2.レッツ・サバイブ!
とにかく生き残ろう。今の俺に必要なのは差し迫った危険の回避だ。
地下だったらしい研究室から出て、地上に出ると、そこは普通の街ではなかった。たぶん、知らない街だ。そうであってくれ。大部分の建物が倒壊していて、地面のアスファルトには大きく亀裂が入っている。ただ中には綺麗にそのまま残されている建物もあり、それがただの天災ではないことをありありと物語っていて不気味だった。彼らにとって利用価値がある建物だったのか、あるいは、単に中からの生命反応がなかったのか。
ジャリジャリする靴の裏に、黒い血痕がこびり付く。……見ない。見るもんか。道端に、建物裏に、あるいは道路の真ん中に。そこかしこに転がる、かつて人だったものの残骸など。
「……敵はどこだ」
気を紛らわせるように彼女に問いかけるが、帰ってくる返事は「ええと」というおぼつかないものだった。
「わからないのか?」
「そうかもしれません……敵の反応が検出できないんです」
空を見上げるが、映像にあったような宇宙船の姿はない。差し迫った危険はないということなのだろうか。
「もしかすると、敵の生命探知レーダーは、地球人と宇宙人の区別はつかないのかもしれません」
彼女曰く、人類が滅亡し相当数の宇宙人が地球に降り立った今、地球上の生命を探知したところでまさか人類の生き残りだとは思わないのかもしれない、ということだった。
なんとこれは好都合。つまり気付かれさえしなければ、このままひっそりと生きていくことが可能というわけだ。
「よし、帰ろう」
「お待ちください」
かかとをくるりと返した俺の目の前にぬっと彼女が現れる。うわっと思わずのけ反ると、そのまま顔が近づいてくる。
「トウマ様には地球のために戦っていただかなければならないのです」
「いや地球も何も人類滅亡してるし……俺が生きようと死のうと、宇宙人がいようといなかろうと、もう人類が復活するわけでもなし」
「それでも地球は生きています」
メイコを騙る女は、死んだような瞳にきらりとわずかな光を宿らせた。
「生命の星である地球が生きている限り、そこには可能性があります。遠い遠い未来、そこにまた新たな命が誕生する可能性があります」
「……そんな小さな可能性のために、命を懸けて戦えってのか」
「そうです。それが、最後の人類であるあなたの義務です」
「義務、ねえ」
幸せな眠りから突然呼び覚まされて、人類は滅亡しましたなんてとんでもない事実を告げられて。何もわからないままここまで来て。レーザーガンを指先でなでながら思案する。俺はただのニートだ。それも人生失敗して詰んで、VR世界に逃げ込んだクズニートだ。それが地球の命運なんて。遠い遠い未来の存在するかもわからない生命を繋ぐだなんて。
途方もなさすぎて、現実味がなかった。
空はどこまでも高く、静かに澄み渡っている。あの空の向こうに、俺の大事な人たちもいるだろうか。永遠の別れなら仮死状態になる前に済ませたはずだが、置いていく側と置いていかれる側ではこんなにも感慨が違うものかとしみじみ胸に沁みてくる。
「……なんで、俺なんだ」
俺みたいなただのクズニートがどうして。こんなレーザーガンなんか引っさげて。
「──トウマ様」
思考が遮られふっと前を向くと、その声を発した彼女が勢いよく飛び込んできた。
「うわっ!?」
思わず後ろに飛び退くが、彼女はそのまま俺の身体を通過して後ろへ移動していた。そして、さっきまで俺がいたその場所には、真っ黒な物体。
「え? はっ!? 何だよこれ!?」
「地球外生命体です」
「いやいやいや、これが生き物か!? ただの真っ黒な立方体じゃねーか!」
おそらく空から降ってきたのであろうその立方体は、この世のありとあらゆる光を吸収するほど黒かった。あまりにも光の反射がなく、立方体とわかるのもある程度色々な角度から眺めた結果の推測だ。まるでそこだけぽっかりと世界が切り取られてしまったかのようにすら見える。
「呑気してる場合ではありません、トウマ様。さあ構えて! それはあなたの命を脅かす敵です!!」
「うっ……やるっきゃねーのかよ!」
「そうです! その手に持った文鎮で、ひとつ!」
「ああそうだな、ぶんち……文鎮ンン!!?」
は!? え!? なんだそれ!? え!!? これ文鎮なのか!!?
あっ待って、立方体今動いたぞコイツ動くぞヤバいヤバいとにかく逃げるぞ!!!
「あああ追ってくる追ってくる!! これレーザーガンじゃねえのかよ!!」
「はい、ただのインテリアの文鎮ですが……あまりにも堂々とお選びになったので、撲殺がお好みなのかと」
「んな訳ねぇーーーわ!! ちょっとセンセーショナルなレーザーガンかと思ったんだよ! なんかだいぶ丸っこいけど近未来感演出かと思ったんだよ!!!! 文鎮でなにしろっつーんだよ!!!!!!」
「ですから、撲殺を」
「リーチ短すぎだろが!!!」
「トウマ様、このままでは追いつかれます」
「わかってんだよンなこたぁよぉ!!!! つーかこのスーツなんか特殊機能とかねーのか!」
「ああ、それならあちこちにあるボタンを押してみてください。色々できます」
「オイオイオイ説明雑だな本当に地球任せる気あんのかてめー!!!」
喚きつつボタンを探す。と、あったあった、肘のところになにやらボタンがあるぞ。このまま逃げてもどうせ追いつかれるのなら、何が起こるかわからなくても押してみるっきゃない!
