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1 手品が得意な真鍋くん



 きらきら、きらきらと蝶が舞う。

 赤、オレンジ、黄色、緑、水色、青、紫と、瞬きのたびに色を変える七色の蝶たちが、まるで風に遊ばれる花弁のように、ひらひらと視界を覆う。私は瞬きも惜しんでそれを見つめた。感動で言葉も出ない。

 これはプレゼント。結婚の約束をした彼が、指輪の代わりにくれた贈り物。蝶子の名にちなんで夢のような光景を見せてくれた。

 蝶に占拠された視界の中でゆっくりと隣を見れば、緑色の瞳が、優しく細められる。

「忘れないで。僕はずっと、蝶子ちゃんの味方だよ」


 虹色の蝶が舞う。ひらり、ひらりと。視界いっぱいに自由に飛んで、他には何も、見えなくなっていく。


「君は僕が選んだ、運命の人だから」


 虹色の蝶は舞う。隣にいた大好きな人の姿を、かき消して――。













 ああ、また。あの夢を見た。

 私はため息をつきながら、寝心地のすこぶるいいベットからのそのそと起き出した。あくびと共に伸びをして、メイドさんたちが来る前にとストレッチなんてしてみたりして。何とかテンションを上げようと顔をぐにぐにと揉んだりなんかもしてみたが、最後に鏡台で自分の今の顔を見て、盛大にため息をついた。

「……学校なんて、行きたくないようー…」


 別に、さぼり精神なわけではない。体はどこも悪くないし、大学受験を約一年後に控えた高校二年生の初夏がどれだけ大事かも分かっている。

 それでも、私が学校に行きたくないのには理由があった。

 たったひと月ほど前の、春のことだ。私は思い出した。思い出してしまった。前世のことを。


 前世――どうか、頭が狂ったなんて思わないでほしい。私はいたって真面目に、真剣に悩んでいるんだ。むしろ前世の記憶がよみがえったなんて非現実極まりない話、自分自身が一番否定したいんだから。

 思い出したのは突然。二年生に進級して数日なんて中途半端な時期に現れた転入生が、黒板を背に自己紹介をした、その瞬間。


「初めまして。愛沢はな、といいます。よろしくお願いします」


 その声優さんのような可愛らしい声で、いかにもヒロインと言った可愛らしい名前を聞いた瞬間だった。同じ名前がデフォルトネームの主人公ちゃんがいたわね、なんて名前のゲームだっけ、そうそう『愛は花降る夜に』で略して『愛花』! ――と、ぼんやり浮かんできて。あれおかしいな。ゲームなんて私、したことなんてないのに…と考え込んだら、もう止まらなかった。

 今まで16年生きて来たものとは全然違う、他人のはずの女の子の記憶が頭に一気に流れ込んできて、気付いたら私は倒れていたらしい。次に目が覚めたら保健室の白い掛布団に包まれて、ベッドの上に寝ていた。倒れた私を保健室まで運んでくれたというクラスメイトには、お礼を言っておかなくてはならない。すでに家にも連絡はいっていて、あっという間に帰宅、大事を取って数日学校を欠席することになった。その数日の間に、私は流れ込んできた女の子――いや私の前世と、言わなければいけないようだ、その記憶を自分の中で何とか消化し、折り合いを付けることに成功した。

 前世の私は、今の私、園崎蝶子と同じ女子高生だった。それ以上の記憶はないから、思い出さなかっただけか、最悪事故か何かで若くして亡くなったのかもしれない。死につながることについては幸か不幸か何も思い出されなかった。前世の私――これからは『彼女』と呼ぼうか。『彼女』はゲームや漫画、アニメといったいわゆる二次元がすごく大好きだったらしい。オタクが入っていたかもしれない。学生として最低限の勉強はしつつも、毎日毎日楽しそうに二次元ライフを送っていた記憶がある。そんな『彼女』が大好きだった数ある作品の中の一つが、乙女ゲーム『愛は花降る夜に』である。お金持ち学園にある日特待生として転入してきたヒロインが、数々の苦難を乗り越えながら攻略対象者と絆を深め、最後には恋人になる、そんな王道としか言えないストーリー。ちなみに逆ハールートはない。そこだけが『彼女』には不満だったらしい。


