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天陽大乱  作者: 一夢庵豊玉
第四章 北の狼 南の龍 そして・・・
13/69

1

 頬を打つ風も、幾分冷たくなってきている。

天陽より遥かに北にあるこのゲゲルでは、冬の訪れが大分早かった。

遊牧を生業としている者が大半のこの国では、冬の訪れと共に南への旅が始まる。

羊に食べさせる草が冬の訪れと共に少なくなってしまうからだ。

南は温かく、冬の間でも土が凍る事は無い。

しかし、今いる北の湖近辺は夏の間は豊かな草原地帯だが、冬になると火まで凍りそうなほどの寒さに包まれるのだった。

いくつかの部族はもう南への行程の半分を過ぎた頃だろう。

小高い丘にたたずむ男、名をオルフといった。

彼の部族は周りの部族が移動するのを見届けてから出発する、いわば殿の隊だった。

毎年交代しながら先発隊と殿の隊の役目をそれぞれの部族が請け負ってきた。


 オルフの父は部族の長だった。

父はオルフに族長の座を譲るべく、幼い時から厳しく接してきた。

オルフはいつかも覚えていないほど幼い頃から馬に乗せられ、物心つく頃にはすでに騎射や馬上での剣や槍の使い方を教わっていた。

父はやや変わり者で、ゲゲルの言葉だけでなく天陽の言葉もオルフに教えてくれた。

一応一通り使える程度には覚えたが、オルフは学問よりは馬に乗っての狩りの方を好んでいた。

母親はおらず、年の離れた姉があれこれと世話をやいていたが、父の側近に嫁に行くとオルフは部族の荒くれ者と付き合うようになった。

自分にはそんな中にいるのが一番合っていると思えたのだ。

 最初は族長の息子という事で遠巻きにしていた連中も、いつしか打ち解けて気付けば一緒にいることが多くなった。

男なのだ。

腕っぷしが強ければ自然に人は集まってくる。

騎馬や槍、剣などの技でオルフに勝てる者はいなかった。

いつの間にかオルフは彼等の頭になっていた。

「オルフ、今年はお前も最後に出発する隊か」

後から大柄な男が馬に乗って近づいてきた。

「お前もということは、ゴンゼの部族も後発隊か」

ゴンゼと呼ばれた男はゆっくりと頷いた。

ゴンゼはオルフの二つ年上で、別の部族の族長の息子だった。

たしか昨年族長の座を継いだはずだった。

「族長となって初の南下か。緊張でもしているのか」

軽く皮肉ったつもりだったが、考えてみると茫洋かつ質実剛健なゴンゼが緊張することなどは天地がひっくり返ってもありえなかった。

「ウジキの部族も後発隊だそうだ。我等は皆今年は殿を務めるようだな」

ウジキも別の部族の族長の息子だった。

しかし、オルフやゴンゼと違い、族長はかなり年の離れた姉婿が継いでいた。

オルフとゴンゼ、ウジキの三人は義兄弟だった。

まだ髭も生えていない頃、オルフとゴンゼはお互いの部族の若者を率いて力試しをした。

全体での押し合いはオルフが押していたが、乱戦の中での一騎打ちではゴンゼが押していた。

これ以上続けるとどちらかが死ぬまで続くだろうとお互いが自覚した頃、一直線に二人に近づいてくる白馬が見えた。

白馬には子供が乗っていた。

子供は二人にぶつかる様に突っ込んできて、突如馬から飛び上がって二人に抱き付いてきた。

オルフもゴンゼも体制を維持できずに、そのまま三人揃って馬から落ちた。

夕刻から始めたぶつかり合いだったが、地面に転がった三人の目の前にはかすかに星が見えていた。

気が付くとゴンゼが豪快に笑っていた。

オルフも何だかおかしくなって共に笑った。

「何故我等の間に入ったのだ童」

「童ではない。ウジキだ」

「何故だウジキ」

「近くで羊を見ているときにここから熱気を感じた。近づいてみたら獣がじゃれ合っていた。このままだとどちらか死ぬと思ったら、もう馬を走らせていた」

呆れた奴だった。

だが何となくオルフもゴンゼもこの童が気に入った。

それからしょっちゅう三人で会った。

おそらく親兄弟といる時間よりも長かったように思う。

数年後、三人は義兄弟になっていた。

それぞれに技を磨き、会う時はいつも力比べをしていた。

童だったウジキはいつの間にか身体が大きくなり、一対一の立ち合いではゴンゼもオルフも勝てなくなった。

無論真剣勝負となったら話は別だろうが、お互いの実力がどうであれ、長兄ゴンゼ、次兄オルフ、末弟ウジキの関係は変わらなかった。

「ここにおられたのですか」

後から肩で息をしながら一人の老人が駆けてきた。

「ゲンザ、久しいな」

ゲンザはゴンゼの部族の出で、先代の族長の頃から使えている男だった。

