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4 お付き合い宣言



 チュンチュンと可愛らしい雀の囀りと、さわやかな朝の陽ざしを恨めしく思いながら、私は学園の校門をくぐった。同じ時間に登校する生徒たちがモーゼのように開けた道を、慣れた足取りで歩く。誰にも話しかけられないのが普段はとても悲しいが、今は少し助かる。眠気を我慢するので必死な現在、安易に口を開けば息を吸った瞬間に大きな欠伸をしてしまいそうだからだ。他人の前で大口を開けるなんて園崎家の令嬢として、いや乙女としていかがなものか。


 寝られなかった。

 寝ようという努力はしたのだけれど、寝ようと思えば思うほど、頭に浮かぶのは昨日の会話。耳に残った声が再生されるたび、ばたばたと布団の中で暴れ狂って…、結局寝付けたのはベッドについてから数時間後。仕事のできるメイドさんにきっちりいつもの時間に起こされたのですっかり寝不足だ。顔色を見た兄や母には今日は休んだらどうかと言われたけれど、寝不足くらいで学校を休むわけにもいかない。授業についていけなくなったら大変だ、と眠い目をこすりながら来たけれど…ちょっと後悔している。

 寝足りない。眠くてねむくて瞼が重い。


 でも園崎家のご令嬢が人前で大口開けて欠伸するわけにもいかない。授業中寝るなんてもってのほか。『彼女』は授業中はうとうとと舟をこいでいたけれど。周りの目を気にしないですんでいた『彼女』が本当に羨ましい。

 早く昼休みにならないかな。誰も来ない中庭なら、思いっきり欠伸も転寝もできるのに。



 なんて、まだ一時間目すら始まっていないのに、すっかり数時間後のひと時に思いをはせていた私は、昇降口にたどり着き、下駄箱に近づくにつれ、すれ違う生徒たちが変な顔をしていることに気づかなかった。

 あ、まずい! って、私と進行方向を見比べる生徒たちの間を、万が一漏れてしまっても欠伸が見られないように、口を片手で隠して進む。


 下駄箱前で靴を履き替えていたら、下駄箱から一段上がった廊下の向こうにちょっとした人だかりを発見。ちょっとした、だ。まだ登校する生徒の少ない朝早い時間だからだろうか。見るからに黒山が囲んで中が見えない状態じゃない。だからまばらな人と人の頭の間から、誰が中にいるのかよく分かった。


 私は口を手で押さえたまま、心持ち目を見開いた。――眠くて瞼が重くて、たいして見開けなかったのだ。



「もう大分ここにも慣れたようだな」

「そんなことないです、まだ全然。でもみんな優しくしてくれますから」



 冷たいようにも聞こえるが、それが普段の彼だと知っていれば、その冷たさの中にも相手の労わり含まれているのが分かる。『彼女』の世界で人気絶頂だったイケメン声優が担当していただけあってうっとりするほど耳に良い低音だ。対するのは可愛らしい響きがありながら、凛とした芯のようなものがうかがえる澄んだ少女の声だ。

 東条蓮と愛沢はな。

 どうりでまばらとはいえ生徒が立ち止まっていたはずだ。東条は学園の有名人。そして愛沢はなも可愛らしい容姿と、学園の有名人とイベントを通して次々と仲良くなっていったことで、転入一カ月ですでにそこその知名度を持っている。いろんな意味で。

 私だって立ち止まって見る。というか今まさに立ち止まって見入ってしまっている。


 会話からしてイベントか何かだろうか。


……ああ、そういえば出会いイベントが終わったキャラとは、朝・昼・放課後に一言二言会話するミニイベントがランダムで発生するんだった。でもそれぞれキャラがどんな会話をするかまではさすがに思い出せない。あんまりバリエーションは多くないはずだけれど、眠いからだろうか本気で思い出せない。