 ゲームの中でヒロインを襲う数々の苦難――数々の、と言いながら、その苦難のほとんどの原因はある一人の令嬢によるものである。令嬢の名は『園崎蝶子』。日本で三本の指に入る大会社の社長令嬢であり、メイン攻略対象『東条蓮』ルートのラスボス、財力知力ついでに容姿も最大限に整った攻略対象者に近づく庶民な主人公に嫉妬し、犯罪一歩手前ないじめを仕掛ける。プレイヤーに嫌われまくった彼女が、最後に主人公に行ったいじめや犯罪行為を断罪される場面は『彼女』の一番のお気に入りシーンだった。……性格悪いな前世の私。


 ここまで言えば、もう分かると思う。そのラスボスで最後に断罪される悪役令嬢は、そう私である。

 園崎蝶子。確かに、小さいころから薄らと悪役っぽい名前だな、と思っていたのだけれど、まさか当たっていたなんて思わなかった。

 今の私はまだ東条蓮とは婚約を結んでいない。ゲームでは、ヒロインが東条蓮と仲を深めていくことに嫉妬して、親に泣きついてストーリーの途中で婚約者の座についていた。今の私は当然そんなことを頼むつもりはないけれど、そうなるのも時間の問題だろう。なぜなら東条家と園崎家、これほど釣り合いのとれる家柄はないからだ。『愛花』の世界では、この二つの家ともう一つ、鷹林家が日本屈指の名家として君臨している。順番で言えば鷹林家、東条家、園崎家の順。だから、東条家との縁談を拒否するなら釣り合いが取れるのはあとは鷹林家になるが、その家の当主は子がいないことで有名だ。結婚して十年ほど経つ妻がいる当主は、随分若い時に結婚したらしくまだまだ子ができる可能性は大いにあるけれど、そうなったとしても、それはもう次の世代になる。私では年齢が合わない。他攻略対象者たちも皆家柄良い生まれだが、園崎の長女が嫁ぐのは、上昇志向の強い父が許しはしないだろう。


 このまま東条蓮との婚約がなってしまえば、ゲーム展開一直線、悪役令嬢のちに断罪、実家からの勘当・放逐ルート待ったなしだ。






「はぁ―」


 今日もまた朝から心の中でいやだいやだと駄々をこねながら、それでもこの16年培ってきた品行方正なご令嬢のイメージを崩すことが出来なくて、重苦しい心を引きずりながら学校に登校した。誰か褒めてほしい。そしてその昼休み。

 私はひとり、人気のない裏庭で家から持ってきたお弁当をもそもそと食べていた。周りには誰もいない。そう、ぼっちである。私には友達がいない。悪役補正なのかなんなのか、小学生の頃から周りになんとなく距離を取られていた。ゲームでも園崎蝶子の周りにはとりまきっぽい人すらいなかったから。(製作上、省略されたのではとネットでは言われていたが)中身は私という庶民であり、これは記憶を取り戻す前から、なんとなく『彼女』がにじみ出ていたのかゲームの園崎蝶子っぽくない間抜けな行動もしていたような気がするのだが、それでも気軽に話しかけてくれるような人はほとんどいなかったので、もうこれは原作補正なのかもしれない。泣ける。

 この外見が怖いのだろうか。蝶子は、中身はともかくとして見た目だけなら完璧令嬢と言える。腰まで流れる烏の濡羽色の髪に雪のように白い肌、きつい印象を与えるだろう黒いつり目、体型は勿論キュッとしたくびれとグラビアアイドル並みの重たそうな豊満なバスト。まつ毛の多さはちょっと気に入っているし、大きな胸も、貧乳に悩んでいた『彼女』の記憶があるからかちと嬉しいが……ちょっと迫力がありすぎるかもしれない。

 怖いんだろうな、この見た目は。確かに前世の『彼女』でも絶対に近寄らないタイプの人間だ。見るからに性格がきつそうで、意地が悪そう。この外見でもにこやかに微笑んでいれば少しは変わったかもしれないが、残念ながら私の表情筋は死んでいた。なぜか笑おうと思っても、思ったようににこやかに笑えない。他者を見下すような冷徹な口元だけの微笑みならできるのだが、これじゃない感が半端ない、というか怖すぎる。これも原作補正なのだろうか。困る。この上でさらに天下の園崎のご令嬢とくれば、そりゃ距離もおきたくなるだろう。何されるか分からないもの。少しでも機嫌を損ねれば、親の会社ともども簡単につぶされかねない。しないけど。