老人のような見た目だが、まだ四十にならないらしい。

オルフが初めて会った頃から変わらない見た目で、三人にとっては優しい叔父のような存在である。

「これはオルフ殿、お久しゅうございます」

「どうしたのだゲンザ」

微笑みながらゴンゼが振り返る。

「どうしたもこうしたも、族長が急にいなくなって皆心配しています。早くお戻りくださいませ」

族長になってもゴンゼの大地の様に広い茫洋さは相変わらずの様だった。

一緒にいると吸い込まれそうになるほど、ゴンゼの器の大きさは無限大だった。

「ではオルフ、後程またな」

ゴンゼはくるりと踵を返し、丘を降りて行った。

その後ろでゲンザがぺこぺこしながら足早にゴンゼを追っていく。

茫洋なゴンゼと気が付くゲンザはいい組み合わせなのだろう。

オルフは見ているだけで微笑ましかった。


 南進と言っても羊の群れを連れているのだから速度はそれほど早くはなかった。

後発隊の主な仕事は群れから離れた羊達の管理や近づいてくる狼達への警戒である。

今回ははじめてその仕事の采配をオルフが任されていた。

父は自分の部下を何人か付けると言っていたが、オルフは全て断った。

普段から一緒にいる部族の若者たちの方が手足の様に動かせるのが解っていたからだ。

事実オルフは後発隊の任務を完璧に遂行していた。

群れから離れる羊には素早く馬を近づけて列に戻し、夜は交代で狼への警戒にあたっていたので、全行程の半分以上進んでも何も問題は起こっていなかった。

「相変わらず見事な指揮ですね、オルフさん」

細面でひょろりとした印象の若者が、オルフの焚火の前に座った。

ウジキである。

「今の所はな。だが油断してはならんぞ」

オルフの厳しい口調にウジキは大げさに首を引っ込めた。

「なんだ、ウジキも来ていたのか」

酒瓶を片手にゴンゼが後ろから声をかけてくる。

毎晩毎晩、ゲンザも含めた四人は誰かの部族の野営地へと集まっていた。

「実は今日はちと話があってな」

ゴンゼの顔つきがやや変わった。

真面目な話をするときのゴンゼの癖だが、彼は真面目な顔をすると厳つい顔になる。

子供が見たら瞬時に泣いてしまうだろう。

「南に先に到着した部族からの情報なのだが」

「ほう、先発隊はもう到着しているか」

「ああ、道中は何事も無かったらしいのだがな」

「だが、なんだ」

「南の天陽、そこの皇帝が死んだらしい」

「ほう」

オルフはさして興味を示さなかった。

ゲンザは静かに、ウジキはややおどけて話を聞いているが、オルフにとっては遠い異国の皇帝の生き死に等どうでもよかった。

「それを機に各地で幾分乱が生じているらしい」

「各地とは言っても、天陽国内の事でしょう」

「いや、そうでもないらしい」

オルフをゆっくりとゴンゼを見た。

「ガゲルの連中か」

「ああ」

オルフの予想は当たっていた。

ガゲルとはこのゲゲルに住まう民には違いないが、天陽の国境近くの長大な壁付近に村を構える者達の事だった。

オルフ達の様な生粋のゲゲルの民とは違い、ガゲルは遊牧はせず、村を作って作物を作ったりしていた。

天陽との混血の者も少なくなく、ちょうどゲゲルと天陽の中間に位置する場所を居住地とする奴等なのだ。

少ないながら二つの国の貿易の中間地点の役割も果たしはするが、基本的にはゲゲルの民からはあまり良い感情を持たれていないのが現実だった。

「ガゲルの村の中で幾つか反乱を起こした村があり、報復として焼かれた村もあるらしいのだ」

「なんと」

オルフはそれでもやや他人事の様に聞いていた。

ガゲルは我等とは違う。

大地と空の神に選ばれた、狼の末裔の我等の様な生き方の出来ない負け犬だ。

オルフは幼い頃からそう思い続けてきたのだ。

「その反乱鎮圧のために、天陽の軍がゲゲルで動いているらしいのだ」

「つまり、天陽軍に見つかると厄介という事か」

「そうだ、外見は我等もガゲルもそう違いはないからな」

オルフ達から見るとまるで違うガゲルの奴等も、天陽の人から見ると同じに見えるのが、オルフは不思議でならなかった。

「何しろ、警戒して進もう」

ゴンゼのその一言で、その夜は解散になった。


 オルフはゲゲルの民が使う移動可能な布張りの家に入ると、少し考えて部下を呼んだ。

遊牧を生業としているゲゲルの民は家など建てなかった。

いつでも移動可能な布張りの家をそれぞれが持ち、季節と共に移動を繰り返すのだ。

ガルと呼ばれるこの移動可能な住居は、ゲゲルの民の最大の特徴の一つと言えた。