 瞼が重い。

 堪えてもこらえてもすぐに欠伸が出そう。


 とうとう我慢できなくなって、小さく出たのを手で必死で隠して、生理的に目の端に溜まる涙を衝動的にグイっと手の甲で拭った。ああ、本当に眠い…。



「――園崎?」

「…はい?」



 反射的に返事を返して、ついで顔を上げた。人だかり分の距離を開けた向こうで、愛沢さんと話していたはずの東条がこっちを見ていた。

 ゲームではイメージカラーなのか、目に痛くならない程度に濃い赤い髪をしていたけれど、さすがにリアルでは茶色がかった黒髪に落ち着いたらしい。初めて会った小学生の頃からその色だから、地毛もそうなんだろう。背は160そこそこの私より目測で20cmは背が高い。時々こうして会話の機会があったときは、間近で話すと見上げているのがつらくなるから、出来ればちょっと距離を開けてほしくなる。絵師さんに特に力を入れられただけあって、顔の整った攻略対象者の中でも容姿も抜きんでていた。

 そんな彼が今見ているのは明らかに私だ。

 え、何?


「……おはようございます、東条さま」



 ちなみにこの学園はお金持ちの学校だけど、ご機嫌ようはあんまり言わない。外部から来た一般よりちょっと上級くらいの生徒も多いし、少なくとも私は使わない。……なんだか抵抗があったのだ、昔から。上流の家の生徒を様付で呼んだり、敬語で話したりはするけれど。

 話を戻そう。

 本当に何? 普段私と東条は当り障りない日常的挨拶くらいはかわすが、そのほかに会話に花を咲かせるような親しい間柄というわけでもない。なのに、なんでそんなどこか困ったような目で私を見てるんだろう。

 私何もしてないよね。ただ眠くてぼうっとしながら見てただけなのに。


「おはよう。…いや、その……」


 こんなに歯切れ悪い東条なんて珍しい。隣の愛沢さんも困惑した様子で私と東条の顔を交互に見てるんだけど。

……またちょっと欠伸が出そう。我慢…したけど、やっぱり涙は滲んだ。



「……っ! 噂を聞いたんだ…っ」

「うわさ、ですか?」



 どの? そして誰の? 私のだったら……まあ色々あったかな。傲慢だとか、権力を振りかざしてある生徒を学園から追い出したとか、どれも根も葉もないでたらめだけど。被害者とされている生徒は、単に成績が落ちて進学できなかっただけなのに。エスカレーター式とはいえ、簡単な進級試験にさえ落ちてしまったのなら仕方ない。そういう嘘八百な噂が付きまとうのは、名家の令嬢としてしょうがないと割り切っているけれど。



「お前がその、嫉妬で愛沢に嫌がらせをしていると。お前が俺を……だと」



 そっちかー。



 私は頭を抱えたくなったが何とか耐えた。

 そっちか。嘘にもほどがあるので失念していた。いや話の流れからみて当然なの? 

 愛沢さんと楽しそうに話しているのをじっと見ている園崎蝶子の図………まさにですね。加えて眠気を我慢しすぎて常に目を細めて睨んでいる(睨んでないです、瞼が重いだけ)。溢れる涙をそっと拭う(生理現象です)。私が野次馬だったら「やっぱりそうだったんだ!」って思うもん。嫉妬に狂う園崎蝶子の次の行動にこうご期待! って。何もしないけど。


「園崎、俺は……」


 誤解。ごかいですよー。って叫びたいけど、さすがに一目がある中大慌てで叫ぶわけにもいかない。

 とにかく違うって説明しようと一生懸命考えているうちに、東条が一歩こっちに近づいてきて、私は混乱に陥った。

 なに、まだ五月なのに、もう断罪イベントなの!? 待って、本当に待って!




「東条くん、おはよう」



 あと数歩の距離…! と思っていたら、場の空気を一切読まない、やけにのほほんとした声が背後からかけられた。

「…真鍋。おはよう」

「あ、愛沢さんもおはよう。みんな早いね」

「おはよう」

 声が聞こえた瞬間、不謹慎にも心臓が跳ねた。今来たばかりの様子の真鍋くんはちょうど私と東条の間くらいの絶妙な位置で立ち止まると、いつもと同じにこにこした笑顔で私に話しかけた。


