とす」


 空は地上ではない場所、地上に住む者にとっては上にある存在。地平線を見れば明確に分かれる天と地の概念。地にとって、地にある者にとって天は上にあり地に蓋をするもの。宇宙という地、星の外の間にある大いなる蓋。地上を包み込む膜、壁、箱。だからこそある意味では物質的に考えることもできる。


「空よ落ちよ、空よ潰せ。今、天を落とす。"天落"スカイフォール」




 空が落ちてくる。



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