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天陽大乱  作者: 一夢庵豊玉
第五章 鬼来る
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2

 斥候に出た部下が馬をとばして戻ってきた。

「冷貴の軍がこちらに向けて進軍中。あと二刻ほどでこちらに到着するでしょう」

張儀はそれを見張りの塔の上で聞いていた。

「ご苦労だった。少し休んでいるがいい」

祖信が労をねぎらい、兵を退出させた。

「いよいよ来ますな、若」

伍衛は武者震いを起こしている。

先日、楽布殿の部下より知らせが入ってからもう二日が経っていた。

万全とはいえないが、今出来る準備はほぼ終わっていた。

「祖信、頼む」

祖信は小さく頷くと、足早に下に降りて行った。

「祖信に何かさせるのですか」

「まぁ見ていろ伍衛。ちょっとした策があるのだ」

正直自信があるわけではなかった。

しかし、皆の命を預かっているのだ。

頭を使って出来る限りの事をしたかった。

遠くに砂埃が見えてきた。

とはいえ、それほど派手な砂埃ではない所を見ると、進軍はゆっくりと行っている様だ。

「数は千ですか。まぁやるだけやってみますかな」

何度も戦場に行っている伍衛はもう落ち着いていた。

実戦の場数をこなした兵はやはりこういう時に強いのだ。

「まずは話し合ってみようと思う。まだ俺の正体が露見したと確定もしていないのでな」

伍衛はそれを聞いてにやりと笑った。

おそらく張儀の正体は敵に知られているだろう。

まずは相手の出方を見たいので、話し合いから始めようというのが伍衛にはわかったのだろう。

「来るな」

砦から一点を見つめて、張儀は呟いた。


 張儀は城壁へと移動し、門の真上に立っていた。

少し離れた所に冷貴の軍が隊列を組んでいる。

中から騎兵が五騎、こちらに向かって駆けてくる。

一人は高々と冷の旗を持っていた。

「我等は天都より罪人捕縛の為に遣わされた軍である」

さらに一騎が前へ進み出て叫んだ。

冷貴本人である。

城壁の上からは、冷貴の顔の造りまでよく見えた。

髭を蓄えることなく、顔はまだ若々しい。

以前天都から逃げる時は顔を見る心の余裕等無かった。

「この砦に罪人、張儀が逃げ込んでいるとの確かな情報が入っている。おとなしく引き渡されい」

張儀は一歩前へ進んだ。

「我等はこの王忠率いる義勇軍だ。張儀などという者は知らぬ。おとなしく都へと戻られるとよい」

「王忠、確かこの辺で名を上げている義勇軍の長だったな。そなたがその王忠か」

「その通りだ」

冷貴は少し笑っているように見えた。

「久しいな張儀。天都で対峙して以来だ」

冷貴の肩が震えて見えた。

「あの時取り逃がしたおかげで、私は冷や飯を食う羽目になった。今回はその雪辱を晴らさせてもらうぞ」

冷貴の笑みが歪んで見えた。

何かにとりつかれた様に冷酷な笑顔を張儀に向けている。

おそらくあの日張儀に逃げられたことの責任を取らされ、大変な日簿を送ってきたのだろう。

冷貴は気味の悪い笑顔を張りつかせたまま、自軍へとゆっくり戻っていった。

「やはりばれておりましたな」

城壁から降りると伍衛が水を持ってきていた。

「まぁ、まだ想定内の事だ。戦はこれから始まる」

椀に注がれた水を一気に飲み干すと、張儀は砦奥へと入っていった。


 冷貴は一度戻ると付近の地図を見直した。

長く使われていなかったとはいえ、砦の造りは強固である。

小高い丘の頂上に建っており、北は崖になっていた。

非常に攻めにくい砦だった。

周囲には雑木林などがあり、念のためざっと調べさせたが、獣用の罠が仕掛けられており、下手にしっかり調べると部下に怪我人が出そうなので早々に辞めさせた。

まずは包囲し、じっくりと兵糧攻めにして干上がらせるのが常道である。

事前に得た情報では張儀の軍はたかだか二百弱。

