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天陽大乱  作者: 一夢庵豊玉
第五章 鬼来る
19/69

3

砦の門が軋み音をたてながら閉じていく。

被害を報告させたが死者は一人もおらず、重傷者すらいなかった。

数名のかすり傷を負った兵がいたくらいだ。

「出だしとしては満点ですな」

祖信が満足そうに微笑みながら馬を降りて張儀に近づいてきた。

「確かにかなりの戦果はあった。しかし欲を言えばあそこで冷貴を討ち取っておきたかったな」

半分本心で半分は強がりを張儀は口にしていた。

「それはちと欲張り過ぎですな。おそらく討ち取った敵兵は二百をこすでしょう」

伍衛は汗をぬぐいながらそう言った。

「それは解っているのだが、、冷貴を討ち取っておけばこの戦はもう終わっていたのだ」

確かに首をとる機会はあった。しかし、冷貴もそこまで甘い武人ではなかったのだ。

「しかし流石ですな冷貴の用兵は。本隊が挟撃にあったと解ると素早く他の部隊が集まってきておりました。若の退き際の決断がもう少し遅ければ、逆に包囲されて全滅していたでしょう」

確かに。

あともうひと押しは出来ると張儀はふんでいた。

そして出来れば冷貴の首を本気で獲ろうと思ってこの作戦をたてたのだ。

しかし、冷貴に一撃与えた直後に遠くから別動隊が近づいてきているのが見えたのだ。

張儀は一瞬の迷いもなく隊を退かせた。

元々数の違いがあり過ぎるし、一撃で首が獲れなかった時点で奇襲は終わっている。

おそらくここからは持久戦になるだろう。

張儀にとってはあまりありがたくない戦の様式だった。

援軍の望みの無い張儀達にとって、籠城は破滅へ向かう一本道でしかないのはわかっているからだ。

「とにかく初戦は満足いく出来だ。馬の手入れをしてから今後の策を相談するぞ」

奇襲に参加した兵達もすぐさま交代で見張りに立つ。

休む暇はほとんどなかった。


 それから十七日。

戦は予想通り膠着していた。

三つある門のどれかから何度か出撃もしたが、それほどの戦果は挙げられず、こちら側にも負傷者が出始めていた。

冷貴はやや離れた所に陣を張り、こちらからの矢も届かない。

食料はまだまだ余裕があるが、士気が少しずつ下がってきていることに張儀は気付いていた。

伍衛や祖信が兵達に声をかけて鼓舞してはいるが、それでもいつまでもつかわからない。

何よりも先に希望が見いだせていないのだ。

食糧はいずれ尽きる。

今はまだいいが、半年もしないうちに食べる物は尽きるのだ。

そうなる前に何とかこの状況を打開しなくてはならなかった。

正直頭が痛かった。

「若、こんな時こそ明るくふるまわなければなりませんぞ」

伍衛が難しい顔をしてそう言ってきた。

「わかっている。わかってはいるが、今後の事を考えるとな」

弱気を見せてはいけないのはわかっている。

しかし正直何も良い策が見いだせなかった。

「このままではじり貧ですな」

祖信はため息をつきながらそう言った。

「ではどうする」

やや張儀は自分が強い口調になっているのを感じた。

どうしても苛ついてしまうのだ。

「まずは士気を落とさずにする事でしょう。こんな時だからこそ規律をしっかりと引き締めなくては内部から崩壊してしまいます」

今の所、正直それ以外やる事は無かった。

更に言うなら、ここ四日程まったく同じ事を話し合っているのだ。

そしていつも結論は同じだった。

 今日からは少し変化をつけようと思い、張儀も自身で兵達を見回った。

どの兵も表面上は元気だったが、何か暗い所を抱えたような表情をしている兵が何人かい

た。

これが他の兵に広がっていくのが怖い。

「皆頑張ろう。天は決して我等を見捨てない」

気休めにもならないであろう言葉だったが、兵達の中にはこれで笑顔になる者もいた。

張儀は改めて自分の存在がそれほど小さくなかった事を感じた。

隊を率いる者として、自分の一挙手一投足を皆が見つめているのだ。

「これは気をつけねばならんな」

張儀は小さく呟いた。

言動や行動だけでなく、小さな表情すら指揮官である自分の行動は皆に影響を与えるだろう。