 つらい。

 なまじ気の合う友達ときゃっきゃうふふしてた『彼女』の記憶が蘇ってしまった分、ぼっちが身に染みる。



 もう一度ため息を吐いて、私はぷるぷると頭を振った。やめよう。ぼっちはいい。いや良くないけど、今はいい。脇に置いといて、今考えるべきは『愛花』についてだ。

 今は五月。ゲームでは確かまだ共通ルートだったか。個別ルートに入るのは10月の文化祭の準備期間の前後だったはずだから、まだヒロインが誰狙いなのかは分からない。愛沢はなは順調に攻略対象者との出会いイベントをこなしいるようで、ときどき教室や廊下の向こうで、攻略対象者と思わしき目立つ容姿の美少年と会っているのを見かけることがある。園崎蝶子は東条以外のルートではあまり出てこない。いじめというか、庶民でありながら家柄の良い男子生徒になれなれしく近寄るヒロインにきつい注意はするけれど、せいぜいその場に居合わせた攻略対象者に追い払われる当て馬的な扱いだ。派手に行動し断罪されるのは彼女が愛した東条のルートのみ。だから、東条以外のルートを選んでくれたら助かるのだけれど、はたしてどうなるだろう。

 勿論私はいじめなんてするつもりないし、正直関わること自体したくないが、別の誰かにヒロインがいじめられるというなら助ける所存だ。いじめダメ絶対。だけど、問題は周りがそう思っていないということだ。私が愛沢さんを煩わしく思っていると、もうすでにひそひそ噂されているのを聞いてしまったのだ。動向が気になってただ見ていただけなんだけど、それが睨んでいたと勘違いされている。愛沢さんにもなんだか怯えれらているような気がするし…。私がどう行動しようと、原作補正からは逃げられないのだろうか。

 そんなの嫌だ。無実の罪で断罪なんて。親兄弟から叱責され勘当され、ひとりぼっちで家を出される。バイト経験すらない身でひとりで生きていくなんて。どうしよう、どうしたらいい?




「あれ、園崎さん?」


 うんうん唸りながら頭を抱えていたら、背後から草を踏む音がした。聞き覚えのある声に、顔を上げて振り返れば、黒縁メガネの奥の瞳が不思議そうに丸められていた。

「お昼? ここ暗くない? 向こうの方が日当りいいよ」

「へい、きよ。今日は暑いから、これくらいがちょうどいいの」

「そっか。あ、でもたしかに。涼しいねここ」

 次いでにこにこ笑いながら、近すぎない距離で立ち止まったのは、クラスメイトの男の子だった。

 真鍋くん。下の名前は確か、明だったか。今日も私の髪よりも大分茶色がかった柔らかそうな猫っ毛が好き勝手に跳ねている。大きな黒縁メガネの奥の瞳は垂れていて、背は私と10㎝くらいしか変わらない。きつそうに見える私と正反対の、優しそうな印象を与える男子生徒。いつだって誰にだってにこにこ笑顔の絶えない彼は、学園で園崎蝶子に臆すことなく話しかけてくれる唯一の人だ。真鍋くんは小中高一貫校のこの学園では数少ない外部入学の生徒で(ちなみに愛沢さんは難しいことで有名な編入試験を突破して転入してきた唯一の転入生だ)、一年生の時から続けて同じクラスになった。表情筋の死んでいる私の受け答えは、どんなに気を遣っても悪い印象にとられがちだというのに、彼は他の生徒に対するものと何も変わらずに接してくれる。むしろ、他に話す人のいない私にクラスに溶け込めるように話題を振ってくれたりと、気を遣ってくれる有難い人だ。(その機会は一向に活かせていないけれど)一日のうち、学園で私が言葉を発する機会のほとんどは彼との会話である。

 そして彼はその優しい性格と、ある特技があるために、クラスでもそれなりに男女問わず人気のある人だった。


「真鍋くんは、どうしてここに? お昼?」

 裏庭は普段めったに人が来るようなところではない。私はよく教室に居づらくなった時に来ているが、真鍋くんの姿を見たことはなかった。だが聞いてから、見るからに彼が手ぶらであることに気づいた。お弁当の包みはおろか、コンビニや購買部の袋だって持っていない。真鍋くんはひらひら片手を振った。