こちらは一千の兵を用意している。

それぞれの門を包囲させ、じっくり時間をかければ被害も少なく落とせるだろう。

「三百ずつ三隊にわけてそれぞれの門を包囲しろ。後はじっくりと待っていればいい」

部下に幕舎を張らせ、冷貴はその中で指示を出していく。

今回は手堅くいかせてもらう。

下手な賭けは失敗を呼ぶ呼び水になりかねない事を冷貴は警戒していた。

「冷貴様、入ります」

幕舎の布を持ち上げ、部下が入ってきた。

「どうしたのだ」

冷貴は地図から目を離さず部下に声をかけた。

「張儀が砦から打って出てきました」

冷貴は思わず立ち上がった。

「なんだと」

「敵兵およそ百。張儀自身が率いて砦の外に出てきております」

部下が言い終わる前に、冷貴は幕舎から飛び出した。

「馬を曳いて来い」

冷貴は馬にまたがると、砦の正面である南門の方へと急いだ。


 張儀は部下と共に南門から砦の外へ出ていた。

「相手の方が動揺しておりますな。兵力はあちらの方がずっと多いのに」

伍衛がにやにやと笑っていた。

「普通に考えれば籠城して出てこないと思うだろうからな。相手の予想外の事をしてやるのもまた兵法だろう」

張儀はにやりと笑った。

包囲している兵達の後ろから冷貴が慌てて前に出てくるのが見えた。

ざっと見て包囲している敵兵は三百。

こちらが外に出している兵は百。

この数なら勝負になる。

「おやおや、大将が随分と慌てておりますなぁ」

伍衛は大きな声で聞こえる様に言っていた。

冷貴は顔を赤くしている。

張儀はゆっくりと槍を頭上に挙げ、そして振り下ろす。

突撃の合図だった。

伍衛が物凄い声を上げて突進していく。

敵にぶつかると手当たり次第に槍を振り回していた。

意表をつかれた敵兵は最初は動揺を見せたものの、徐々に冷静さを取り戻している様だった。

指揮官が冷貴である。

このくらいの動揺はすぐに治めるだろう。

「よし伍衛、一度退くぞ」

張儀達はすばやく隊をまとめて南門の前へと退いた。

冷貴も隊を小さくまとめている。

「魚鱗の陣をしけ」

魚の鱗の様に固まり、防御に適した陣形である。

冷貴はそれを見て矢じりの様な陣形をしいた。

鋒矢の陣。

突破力の強い陣形だ。

定石である。

「くるぞ、構えろ」

兵達に緊張が走るのが解った。

地鳴りが迫ってくる。

兵力差による圧迫感はやはりいかんともしがたい。

「今だ」

張儀は後の城壁にいる兵に合図を送った。

二筋の光が城壁から飛んでいくのが見えた。

それを見て、張儀は何故か美しいと思った。


 一瞬冷貴は何が起こったのか理解出来なかった。

前衛に到着した直後、敵は突撃してきていた。

周りの兵を落ち着かせ、反撃に出ようと思った時に敵は素早く退いていた。

おそらく兵力差に押されたのだろう。

これは好機と思い、こちらも素早く陣形を組んで敵に突撃を仕掛けた。

その時である。

城壁から光の筋が二つ見えた。

何だと考える間もなく、冷貴の左右の地面が火を噴いた。

「臆するな、進路上に火の手は無い。こけおどしだ」

冷貴は最後方で指示を出している。

部下はその声を聞いて安心し、突撃の速度は上がっていく。

おそらく事前に油でも撒いていたのだろう。

冷貴達が駆けている地面の左右が筋状に燃えていた。

火計のつもりだろうが、こちらの兵に被害は無い。

おそらく予想とはちがう進路で突撃したのだろう。

冷貴にはむしろ過去の汚点を消すための栄光への道のように感じられた。


 張儀達を逃がした後、冷貴は天都で冷遇されていた。

率いていた部隊は取り上げられ、軍学の教官からの勉強にも参加させてもらえなくなった。

そして北の辺境へと移動を告げられたのだ。

おそらく天都にはもう戻れる事は無いだろうと諦めた。

張覚とかいう若い文官がいずれ将軍にしてやるという言葉もあてにはならない。

辺境に送られて再び天都へと戻れた軍人などそう多くは無いのだ。

辺境での日々は過酷以外の言葉では表せなかった。