「よろしくお願いしまああああす!!」
ッターン! エンターキーを押すつもりで肘のボタンを押した。すると、ブオンと一瞬体が浮いた。肘のところからジェット噴射で空気が出たようだと一瞬遅れて理解した。
思ったより地味だ……が、地味ゆえに汎用性がある。これさえあれば、ある程度の飛行が可能だ。
ジェット噴射ができそうなボタンをやたらめったら押してみると、首元のボタンを操作することで、全てのジェット噴射が同時に作動することがわかった。
これだ。
かちりとボタンを押し込むと、勢いよく体が浮いて、前方のビルに突っ込んでいく。うわ、ヤバいヤバいこのスピードで突っ込んだら間違いなく死ぬ。ぎゅっと体を縮めると、噴射の勢いが弱まった。……どうやら、手足の筋肉の動きで勢いを調節できるらしい。コツをつかむまでに少しかかりそうだが、かなり自由に飛べそうだ。
ビルの窓枠をがっちりとつかんで体を固定する。指先の力もデフォルトで強化されているようだから、脚力や腕力もきっとそうなのだろう。さっきは無我夢中で気づかなかったが、そうでなければ二年間もの間仮死状態だったニートが数十秒も全速力で走れるわけがなかったのだ。
「初めてとは思えないくらい、使いこなしていらっしゃいますね」
彼女が隣に並んで白々しく褒める。お前がちゃんと使い方をレクチャーしてくれさえすれば俺はこんな必死こいて実地で使い方学ばなくてもいいんだけどな。あとこいつどう考えても実体がないんだがどうやって俺の目に映ってるんだ? ジェット移動のスピードにもついてこられるようだし意味が分からない。とりあえず、研究室に戻ったらそのあたり説明してもらうことにしよう……あ、今自分でフラグ立てちまったな俺。
さて、気を取り直して、ゴロゴロとマイペースで転がってくる立方体に目を向ける。決して遅くはない、人間の走るスピードと同じくらいなのだが、いかんせんジェット移動が速すぎてついてこれていない。先手を打つなら今が絶好のチャンスだ。
先手、先手……考えてみるものの、やはり俺の持っている武器はこの文鎮一つだ。レーザーガン風の文鎮。いや、文鎮だと思ってみるともうただの文鎮にしか見えないし、これをレーザーガンだと勘違いした自分の脳みそはいかれてるとさえ思えてくる。はあ、とため息をつき、文鎮を握りしめる。仕方がないな、これで行くしか――
「トウマ様こっちです!」
彼女の声が響いた。とっさにそちらを見た瞬間、頭部に焼けるような熱を感じた。あまりのことに、逆に脳は冷静に動いた。目線を立方体に戻し、目を離さないようにして場所を移動する。大丈夫、血が出ている様子はない。だが、焦げたようなにおいがする。……たぶん、俺の髪が焦げているんだと思う。サラサラストレートだった俺の髪はいまやチリチリになっているであろうことは想像に難くない。それも部分的に。
それをやったのはおそらく立方体から放たれたレーザービームだ。そんなことができたとは、それならさっき打っていれば一発で俺を始末できたろうに。いや、今のだってメイコが呼んでくれなければ頭に直撃していた。先手はどうやら打てなかったようだ。だが追撃を仕掛けてこないところを見ると、レーザービームの充填には時間がかかるらしい。レーザーなんて、次に避けられる保証はない。――やるなら今だ。
意を決して左手を放し、立方体めがけて飛び降りた。俺の体重が地球に引き寄せられるこの勢いごと、文鎮アタックを叩き込んでやる!
あと二、三メートルで届く。
そう思った時だった。
目の前の立方体が赤く光って、派手な音を立てて腕が飛ぶ。俺の右腕だ。……ああ、こりゃもうダメだな。驚きより痛みより先に、諦めがよぎった。
見誤った。ビームの充填にかかる時間は俺の予想よりはるかに短かったようだ。
どちゃっ。受け身も取れずに地面に落ちる。腹から落ちたにも関わらず、スーツのおかげか、衝撃はあまり感じなかった。だがそんなことは些細な幸運だ。右腕の、肘の先がない。そこから面白いくらいに血が噴き出している。いた、い。い、いた、ああ、あ!
「おめでとうございます、トウマ様」
「なにがめでてぇんだこの状況ゥオア!!!」
「目の前の敵を撃破なさいましたね」
「はァ!? あ、」
うつ伏せになった身体の下に、黒い水たまりが出来ている。なんだこれもしかしてさっきまで立方体だったものか、立方体意外と柔らかかったのか!? ああ俺勝ったのか……いやそんなことより腕がねえんだよ俺は!!! クッソ痛ェ!!!!! もうどうせ出血多量で死ぬんだろ早く死にてぇ!!!
殺せ、殺せと半狂乱になってのたうち回っていると、メイコがやってきてそばにしゃがみ込む。
「大丈夫ですよ。現代の医療技術を持ってすれば腕の一本や二本すぐに再生可能です」
なんだと!!? そ…っれはそれでどうなんだ!? 腕を失っても腹に穴が空いても生きて戦えってのか、どっちにしろそのうち痛みでショック死するだろそれ!?
メイコが俺の腕に手をかざすと、肘から先が見る見るうちに生えてくる。俺が仮死んでた二年間で技術革命でもあったのか。本当に見たことも聞いたこともないぞこんな技術。
「うわ……ほんとに治ってる」
右手が動く。グー、チョキ、パー……できる。感動を通り越して気持ち悪いぞ、なんだよ本当このチートレベルのテクノロジーは。絶対次世代に引き継ぐべきものだろ。次世代いないんだけどさ。
「さあ、帰りましょう。私の秘密を知りたいのでしょう」
「おい、誤解を招く言い方するな」
って……あれ、俺、実体云々の話、声に出してたっけ?
うーん、まあ、いいか。