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天陽大乱  作者: 一夢庵豊玉
第四章 北の狼 南の龍 そして・・・
16/69

4

 目を閉じると山からの気持ちのいい風が感じられる。

砦の一番高い見張り台の上に一人の男が立っていた。

「王忠様、そろそろ降りてください」

軽く息を弾ませながら、祖信が声をかけてくる。

ゆっくりと目を開くと目の前にようやく芽吹き始めた木々の緑が見える。

「王忠と呼ばれるのにも慣れてきたな」

少し悲しげに笑っている。

張儀は天都から逃げ出した後、東陽の羅流将軍を頼った。

というより、他に考えられる頼れる人物が見当たらなかった。

全てがこれからという時に、事もあろうか都である天都を追われる身になるとは、誰も想像することすらできなかっただろう。

三人で東陽へと向かう途上、誰しもが無言だった。

自分が置かれている状況を必死で整理したが、誰もまともに頭が働くはずも無かったのだ。

それでも夜になれば伍衛と祖信の二人がどこからか食料を調達し、火をおこして野宿をした。

何度か声をかけられた気もするが、何を言われたかは今になっても思い出せず、食事も一切口に出来なかった。

唯一口に入れられたのは酒だけだった。

毎晩毎晩酒を飲み、そして眠れぬ夜を膝を抱えて耐え続けた。

朝方になってわずかに眠るとすぐに目を覚まし、何となく東へと向かう日々を送った。

そのまま五日が過ぎた頃、道端に小さな小川が流れているのが見えた。

おそらく前回の遠征の時も通過した道だろうが、こんな所に小川が流れていることを張儀は初めて気づいた。

急に耐えきれない渇きを覚え、小川に頭から顔を突っ込んで水を飲んだ。

伍衛と祖信が驚いて脇を抱えて引きずりあげてくれた。

それからは少しずつ食欲も戻り始めていた。

数日後に東陽へ着く直前、張儀達が進む街道の前方に小規模な部隊が立ち塞がった。

あの時は息が止まるかと思った。

追っ手に先回りされたと思ったのだ。

東陽を目前にして、自分は捕縛されるのだ。

おそらく打ち首だろうと覚悟も決めた。

前方から騎乗の兵隊が一人で駆けてきた。

緊張が身体を硬直させた。

三人とも戦の時の覇気は一切出てこなかった。

「張儀殿、お久しゅう」

目の前まで駆けてきた男は羅流将軍の副官だった。

何も考えられず、三人とも硬直したままだった。

「忘れられましたか。副官の楽布です」

あれほど気性が激しいと感じていた楽布殿とは思えぬほどの優しい口調で話していることに気が付いた。

「いや、失礼。お久しゅうございます」

張儀はようやく声を絞り出していた。

「お三方、天都の件はこちらにも情報が入っております。皇太子殿下暗殺を企てた罪人の捕縛命令も含めてです」

張儀は一瞬にして頭の中が沸騰し、体中の毛という毛が逆立ちそうな感覚に襲われた。

「我々は羅流将軍と旗下を含めて誰一人そんな話を信じておりません。ご安心ください」

そういわれて、伍衛と祖信は大きく息を吐いた。

「ありがたい。さすがは羅流将軍だ」

「しかし、このまま正面から東陽に入られるのであれば話は別です。おそらく天都から罪人をかくまったと将軍は嫌疑をかけられるでしょう」

「確かに、そうでしょうな」

「ですからここからやや北東に一日も駆けたところにある山小屋に避難していただきたいとお伝えに来ました。食料や秣も十分に準備してありますし、周りには村も無く身を隠すには絶好の場所です」

