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天陽大乱  作者: 一夢庵豊玉
第三章 逃亡
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4

 張覚は天都城内へと続く通りを歩いていた。

兄の張儀が逃亡したと聞かされてから四日程経っていた。

捕縛されたという話は今のところ聞いていなかった。

「張覚です。通していただきたい」

門を守る衛兵にそう告げると、しばし待てと言われた後、門が低く唸りながら開いていった。

城内は慌ただしかった。

上へ下への大騒ぎといっても過言ではない。

張覚は忙しそうに走り回っている役人達を横目で見ながら、奥へと歩を進めていった。

城の中でもかなり奥、役人に中でも最も高位となる宰相の部屋へ向かった。

部屋に着くまで三度、張覚は呼び止められた。

衣類の中に武器が隠されていないか、髪の中に隠し文はないか等丹念に調べられる。

いつもの事だとは思いながらも、張覚は正直面倒になっていた。

「張覚です。入ります」

宰相本幹の部屋の入り口は豪勢だった。

龍が巻き付く赤い柱、そこから中央に向かって二匹の龍が口を開ける様に扉に彫刻されている。

皇帝に気を使ってか、龍には色が塗られていない。

その豪勢な扉がゆっくりと開いた。

中は何故か薄暗かった。

奥に人影が見える。

一人はゆっくりと座り、その横に一人男が控えている。

部屋には香が焚かれていた。

良い香りなのかもしれないが、張覚には不快に思えた。

「よく来た張覚」

本幹がゆっくりと振り向きながらしゃべっていた。

横に控えた男も姿勢を変えずにこちらに向き直る。

「お主の兄はまだ見つからぬそうだな」

「はい、思ったよりも足が速い様で」

「お主が隠して居る、というのは無さそうだな」

「無論です」

「なにしろお主が計画した事なのだからな。皇帝陛下の暗殺と、皇太子殿下暗殺計画の主防犯を張儀にしようと」

本幹は下卑た笑いを顔に張り付けていた。

「捕縛はまだですが、その後の計画には支障はありません。追っ手はそのまま冷貴に任せようかと思います」

「その件は任せる。私はこれから自分の仕事をこなしつつ、この国の大掃除をやらねばならん。小事にかまけている時間は無い」

大掃除。

本幹はそう言った。

初めてこの話を聞いた時にはかなり驚いたものだ。

現皇帝陛下の暗殺、その後に起こる混乱に乗じてこの国に深く根付く外戚の排除。

確かにこの国に一番必要な事だと思えた。

この国は始まって以来、外戚によって食い潰されている所が少なくない。

遊学中、色々な地域を周りながら学識を蓄えた。

しかし、どこへ行っても国への不平不満は絶えなかった。

その根本を辿ってみると、必ず外戚へと繋がるのだ。

一時はこの国で役人を目指す事へ絶望し、自暴自棄になりかけた時期もあった。

それからは役所の仕事もそれほど身が入らず、それなりにこなしていたつもりだった。

優秀さを表に出さず、かといって仕事が出来ない様にならずに息を殺してきていたのだ。

そんな折、地方から作成して天都へと送る書類の中の一つが宰相の本幹様の目にとまったと聞いた。

それから数日後、張覚は天都へと呼び出された。

断ろうとも考えたが、この国を変えるには天都の方が出来る事が多そうだと考え直した。

天都へ到着後、四日程待たされてから宰相本幹様の私邸へと呼び出された。

今後大仕事があり、その為に才のある者を集めているという。

既に食客や役人合わせて数百人の部下がいるようだったが、張覚はその内の一人に加えられた。

二年ほど前の話だ。

そこからは今までと違い、伸び伸びと、しかし一切の間違いがない完璧な仕事を心掛けてきた。

いつの間にか、以前からいる者よりも位が上に見られていた。

そして数か月前、今回の暗殺事件への協力者の中に加えられたのだった。

いくつか計画案を出す者がいたが、その中で張覚の計画が取り上げられた。

「しかし張覚、何故兄をお尋ね者にした。首謀者の変わり等他にもいただろう」

そう。

兄を首謀者にしたのも張覚の計画の一部だったのだ。

「兄は皇太子殿下から何らかの密命を受けていた節がありました。後に皇帝陛下になる方に今後も下手に知恵を与える者があっては後々厄介になりかねません」

「なるほど、英断だ。皇帝陛下は象徴ではあっても自ら政に口を出してほしくはないからな」

これはこの国の習慣の様になっていた。

初代皇帝こそ戦の中でこの国を始められた英雄ではあったが、それ以降は凡庸な人物が続いていた。

政は配下に任せ、ただ遊んでいればよかったのだ。