食事をとろうにも兵糧は常に不足し、兵は疲れきっていた。

そして頻繁に北方の部族の襲撃がある。

昼も夜も関係なく、常に襲撃の危険はあった。

しかも兵の数は十分ではなく、持っている武具もほとんどが天都ならば破棄してしまうような有様の物だ。

どの兵にも絶望の色が表情から読み取れた。

どうせ誰も助けには来てくれない。

しかも天陽にとってさしたる重要拠点でもないこの場所では援軍も来るはずはなく、勝ったところで誰もその武功など認めてはくれないのだ。

一般の兵卒はおろか、将校ですら投げやりなのだ。

数年の間、冷貴はそんな掃き溜めのような場所で過ごした。

自ら命を絶とうと思ったことも一度や二度ではなかった。

それでも冷貴は耐え、いずれ来るかもしれない機を待った。

忍耐と粘り強さ、そして諦めの悪さがこの期間で得た最大の財産だったのかもしれない。

 数か月前にあの若い文官から文を貰い、冷貴は天都へと戻った。

謀反人張儀の居所がわかったというのだ。

張覚は部隊を用意すると言い、冷貴を追っ手として差し向けた。

光が差したと思えた。

そしてすぐさまここへと進軍した。

負けるわけにはいかないのだ。


 冷貴の部隊はやはり固かった。

個人の技量はそれほど負けてはいないと思えるが、やはり数が違い過ぎる。

正面からぶつかるには少々犠牲が大きく出過ぎる可能性が高い。

張儀の部隊にはそれほど兵の数に余裕がないのだ。

冷貴はこちらへ一直線に突進してきている。

戦鎚を高々と上げ、こちらを睨みつけながら迫ってきている。

「合図だ」

近くにいた兵に伝えると、大きい動作で旗を振り始める。

突撃してくる冷貴部隊の挙げる土煙の背後で、雑木林が一斉に揺れた。

祖信を先頭に、埋伏していた兵達が一斉に飛び出てくる。

「冷貴様、背後に伏兵が」

ちらりと後ろを見た冷貴は再びゆっくりと正面に視線を戻した。

「かまうな。大した数ではない。まずは正面の敵を突き破れ」

冷貴は突撃の手を緩めなかった。

張儀の予想通りだった。

「構え」

張儀の掛け声と共に、兵達が一斉に木の棒を手にした。

先の方だけ鋭利に削り、溶かした鉄を被せたお手製の槍だ。

「投げろ」

空気を裂く鈍い音と共に、槍が空へと舞い上がる。

そして冷貴の部隊へと降り注いだ。

「突撃」

冷貴の部隊の突撃が鈍るのを確認してから、張儀は全体へ声をかけた。

皆一斉に突進していく。

冷貴が歯を食いしばっている表情が見えた。

ぶつかった直後に更なる衝撃が冷貴の部隊に襲い掛かるのを張儀は感じていた。

背後から突撃していた祖信の部隊がぶつかったのだろう。

我ながら見事な挟撃だった。


「冷貴様、挟撃です」

そんな事は言われなくとも解っていた。

しかも両脇には炎が燃え盛っており、前後の敵からの逃げ道が完全に塞がれていた。

「守りを固くし、なるべく密集せよ。兵数はこちらが勝っている」

そうは言ったものの、兵達は明らかに浮足立っていた。

こうなると数の優位などはあまり意味がない。

「冷貴様、正面です」

兵が言い終わる前に、敵兵の影が視界の端に見えた。

思わず冷貴は持っていた戦鎚を振り下ろしていた。

凄まじい衝撃が冷貴の手に伝わり、手首、腕、そして肩へと流れていく。

「張儀」

冷貴は叫んだ。

切り込んできたのは張儀だった。

これほど鋭い一撃をあの甘ったれた七光りのお坊ちゃんに繰り出せるとは。

自分だけではなく、張儀も辛酸を舐めて強くなっていることを認めざるを得なかった。

周りの兵が次々討たれていくのが見える。

最早冷貴の周りには五十人程しか残っていなかった。

冷貴は舌打ちをした。

「退路を確保する。残った物は俺に続け」

何とかそう叫んだとき、張儀の兵が鮮やかに退いていくのがわかった。

炎は少しずつその勢いを弱め、討たれた冷貴の兵の屍が辺りに散らばっていた。



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