身を隠すと言われ、張儀の胸はちくりと痛んだ。

「ありがたく使わせていただくと羅流将軍にお伝え願いたい」

伍衛は馬を降り、深々と頭を下げた。

「我等も出来る限りの協力はいたします。まずは風向きが変わるのを待ちつつ、ゆっくりとお休みください」

風向き。

楽布殿はそう言った。

変わるのだろうか。

変えられるのだろうか。

そういう疑問で、張儀の頭は埋め尽くされた。


 東陽の前で楽布と面会した翌日、張儀達三人は指定された山小屋へと到着した。

近くに滝があり、小さいながら畑も耕されている。

三人で身をひそめるには十分すぎる環境だった。

食料は山の獣や河で魚を獲ればよく、少し時間はかかるが畑で野菜も育てられるだろう。

羅流将軍は自分のためにここまでしてくれていたのだ。

「ようやく一息つけますな」

祖信は馬の手入れをしながら、安堵の表情をしている。

「しかし、やや粗末な小屋ですなぁ」

伍衛は明るい表情で不満を口にしている。

実際心の中では感謝しているのがわかった。

「贅沢は言うまいぞ伍衛。罪人の疑いがある我等にここまでの事をしてくれているのだ。今はただ感謝していよう」

言わなくてもわかっているだろうが、張儀はあえて口にした。

しばらくはここに身を潜めていようと思い、少しずつ生活の基盤が出来始めてきた数日後、張儀達三人に思いもよらないことが起きた。

共に都から脱出した者達が一人、また一人と集まり始めてきたのだ。

皆到着した時には疲弊しきった表情をしていた。

手傷を負っていた者も少なくなかった。

ある者は張儀の顔を見たとたんに笑い、そしてある者は泣き崩れた。

「皆が戻ってくるのは非常に良い事ですが、このままでは小屋に入りきれませんな」

ある日の朝、伍衛が張儀に近づいてきてそっと耳打ちした。

小屋はまだ多少の余裕はあるにはあるが、食料不足に陥るのは時間の問題と言えた。

集まってきたかつての部下はもうすぐ十人を超える。

怪我人を優先して小屋で休ませていたので、張儀達三人は外に簡素な幕を張り寝起きしていた。

どうしたものか。

考え込んでいると、遠くから祖信の声が聞こえた。

「若、楽布殿が参られますぞ」

大きな声と騒がしい足音で、小屋の中の者も驚いて外へ出てきていた。

「楽布殿が。どうしたのでしょう」

伍衛はやや難しい顔をしている。

羅流将軍と同じく、副官を務めている楽布殿とて軽はずみに張儀に会いに来られるわけがないのだ。

「何か大事な用なのかもしれん。良い悪いはわからんが」

そう言い終える前に、楽布と部下であろう騎兵が二人視界に入ってきていた。


 やや離れたところで楽布は馬から降りた。

「張儀殿。お騒がせして申し訳ない」

二人は馬を曳いて近づいてくる。

「これは楽布殿。改めて隠れられる場所を提供していただいたお礼を申し上げます」

張儀は楽布に促され、小屋の裏にある河の方へと降りた。

「実は我々にも誤算があったので参りました」

部下に馬を預け、楽布は話し始めた。

「誤算とは」

「まず都から張儀殿に関する情報が一切入ってきていません。おそらくこれは張儀殿の居場所が知られていないという事で、良い誤算と言えるでしょう」

とりあえずは安心という事だろうか。

「そしてもう一つ、張儀殿の部下の件です」

「部下の」

「実は東陽の方にも数名、張儀殿を追ってきた方々が逗留されています。正直これほど早く人が集まるとは思ってもいませんでした」

「実は小屋の方にも数名集まってきております。ありがたいことにまだ私を慕ってくれている者達がいるようなのです」

「ええ。しかしこの山小屋ではいささか手狭となっておいででしょう。今後まだまだ集まってくる可能性はあるのですから」

羅流将軍が用意してくれた山小屋は、三人で暮らすには広すぎるくらいの大きさがあった。しかし最早現時点で張儀達三名は外で寝泊まりしている。

確かに手狭ではあった。

「そこで張儀殿。ここよりさらに北東に移っていただきたいと思うのです」

「北東ですか」

「はい。以前張儀殿が参戦された戦場からそれほど離れていない所に砦があるのです。今は使われていませんが、おそらく数百名が使っても問題ない広さがあるでしょう」

「砦跡に」

「それに張儀殿に使っていただくと我等としても助かるのです」

「それはなぜです」

「使われていないとはいえ、かつて砦として作られたため野党や賊徒が住み着いてしまうのです。その度我等が蹴散らしてはいたのですが」

「なるほど。我等がそこに住み着けば野党達は住み着くことが出来ないと」

「その通りです。おそらく食料には不便をすると思いますので、定期的にこちらから輸送させていただきます」

「それはありがたい。しかし、羅流将軍にそこまでご迷惑をかけるわけには」

「いえ、当然ただではありません。張儀殿には付近の警戒をお願いしたいのです」

「警戒」

「ええ。砦の付近にはいくつかの村があり、賊徒に襲われることも少なくは無いのです。本来は我々の仕事なのですが、正直距離があり過ぎて手が足りません」

「なるほど。では我等が付近の村々を警邏すれば、羅流将軍の助けにもなると」

「その通りです」