時には英知と勇気を併せ持った皇帝もいないわけではなかった。

だが長い天陽の歴史の中でも過去数人しかいない。

「張儀が住んでいた屋敷だが、以後お前にくれてやろう。好きに使うがよい」

「ありがたくいただきます」

そう言うと、本幹は後ろを向いた。

いつの間にか張覚の後ろに控えの男が立っていた。

部屋を出ていくようにという合図だ。

いつもながらこの男には気配を感じない。

それどころか生きてる人間の生気すら感じなかった。

顔は青白く、やや背中が曲がっている。

それでいて身体は一目見て鍛えられていると解るほど屈強だった。

深くお辞儀をして部屋を出た。

まるで初めて息をする様に、張覚は大きく息を吐き出した。

あの部屋は苦手だった。

張覚は足早に立ち去った。


 それにしても兄はどこへ消えたのだろうか。

子供の頃から兄は父から厳しく躾けられ、張覚は兄に比べると甘やかされて育てられた。

幼い頃はその事に優越感を感じることもあったが、ある程度の年齢になると期待されていないことに気が付いた。

子供の頃から兄は強かった。

張覚とも何度か稽古をした事があるが、一度も打ち込むことすら出来なかった。

それでも父は張覚を叱ることは無く、むしろまだ隙が多いと兄を叱っていた。

自分は何のためにいるのか、兄がいればこの家に自分は必要ないのではないかと悩んだ時期もあった。

武の道を進まず、文官を志したのもそんな幼少期の迷いや悩みがあったからかもしれない。

父は初めて張覚を叱った。

何故武門の家の子息が文官なんぞを志すのかと。

張覚は何一つしゃべる気にはならなかった。

数日後、母が父へとりなし、そのまま張覚は地方へと遊学へ旅立つこととなった。

遊学中、兄への気持ちはさらに複雑なものになった。

自分がこれほど苦労しているにも関わらず、兄は天都でぬくぬくと暮らしているのが許せなかった。

そしていずれは父の後を継ぎ、軍功を重ねて将軍にでもなるつもりなのだろう。

数年経ち、父が亡くなった事を知った。

張覚は帰る気にはならなかった。

無理せずとも天都へは帰ろうと思えば帰れたのにだ。

天都を離れてから、張覚は身内に対する気持ちが冷め切っていたのだ。

宰相本幹様に呼ばれて天都に戻った時も、屋敷には一切近づかなかった。

今の現状は調べて知っていたので、わざわざ足を運ぶ必要性も感じなかったのである。

そして暗殺計画を練った。

決行の時に兄に天都にいられては何かと不自由が多かったので、本幹様に頼んで援軍という名目で東へと遠征させたのも張覚の策だった。

その為によしみを通じていた賊徒にかなりの金を払い、反乱まで起こさせたのだ。

援軍の勅命が下った直後、兄は皇太子殿下に呼ばれていた。

張覚の兄への妬みは更に大きく膨れ上がった。

結局すべて兄ではないかと思い知らされた。

ここまでくると首謀者として兄を捕縛することまで計画に組み込んだ事へのうしろめたさは完全に消え去ってしまっていた。

計画の最終段階として兄の屋敷へ自ら赴き、皇帝陛下崩御の件を伝えた。

自らが行くことによって信憑性を増すであろう事を見越してだった。

数年間会っていなかった兄は逞しくなっていた。

そして傍らには父の代から懇意にしていた伍衛と祖信が付いていた。

兄の近くにはいつも温かい人達が集まっている。

羨ましくもあり、憎らしくもあった。

数日後再度張覚は屋敷を訪れ、皇太子殿下の暗殺計画を伝えた。

兄はやる気になったであろう。

目に怒りとやる気が輝いているのが分かったのだ。

翌晩、捕縛のための兵四百が屋敷を囲んだ頃、兄は既に東陽門へと向かっていた。

半数を割いて後を追ったが、いかんせん数が少なすぎた。

部隊全てを捕縛するつもりだったのだ。

せめて最低千人は用意しておくべきだったのだろうが、宰相様からそこまでは必要ないと横やりが入ってきていたのだった。

政治向きの事には回転が速い頭も、軍の事となるといまいち鈍い様だった。

結果兄は天都から逃亡し、部隊の者達も天都郊外で散った様だった。

一度報告に来た冷貴を宰相は散々に叱り、そのまま捜索の任につけた。

今のところ何の手がかりもないのだ。

この国の中でそう簡単に見つかるはずもない。

だが、たとえ見つからずとも別に張覚は構わなかった。

天都から兄が消え、張家代々の屋敷は張覚が手に入れた。

この場所から両親や兄の影が綺麗に消えただけで、張覚は晴れ晴れとした気分になっていた。

張覚は兵士の待機所に向かった。

「冷貴はいるか」

待機所の奥から一人の大柄の男が立ち上がり近づいてくる。

「お呼びですか」

彫りが深く、鼻が大きな男だった。

「謀反人張儀の捜索の任を引き続きやってもらう」

「はっ。だが私でよろしいのでしょうか」