伍衛や祖衛がいつも言っていたのはこういう事なのだろう。

こういう時こそ明るく。

何も笑わずとも好いのだ。

胸を張り、姿勢を正し堂々と雄々しい姿を兵達に見せるだけで良いのだ。

これからは気を付けようと思った。

 幸い武具は皆手入れが行き届いていた。

冷貴の部隊と違い、こちらには武具の予備がそれほどない。

矢が折れ、剣が欠けると最後には戦いようがない。

今の所それほど心配しなければいけない程の状態ではなかった。

鎧は皆かなり傷んではいたが、それはむしろ今までの戦で負った勲章の様な物だった。

勇敢な兵士程具足は傷んでいる。

そして誰よりも傷んでいる具足を荒く補修して使い続けているのが伍衛と祖信の二人だった。

いずれは彼等に雅やかな具足を身に着けさせたい。

それがここ数年の張儀のささやかな願いだといっていい。


 冷貴は幕舎で地図を見ていた。

ここに布陣してから作った砦の周囲の地図だ。

「ここ数日動きは無いな」

「はい、以前の様にどこかの門が開いての襲撃はありません。一応夜襲を警戒してはおりますが、それも今の所はありません」

副官がきびきびと答えた。

初戦の奇襲以降、冷貴はすぐさま時間をかけた戦いの仕方に切り替えた。

そもそもこちらが兵数は倍以上上回っている。

無理をして力攻めをする必要はないのだ。

「あちらの兵糧はまだまだもつだろう。だが少々時間がかかり過ぎるな」

冷貴は目まぐるしく頭を働かせた。

元々実戦や武技よりも戦略を考えたりするのが好きだった。

武官になるにあたり、必要だから身体を鍛えただけである。

「早目に決戦となれば、こちらにも相応の被害が予想されますが」

「だからそうしないために頭を使うのだ」

冷貴は戦場でのこんな話し合いが好きだった。

生き抜くために思考を巡らしていると、本当に生きていると実感できる。

僻地に追われた時も、少ないが友と呼べる物が出来た。

彼等とは連日連夜、こうやって作戦を立てて話し合ったものだった。

むしろそれがあったからこそ、あの場所で腐らずにやっていけたのだと今になって思う。

「兵達は弛んでいないな。毎日交代で走らせろ」

戦場で一番怖いのがそれだった。

ただでさえ今回の出兵では冷貴に与えられた部隊は自分が鍛えた兵士ではない。

一時的に張覚様から借り受けた兵なのだ。

天都からほとんど出た事もなく、調練が行き届いているとは言いがたかった。

行軍中にも冷貴は調練を課した。

ふっくらとした兵達が少しずつその弛んだ肉と同時に甘えもそぎ落とされてきたのが見ていて解った。

しかし、それでもまだ十分とは言えなかった。

もし同数の賊徒と戦になれば、おそらく負けてしまうだろう。

だからこうやって対陣している時でも調練を怠るわけにはいかないのだ。

実際に戦いになったら頼りになるのは自分と副官の二人だけだろう。

ならば出来るだけぶつかり合いになる事無く、張儀を捕縛する事に全力を注ぐべきだった。

「そろそろかもしれん」

誰に言うでもなく、冷貴はそう呟いた。


 その晩は空気がいつもと違っていた。

何か張りつめたような緊張感がある。

最初にそれに気が付いたのは伍衛だった。

勘の様な物だろうが、古株の軍人の言う事だ。

戦場では何よりも信頼できる。

「今夜は見張りの数をふやそう」

張儀はすぐさま指示を出した。

籠城してから今日まで、お互い夜襲は一切していない。

向こう側の意図は解らないが、こちらは夜襲をかけて乱戦にでもなればすぐさま全滅の危険があった。

少数の悲しさである。

張儀は砦で最も高い場所にある見張り台へ上った。

砦の周り三方にいくつもの篝火が見える。

正面に特に多く篝が集中しており、そこが本陣だろうと思えた。

「若、何か見えますか」

祖信が少し遅れて上がってきた。

「いや、いつもと変わらないように見える」

張儀には本当にそう思えた。

「我等の思い過ごしならばよいのですが、どうにも胸騒ぎが」

祖信も伍衛と同じ何らかの違和感を覚えている様だった。

自室に戻ると簡単な食事をした。

干し肉と饅頭。

戦場でも温かいものが食べられるだけまだましなのだろう。