この国は広かった。

特に東陽から東側は険しい山岳地帯が多く、羅流将軍の部隊だけでは全てを管轄するのは難しいのだ。

無論将軍管轄外の地方軍は存在するが、正直猫の手にもならぬ弱兵ばかりで軍として機能していない部隊も多かった。

「了解いたしました。早急に砦の方へと移ろうと思います」

「そしてもう一つ、お願いがあるのです」

「なんでしょう」

「張儀殿の隊は、我等蒼龍将軍の部隊ではなく、一義勇軍という名目にしていただきたいのです」

たしかに付近の村々を周るのであれば、人の目にも付きやすい。

万が一張儀だと露見すれば羅流将軍に迷惑がかかるだろう。

「そちらも了解いたしました。張儀という名も伏せますのでご安心くださいと将軍にお伝え願いたい」

「申し訳ない」

楽布は目を伏せ、やや悲しそうな顔をしていた。

「お気になさらず。これほどの事をしていただき、我等は心から感謝をしております」

「以後伝令はこの男に任せますので、何かあったら使ってください」

楽布殿の後ろに控えていた若者が、張儀にお辞儀する。

「部下の中から一人選び、この山小屋に住まわせます。以後私の元へと来る者の案内役にいたしますので」

「それは良いお考えです」

張儀と楽布は再び深々と礼をし、戻っていった。


 翌早朝、張儀達は一人だけ山小屋に残して砦へと出発した。

「若、弱くはありますが少しだけ風が変わり始めましたな」

ここへ到着した時とは違い、伍衛も祖信も目には希望があった。

「皆に申し伝える。以後私は王忠と名を改める」

昨晩考え出した名前だ。

羅流将軍と共に鬼王等と戦った時、命を落とした部下の名だった。

「我等はいわれなき罪で都を追われたが、この汚名をいつかは雪いでみせる。信じて着いてきてくれ」

歓声が上がる。

十名しかいない義勇軍ではあるが、張儀は再び自らの部隊を得た。

少しだけ、ほんの少しだけではあるが救われた気がした。

以前も通ったことがある道が多く、到着までにさほどの困難は無かった。

怪我をした者達も、希望が胸に沸き起こってきているせいか皆足取りも軽かった。

「あれが例の砦跡ですな」

祖信が目を細めながら眺めている。

夕日に照らされた砦跡は、張儀の目にはとても立派に見えた。

ある程度の広さもあり、外側には柵も残っている。

これなら今後人数が増えてもすぐには寝床に困る事は無さそうだった。

所々傷んでいる所はあるが、少しずつでも修復していけば使い勝手は良さそうだった。

「念のため気を付けて入ろう。野党が住み着いている可能性もある」

見ている限り、下手に位置から砦を築くよりもここをねぐらにした方が楽である。

しかも駐屯している部隊もいないとなれば、野党や山賊の絶好の隠れ家となるのは明白である。

三人一組にして砦内を隅々まで調べたが、人の気配はない様だった。

「とりあえず今日は寝床を作りましょう。到着初日からあれもこれもとは出来ますまい」

伍衛がてきぱきと支持を出していた。

怪我人を先に休ませ、それぞれが自分の部屋を決めて片付けを始める。

張儀はかつて司令官室でもあったであろう大きな部屋に案内された。

「若、本日は我々もこちらに寝ますゆえ、ご心配なく」

伍衛と祖信が三人分の寝床を作っている。

「余計な気遣いは無用だ。自分の事ぐらい自分でやる」

張儀は自分の寝床を出し、床の隅に敷き始めた。

これからは上も下も無い。

我々は単なる義勇軍の仲間だと、態度で示したつもりだった。


 その日から約一年半、付近の村々を周りながら山賊や野党を数多く撃破してきた。

ぽつりぽつりと部下も集まり始め、百人を超えていた。

最初の数か月こそ羅流将軍からの兵糧を受け取ってはいたが、半年もするとそれも必要なくなった。

砦の中で多少の畑を作り、野菜を作り始めたのだ。

魚や獣も獲れる上、付近の村から感謝のしるしとして結構な量の食料が送られてくることが少なくないのだ。

ある村では自分も義勇軍に加えてほしいと申し出てくる者まで現れ始めた。

今、部下の中には二十名以上の志願者が混じっている。

何人かは調練についてこれず、無言で村へ戻る者もいたが、それでも大半は粘り強く厳しい調練に着いてきていた。

少しずつではあるが、かつての部隊の規模に戻りつつあった。

砦の一番高い見張り台から、張儀はゆっくりと降りてきていた。

かつて天都でお坊ちゃん部隊の隊長と呼ばれていた幼さの残る顔とは、すでに別人のように凛々しくなっていた。

戦、裏切り、罠、逃亡。

そしてその後のここに至るまでの仲間との戦いが、間違いなく張儀を大きく押し上げていた。

「南の村へ巡回に行く。半数は着いて来い」

馬にまたがると張儀は大きい声で叫んだ。

すぐさま八十名程の兵が張儀の前に整列する。

「残りの者は調練に精を出せ」

砦の門が大きくきしんだ音を響かせながら開かれると、張儀を先頭に部隊の者達はゆっくりと進み始めた。

その姿は義勇軍等と呼べる物ではなく、正規の軍よりも立派だと褒める者すらいるほどだ。

張儀は胸を張り、部隊を率いて前進していった。

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