「どういう意味だ」

「私は先日張儀を取り逃がしております。そんな私がその様な大任等お受けしてよろしいのかと」

「それは気にせんでいい。むしろ張儀の捜索等どうでもいいのだ」

冷貴が困惑した顔をしていた。

「おそらくこの国は今後荒れるだろう。一時的にではあるが、賊徒や野党などが次々と蜂起するはずだ。そこでお前には手柄をたてさせてやろう」

「ありがたき幸せ」

「いずれは私の下で将軍にさせようと思っているのだ。だが今は我慢してくれ」

「我慢などと。お命じ下されば何なりといたしますので」

腰が低い男だった。

それでいて無能というわけではなく、部隊を指揮させると光るものを感じさせた。

良い手駒になると張覚は考えていた。

「まずは天都付近から捜索すると良い。いずれこちらから知らせを伝える」

「承知いたしました」

冷貴は張覚に深々と礼をしていた。

張覚は背を向け、屋敷へと向かった。


 数日前に訪れた時とはまったく感じが違って見えた。

あの時はまだ兄や伍衛、祖信やその家族などが暮らしていた。

今はがらんとして、屋内も冷え切っている。

使用人が明日からきてかたずけ、数日後には張覚が越してくる事になっていた。

辺りは既に薄暗く、屋敷の中もほとんど見えなかった。

張覚は庭へ一人立っていた。

数年離れていたため、造りも少し変わっていて懐かしさ等微塵も沸いてこなかった。

「兄よ、あなたの物は全て私が貰い受けたぞ」

ぽつりと呟いた。

すると何故か笑いが込み上げてきた。

最初は小声で忍び笑い程度だったが、少しずつ声が大きくなり、気が付くと庭の中央で一人大笑いをしていた。

「気でもふれたのか」

心の臓が口から飛び出しそうだった。

誰もいないと思っていた背後から、急に声をかけられたのだ。

後を振り向くと黒ずくめの衣服を纏った男が一人立っていた。

「お前は、朧か」

男は返事をせずに口元を僅かに綻ばせた。

張覚の皇帝陛下暗殺計画が採用された直後、宰相本幹様から紹介された男だった。

主に諜報活動や暗殺、裏の仕事を専門にやっている者だと紹介された。

数十名の手下を率いてこの国の裏の仕事を引き受けているらしかった。

「兄に逃げられたそうだな」

「ああ」

「どこに逃げたか、調べてやろうか」

「別に気にしてはいない。天都にいなければそれでよいのだ」

紹介されて以降、この男はたまにこうして現れる。

仕事を目の前にちらつかせ、必要な事だと思えば頼むことにしていた。

おそらく宰相様の手の者なのだろうが、張覚からの仕事の金は張覚自身が払っていた。

かるい小遣い稼ぎのつもりなのだろうか。

「むしろ気になるのは各地の賊徒の動きだ。おそらく皇帝陛下が崩御されたことで不穏な動きをしかねない」

「だろうな」

「賊徒だけではなく、北や西、南の異民族にも気をつけねばならん」

この国は広かった。

南には国境はないが異民族が住み着く地域があり、西には国境が設けられていた。

北には長大な壁が遺跡として残っており、更に北方に住む騎馬民族からの侵略を防ぐために四龍将の一角が常駐している。

東は属国のラダがあり、軍隊の必要はないはずだったが、広大な山岳地帯を有しているため賊徒がはびこりやすかった。

山岳地帯には太古の昔使われていたであろう砦跡や洞穴、遺跡がある。

賊徒や山賊には住処にするにはうってつけだろう。

しかも山岳地帯は入り組んでおり、蒼龍将羅流といえど全てを周りながら賊徒鎮圧にあたることは不可能である。

東陽の更に東へ広がる街にもある程度の衛兵や軍は配置してあるが、戦力と呼べるかどうかも未知数であり、張覚は初めからあてにしていなかった。

怖いのは賊徒が結託し、ある程度以上の兵力をまとめて攻めてくる事だったが、今までにそんな動きは一度もなかった。

協調性もなく、合力するなど考えもしない者達が集まるのが賊徒なのだろう。

「では今の所そちらでの捜索をお前に報告してやろう」

今の所か。

この男は何を考えているのかまったく読めなかった。

本幹様以上に深く、どす黒い闇を抱えているように見えるのだ。

「もう一つ言っておくことがある。気配を消して後ろに立つな。不快だ」

不気味に笑い、朧は少しだけ頷いた。

「もう行け。あまり一緒の所を見られたくはない」

後で猫の鳴き声がした。

振り返ると何も居なかった。

薄暗い室内が見えているだけである。

ゆっくりと朧の方へ向き直ると、すでに姿は消えていた。

動く気配も、衣擦れの音すら出さなかった。

「いずれ私が使ってやる」

誰に言うでもなく張覚はそう呟き、屋敷をあとにしていた。

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