「おはよう蝶子ちゃん。昨日は夜遅くに電話してごめんね。ちゃんと眠れた?」

「え。…ええ、もちろんよ」

「ほんと?」


 窺うように私の顔をじっと見た真鍋くんは、私に届く小さな声で続けた。

「その割には眠そうだよ。あまり無理はしないでね。…まあ僕も実はちょっと寝不足なんだけど。昼間のこと思い出したりして、なかなか寝付けなくて…」


 はは、と軽く笑う。それを見ながら、同じだ、と思ったらまた急に恥ずかしくなった。なんというかむずがゆい。

 この数秒、本当に本気でそれまでの状況を忘れていた。すぐそばに誰かいることもすっかり忘れていた。思い出したのは数歩の距離にいた人が「電話…?」と呟いたからだった。



「昨日、電話していたのか。しかも夜遅くに…。そんなに仲が良かったのか、二人は」

「うん。って言っても電話は昨日が初めてだけどね。番号を交換したのも昨日だし。でも東条くんも僕の番号知ってるでしょ?」

「まあ、お前のはな…」



 驚いた。真鍋くんはその人当たりの良さで、結構多くの生徒と交友を持っているのは知っていたけれど、東条ともだとは思わなかった。真鍋くんに聞いてみると、外部生として入学後、いろいろ世話を焼いてくれたのが東条らしい。そういえば一年生のときは東条も同じクラスで、その上彼が学級委員だったか。面倒見のいい東条なら納得だ。そのことをきっかけに今もよく話すらしい。


「彼、いい人だからね。……だからこそ、負けたくなかったんだ」

 と、真鍋くんは私にだけ聞こえる声で言った。最後の一言については教えてもらえなかったけれど。


「東条くんこそ、蝶子ちゃんと何か話してたの? なんかみんな注目してるみたいだけど」

 注目されてるのが分かりながらも、その中心地に物怖じもなく入ってこられる真鍋くんはすごいな。私なら嫌だ。遠巻きにする。それで野次馬に混じって傍観する。今回のように中心が向こうからやってくるなんてレアケースもあるけれど…。

……あれ?

 そこでふと私が気付いたのは、東条と同じタイミングだったらしい。


「いや少し気になる噂を聞いたからその確認をな……。というかお前、さっきから園崎のこと蝶子と…」

「ん? うん。園崎蝶子ちゃんだから……。あ、そっか」

 ひとつ不思議そうに瞬きした真鍋くんは、くるりとこちらを振り返った。



「ごめんね、昨日訊いた気になってて、無意識に呼んじゃってた。下の名前で呼んでもいい?」

「え、ええ。いいわよ」

「やった。『蝶子』ってかわいい名前だからずっとそう呼びたかったんだ」

「か、かわいい…」


 またそんな言われ慣れない言葉を嬉しそうに目の前で言う。また頬が熱くなる。僕のことも明って呼んで、って言われたけど、待って、それはまだレベルが高いです……。



「話を戻してもいいか?」


 腕を組んだ東条が、実に不機嫌そうに言った。え、なんで怒ってるの?


「うん、勿論。噂について話してたんだって?」

「そうだ。……園崎、少し場所を変えよう。こんな大勢の前で話すことじゃなかった」

「……わかりました」

 話す気満々だったじゃないかと思ったが。まぁでも東条は目立つ家柄やら容姿やらで注目を浴びることに慣れきっている。だから噂の真偽を確かめることに夢中になりすぎて、人目を忘れてたのかもしれない。目立つのは私もだけど。私は全然慣れませんけど。大勢の前で一人をさらし者にするほど性格は悪くなかったはずだ。


 好奇心の視線に晒され続けるのも嫌だから、移動はいいんだけど、話は続くの? このままなあなあで終わってほしかった。いや向こうとしては愛しい愛沢さんが不当な嫌がらせを受けているかもしれないなんて、放っておけないのかもしれないけど。


 ど、どうしよう。実は移動した先に他の攻略対象がそろい踏みで、一気に断罪ルートに一直線なんてことになったら。何もしてないけど。さっきからじっとこっちを見てるだけの愛沢さんも、何を考えてるのか分からなくて怖いし…。


 私はちらりと顔を上げて愛沢さんを探した。元々東条と話していたのと同じ位置に佇んだままの彼女は、勝ち誇るような顔で私を見ていた……わけではなかった。それどころかいじめを受けた可哀想な被害者のように怯えているわけでも、責め立てるような険しい表情なわけでもない。ただひたすらこちらを観察するような、無の表情だった。