「全員武器の手入れをしておけ、相手は狼だけではないかもしれん」

小気味よく返事をした部下が、勢いよく外へ走っていった。

天陽軍との戦いを考えると、オルフはやや興奮してきた。

父が若い頃は各地で小競り合いを続けていたらしく、天陽との戦いは珍しくもなかったらしいが、ここ十数年は小競り合いすらなかった。

元々ゲゲルは騎馬民族である。

それぞれの部族の勇士が騎馬隊を編成して戦うと、天陽の奴等は一斉に逃げ惑っていたと父に聞いた事があった。

この緑の大地を騎馬隊を率いて駆け抜けたらさぞかし爽快だろうと、幼いオルフは想像していた。

オルフの祖父はもう亡くなっているが、父が幼い時は戦になる度に略奪品や戦利品などを持って帰ってくるのが楽しみだったらしい。

オルフは父から昔話を聞くのが大好きだった。

その頃の勇敢な戦いぶりのおかげで、オルフやゴンゼの部族は他の部族から一目置かれているのだった。

 ゲゲルには軍と呼ばれるものが無かった。

当然徴兵も無く、それぞれの部族から勇敢なものが十数人ずつ選ばれて戦う。

それが騎馬で縦横無尽に駆けながら戦うので、天陽の軍等すぐに陣形が乱れて統率を失うのだそうだ。

そうすると追撃戦になる。

足の速い我等に敵うものなどいない、と父は自慢していた。

時には天陽の村にまで押し入り、略奪が出来る。

そんな時はゲゲルで見たこともない様な美しい布や宝飾等を持ち帰ることが出来た。

確か父の家にも何個か飾られていたように思う。


 数日後、もうすぐ目的地へ到着するという頃、周囲へ出していた見張りからの報告の早馬がオルフへと駆けよってきた。

「東へ数里の所で天陽の軍がこちらへ向けて行軍中」

「数里ではわからん、正確に報告しろ」

オルフは見張りに厳しく言い放った。

「およそ八里」

「わかった、ゴンゼとウジキへも知らせを出せ」

砂煙を上げながら、見張りの者は駆けて行った。

「皆聞け、天陽の軍がこちらへ進軍中だという知らせが入った。戦う意思のある者は我の元へ。それ以外は部族の者達を導いて南へ迎え」

瞬時に五十名程がオルフの前へと集まってきた。

「まずは話し合いに向かう、皆剣を抜かずに着いて来い」

オルフ達は並足で馬を進め、ゆっくりと東へ進んだ。

馬を疲れさせないためだったが、ゴンゼやウジキが追いついてくる時間稼ぎの意味も兼ねていた。

すぐに天陽の軍が見えてくる。

おそらく五百程。

内二百程は騎乗の兵だった。

ゲゲルの民とは違い、皆そろいの鎧で身を包んでいる。

オルフは怖じける事無く天陽の軍へと近づいていった。

「我等はゲゲルの民である。貴殿等は何故我等の土地を行軍しているのか」

よく通る良い声だった。

まだ多少の距離はあるが、おそらく聞こえただろう。

「貴様等が反乱を企んでいるとの情報で征伐の為にこの辺境まで来た」

辺境と言われた事にオルフは若干腹を立てた。

貴様等の尺度で計るな。

我等から見れば貴様等が住まう土地も辺境なのだ。

「武器を携えている所を見ると、貴様等が反乱をしている事に間違いは無さそうだな」

天陽の軍が一斉に槍を前に倒した。

オルフの部下も槍を構えている。

「我等は南下する部族の護衛の任に就いているだけだ。戦闘の意思は無い」

その時、後から地響きが聞こえてきた。

おそらくゴンゼとウジキだろう。

「見ろ、援軍まで用意していたな。反乱の意思ありと見なす」

オルフは小さく舌打ちした。

ゴンゼやウジキに知らせた事が裏目に出た様だ。

それにしても随分好戦的な部隊だった。

皇帝の死によって、天陽も大分荒れているのかもしれない。

天陽の将校らしき男が頭上へ高く剣を突き上げた。

ゴンゼとウジキが到着したが、おそらくそれでも兵力は二百以下。

敵は倍以上だった。

「やるかオルフ」

ゴンゼが不敵に笑っていた。

我等に勝てる者などいるわけもないではないか。

ゴンゼは無言でオルフにそう伝えてきているように思えた。

「皆牙を研げ。狼の戦いを奴等に見せてやれ」

ゴンゼが叫ぶと全員が腹から声を出し始めた。

オルフはその瞬間に覚悟を決めた。

ウジキなどはちょっとそこまで駆けてくるぐらいの明るい顔をしている。

「俺とウジキが左右から突っ込む。崩れかかった所をゴンゼがぶつかってくれ」

「いいだろう」

ウジキは既に短弓を手にしていた。

「行くぞ」

青々とした草原が広がっている。

思いのほか静かに感じられた。

その中をウジキと共にオルフは駆けて行った。






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