そんな事を考えていると、突然騒がしい足音がこちらへ向かってくる。

「若、明かりが見えます」

「明かりが」

すぐさま先ほどの見張り台へと登る。

確かに敵本陣左側に松明の明かりらしき物が一筋並んで動いていく。

それがいくつも集まり始めていた。

「夜襲にしても妙だ。これでは動きが丸解りではないか」

祖信が顎を抑えながら言った。

確かにその通り。

普通夜襲であれば明かりはつけず、物音もたてずに行軍するものだ。

これでは夜襲の意味がない。

「力攻めに切り替えたか」

伍衛がそういうと同時に、張儀は下へと降りて行った。

 門の前まで行くと、兵士たちが不安そうな顔をしているのが解った。

「皆動揺するな。しっかりといつも通り見張っていればいいのだ。攻めかかってきたら薙ぎ払えばいい」

張儀は力強く叫んだ。

兵達にも安心したような雰囲気が広がった。

「城壁には矢を上げておけ。篝もいつもの倍用意せよ」

伍衛と祖信も忙しく指示を出し、砦内は一気に活気づいた。

門の前には多くの松明が見える。

薄らとそれを持つ人影も見えた。

「若、敵の動きが妙です」

張儀にもそう感じられた。

それぞれが持っているはずの松明が、五本一まとめに動いて見える。

一本一本がばらばらではなく、数本が一まとめに同じ動きをしているのだ。

「張儀様」

後から大声で呼ばれた。

振り返ると逆側の門に数人の兵が走っていくのが見える。

「何をしている」

張儀は大声で叫んだが、兵達はかまわず門の閂にとりついた。

敵兵ではない。

ここの砦に入ってから入隊した新兵達だった。

張儀は走り出した。

「間者だ、斬れ」

走りながら剣を抜き、張儀はそう叫んだ。

全力で走った。

間に合わない。

自分の動きも含めた全てがゆっくりに感じられる。

門の横にいた兵が一人を斬った。

それと同時に相打ちに喉を突かれているのが見える。

張儀は飛んだ。

着地しながら一人を斬った所で閂が地面に落ち、門がゆっくりと開かれていくのが見えた。


「突撃」

冷貴は高らかに号令を出した。

門は内側から破られた。

張覚様から砦内に内通者が居る事は知らされていた。

しかしすぐに使う気にはならなかった。

ある程度の小競り合いを起こさなければ、こう上手くは事は運ばなかっただろう。

反対側の門に三十人の兵を送った。

松明と案山子を背負わせ、人数を五倍に見せた。

一時的にでも逆側の門へと注意をいかせる必要があったのだ。

こちら側には口に布を噛ませた兵達が音もなく移動してきた。

夜明け前の最も闇が深い時間帯だった。

暗闇に一筋の光が走り、その光が少しずつ横に広がっていく。

門は内側から開いたのだ。


「押し戻せ、何としても門を死守しろ」

張儀は叫び続けたが、開け放たれた門からは数十人ずつ敵が入り込みつつあった。

突かれた槍を剣でいなし、首のあたりを切り捨てた。

しかしあっという間に張儀は囲まれていた。

後から兵達が駆けてきている音が聞こえた。

すぐに乱戦になり、張儀も三人を同時に相手しなければならなくなっていた。

転がりながらも槍をかいくぐり、一人の腹を突く。

足をかけて剣を引き抜きつつ脇から来た槍を後ろに飛びながら躱した。

囲まれている上に得物が剣のみである。

突き出されてくる槍が篝を反射してきらきらと光っている。

正面から騎兵が一騎突っ込んできた。

「張儀、これまでだ」

叫びながら戦鎚を振り回して、冷貴が迫ってきている。

徒と騎乗、剣と戦鎚。

こちらが不利なのは明らかだった。

「冷貴」

腹の底から声を出した。

剣を振り上げ、一直線に向かっていく。

振り下ろしてくる戦鎚目がけて剣を切り上げる。

やや身体が浮き上がり、冷貴は張儀の横を駆け抜けた。

振り向くと冷貴が馬を返して戻ってくるのが見える。

張儀は剣を構えなおすと、剣が折れている事に気が付いた。

「ここまでか」

吐き捨てた。

「終わりだ張儀」

再び、全てがゆっくりに見えていた。

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