「移動なんてする必要ないよ。噂ってあれでしょ? 蝶子ちゃんが東条くんのことで愛沢さんに嫉妬してるっていう。嘘っぱちのやつ」

「嘘? ……何故お前がそう決めつけるんだ」

「蝶子ちゃんは人に嫌がらせなんてする子じゃないし、第一理由がないよ」

「それは、……噂では園崎は俺の事を……」

「噂は噂だよ。みんながそう思ったってだけ」


 私が愛沢さんのことで気を取られてるうちに話は進んでいた。はっと我に返った私に真鍋くんは笑いかけ、片手を軽く握って――。



「嫉妬なんてありえないよ。だって蝶子ちゃんは僕と付き合ってるんだから」



 爆弾発言した。

 ざわめきが起こる。

 集中する視線の数がさらに増えたような気がする。でも私はやっばり赤面して俯いてしまってそれどころじゃない。見せびらかすように繋がれた右手があげられるのがまたいたたまれない。


「付き合ってる、だと。……恋人同士ということか」

 なんでそこ言い直して確認するの東条。俯いてしまって彼の表情を見れないが、わずかに震えた声が動揺を如実に現している。

「うん。ずっと蝶子ちゃんが好きだったんだ。だから、告白を受け入れてもらえて、本当に嬉しかった」


 あ、そっかこれパフォーマンスだ。合図するように一度だけ手に力を込められて、上げた視線の先でさり気なくウィンクひとつ。

 ゲーム展開回避のためのお付き合い。噂を信じる大勢の生徒が集まっている今は噂を消す絶好の機会。うん、改めて見ると私が来たばっかりの頃よりすごく人が増えてる。恥ずかしい。けど、お付き合い宣言で東条のことも愛沢さんのこともなんとも思ってないと印象付けるにはいい機会だ。

 ここは一気にラブラブな印象を……!


「本当なのか、園崎」

「ええ、本当です。私は真鍋くんと付き合っています。告白してもらって本当に嬉しかったんです。私もずっと前から真鍋くんがす………」

 口ごもるな私。言え。言っちゃえ!


「好きだったから」


 は、恥ずかしい! たった二文字なのに。嘘なのに。いや嘘か本当かまだよく分かってないし、いつか本当になるかもしれないけど。でもこの二文字を言うのが、すごくすごく恥ずかしい。こんな恥ずかしい言葉を平然と言えちゃう世のリア充や真鍋くんを本気で尊敬する……。

「………破壊力…」

「真鍋くん?」

「ごめん今ちょっと見ないで…」


 ぽつりと何事か呟いた真鍋くんは、開いてるほうの手で顔を覆って私とは反対の方を向いた。その耳は赤い。

 レアだ! 真鍋くんが照れてる!



「…そう、だったのか。所詮噂は噂だったということだな」


 深いふかいため息を吐き出した東条は、すぐそばの壁に掛けられた時計を確認すると、

「時間を取らせて悪かった。――ほらお前らもそろそろ始業の時間だ。早く行かないと、……ああ、ほら」

 私達に軽く頭を下げると野次馬に向かって解散を告げて、その向こうからやってくる人影を見つめると、また息をついた。


「お前ら、何をしているんだ。もうすぐホームルームが始まる時間だろう。さっさと教室に戻れ」

「北倉先生、俺が騒いだせいです。すみません」

「む。東条か」


 やって来たのは短い黒髪を逆立てたような髪型の新任教師。攻略対象者の一人、北倉先生だ。

 条件反射のように身を竦ませた私の手を引いたのは、いまだ手をつないだままの真鍋くんだった。

 そういえば手、ずっと握ったままだ。半分忘れてたけど、思い出したら恥ずかしい。

「東条くん、僕らは先に行くよ」

「……ああ。真鍋も悪かったな」

「ううん。僕こそごめんね」


 やっぱり私には分からない会話を交わしながら、真鍋くんは私を連れてその場を去った。



 東条と北倉先生を見ている愛沢さんの横を通り過ぎる時。わずかな間その茶色がかった大きな瞳が、私達を追いかけた。その視線はやっぱり感情の乗らないもので…。その目に既視感を感じたけれど、それが何なのかは思い出せなかった。





お読みいただきありがとうございました。

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