「ううん。お昼はもう食べたよ。だから腹ごなしの散歩と、それからちょっと練習しておこうかと思って」

「練習?」

「うん」

 いつもの笑顔で頷いた彼が、すっ、と左手を私の方に伸ばした。握られた手が顔の傍に寄せられて、見下ろす笑みが深くなる。



「タネも仕掛けも、ございません」

 言葉と同時にぽんっと可愛い音がしたかと思えば、



「うん、やっぱり花は女の子に似合うね」

 と明るい声が降ってきた。その手の中には一輪の花。そして、頭の上の方に違和感がして手を伸ばすと、同じ花が髪に添えられているのが手触りで分かった。

 真ん中が黄色、外側がピンクの、小さな花が纏まって一つの花のようになっている。この花は、確か。

「ランタナ、だったかしら」

「うん。母さんが好きでね。家で育ててるんだ。可愛いでしょ?」

「ええ、そうね」

 ここでべたに真っ赤な薔薇を出さないところがいいと思う。もらった花を顔に寄せて匂いを嗅いでみた。生花のいいにおいがする。帰るまでに枯れないようにしなければ。

「本当にすごいわね、真鍋くんの手品」


 真鍋くんの特技は手品だ。「タネも仕掛けもございません」は彼が手品をする合図。トランプやコインは勿論、何かを消したり出したりするのがとても上手で、一年生の自己紹介時から一年間、何度も見せてもらったけれど、誰もそのトリックを暴けない。高校生にしてこの実力なら、将来さぞ有名なマジシャンになることだろうと、彼の周りには今のうちからサインをねだる者やトリックを暴いてやろうと息巻く生徒が後を絶たない。サインは丁重に全員にお断りしているので私も持っていないけれど、彼の手品の密かなファンだったりする。それがこんな特等席で、しかも独り占めで見られるなんて、本当に嬉しい。


 嬉しくて、なんだか気が抜けてしまいそう。さっきまで不安で不安で仕方なかったのに。



「なにか、悩み事?」

 笑みが消えていた。いつものにこにことしたそれではなく、困ったように、心配するように眉根を寄せて、真鍋くんがこちらを見ていた。

「なんだか最近、浮かない顔してるよね。この間も倒れてたし。なにかあったの?」

「なにか、なんて…」

 あ、だめだ。すごく今、言いたくなった。不安をぶちまけたくなった。私前世の記憶を思い出しちゃったの、と。言ってしまいたくなる力が、聞いてくれるんじゃないかという期待を持たせる力が、真鍋くんにはある。

 真鍋くんは唯一私を普通の女の子扱いする。園崎の令嬢だと知っているはずなのに、なんの気負いも打算もなく笑いかけて、心配してくれる。それも、変になれなれしいわけでもなく、絶妙な距離を取って。だから私も普通のクラスの女の子みたいに、彼に頼ってしまうことがある。

 でもだめだ。言えない。こんな非現実極まりない話。信じてくれるはずないもの。唯一話してくれる人なのに、友達になってくれるかもしれない人なのに、こんなこと話したくない。それにもし話して、ゲームの展開に巻き込んでしまったら。


 私はぷるぷると頭を振った。

「悩み事なんてないわ。この間倒れてしまったのは寝不足だったからなの。最近あまり眠れなくて、だから」

「園崎さん」

「そういえばあの時保健室に運んでくれたの真鍋くんよね。お礼が遅くなってごめんなさい。ありがとう、おかげで助かったわ」

「園崎さん」


 真鍋くんは重そうな溜息を吐いて、少しの間目を閉じた。そしてぽつりと口を開く。

「ごめんね」

「え?」

「…話したくなるまでそっとしておこうと思ってたんだけど、やっぱりちょっと、放っておけないや」

 閉じられていた瞼が開く。黒縁メガネに邪魔されて注目しづらい彼の黒い瞳が、一瞬緑色に光ったような気がした。




「全部話して。

 ――大丈夫だよ。僕はずっときみの味方だから」




 その言葉が脳に浸透したと同時に、私の口は言うまいと思っていた話を、するりと吐き出していた。


「――ねえ真鍋くん、前世の記憶って信じる?」







花言葉は無視しております。



お読みいただきありがとうございました。

二話は明日(6/18)19時、

三話以降は作者にも予測不能な超不定期更新になります


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